「ブルースはお好き?」は1983年の17thアルバム『トゥー・ロウ・フォー・ゼロ(Too Low for Zero)』の収録曲で、Billboard Hot 100で4位(1984年の年間33位)を記録、エルトンにとっても約3年ぶりのTop10ヒットでした。 1970年代中頃まで“最もイケてた男性歌手”だったエルトンも、本作発表時36歳… 若さと美貌が輝くカルチャー・クラブやデュラン・デュランが持て囃され、圧倒的なインパクトの音楽とダンスで世界を魅了した“マイケル・ジャクソンの『Thriller』が最もイケてる”とされた時流は、エルトンが寵児とされた時代とはあまりに様変わりしていました。
また、エルトンとビリー・ジョエルというとピアノマンとしての実績もファン層も重なっているため、二人の間にはライバル関係や対抗心があるだろうと多くの人も想像したと思いますが、実際ビリーはエルトンに対するライバル意識があったことを告白しています(エルトンはギルバート・オサリヴァンをライバルに挙げたことがある)。 そんな二人も、1994年から2010年まで(日本公演は1998年)長年に亘ってパートナーシップを結んだジョイント・ツアー『FACE TO FACE』で、「ブルースはお好き?」の協演が実現しています。
~Lyrics~
Don't wish it away 涙に暮れる心をいっそ取り去ってしまいたいとか Don't look at it like it's forever いまの悲しみが永遠に続くなんて、思っちゃいけないよ
ストーリーの冒頭からいきなり【it】が使われていて(itこそが重要な意味の主体であるだけに)戸惑ってしまいますが、作品のタイトルが「I Guess That's Why They Call It The Blues」であることを思い起こせば、それが何であるか察することができるでしょう。
でもこの時エルトンのリアルな人生はその真逆で、『Too Low for Zero』のレコーディング・エンジニアを務めたRenate Blauelという女性と出逢い、翌年には結婚にまで至っています。 4年後の1988年には離婚してしまいましたが…。
And while I'm away 僕が離れている間 Dust out the demons inside 心の中の悪魔は追い払っておくんだよ
その後しばらく二人は互いに縛られることなくそれぞれの活動を続けたものの、成果は双方ともにコンビを組んでいた頃の輝きに遠く及びませんでした。 約7年を経た1983年、アルバム『Too Low for Zero』で二人はコンビを完全復活させバーニーが全ての詞を書いていますが、タイトル曲の「Too Low for Zero」(ゼロさえ遠いほど落ち込む)や「I'm Still Standing」からは二人がバラバラだった頃の苦衷をイメージさせる主人公の姿が描かれています。
こうした二人の経緯を振り返ってみると、「I Guess That's Why They Call It The Blues」が“エルトンとバーニーが離別していた7年”と不思議なほど符合して思えてくるのです。 いつもそばにいた頃は余りにもそれが当たり前過ぎて意識することもなく、離れてみて初めて互いの存在のかけがえなさに気づく… 今年3月に行われた『エルトン70歳の誕生日とバーニーとの共作50周年』を祝うパーティーの席上で、バーニーは次のように語っています。
9月6日、ダイアナの葬儀がウェストミンスター寺院で執り行われましたが、国葬ではなくそれに準ずる“国民葬”という形が採られました。 この時ダイアナと親交のあったエルトン・ジョンが歌ったのが「Candle in the Wind」で、ファンの方はご存知のように1973年のアルバム『Goodbye Yellow Brick Road(黄昏のレンガ路)』に収録された作品を基にしたものです。 翌年にイギリスでシングル・カットされ11位を記録し、1987年にはアルバム『エルトン・スーパー・ライヴ 〜栄光のモニュメント〜』からカットされBillboard Hot 100で6位(英5位)と再ヒットしています。
エルトンはダイアナの悲報に大きなショックを受けますが、気を取り直して作詞者であるバーニーにダイアナへのトリビュートとして詞の書き換えを依頼しました。 こうして葬儀で披露されたのが「Candle in the Wind 1997」で、ここでは直接Dianaの名は用いず“England's rose”と呼び掛けています。 ダイアナの死の直前には彼女の称号“Princess of Wales”の名を冠した新種のバラが生まれており、名実共に彼女は“英国の薔薇”となっていたのです。
Billboard Hot 100では14週No.1の大ヒットを記録、年間でも1997年1位+1998年8位という離れワザをやってのけました! 世界各国でNo.1に輝き全世界で3700万枚以上も売り上げ、正確な枚数が判らないビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」(5000万枚ともいわれる)を除けばシングル売り上げの世界記録とされています。
~1973年盤との違い~
「Candle in the Wind 1997」では、1973年のオリジナルの特徴的なフレーズを所々残してストーリーが組み立てられていますが、対照的なのはタイトルでもある「Candle in the Wind」の持つ意味合い。
And it seems to me you lived your life like a candle in the wind… …と喩えるのは同じですが、それに続くフレーズが正反対です。
73年のは… Never knowing who to cling to when the rain set in 雨が降っても、誰にすがりつけばよいのかも分からない
97年は… Never fading with the sunset when the rain set in 雨が降っても、夕陽にも褪せることがない
73年のは“風前の灯”の一般的な解釈を補っているのに対し、97年のはfade(次第に薄れる)を否定することで強さを表現しています。 従って私は、この場合の“Candle in the Wind”も“風にも負けず輝くキャンドルの灯”と解釈して訳しました。 サビの最後でYour legend ever did(73年)がYour legend ever will(97年)に替えている点やその他のフレーズからも、73年のはマリリンの死を儚んだのに対し97年のはダイアナを讃える意味合いが強いようです。
…とはいえ当初は2ndシングル「パイロットにつれていって(Take Me to the Pilot)」のB面で、アメリカのラジオ局が「Your Song」をメインに流したことから人気に火が点き、アメリカで8位(年間58位)・イギリスで7位となるエルトン初のヒット曲となっています。 しかし日本では当時チャートインしておらず、1992年に映画『エンジェル 僕の歌は君の歌』の主題歌として93位、そして… 1996年、菅野美穂が“珍獣に変身!”するというドラマ『イグアナの娘』の主題歌として話題を呼びました(49位)。