I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

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Lil Dicky - Earth1
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Beatles(the other songs)


John Lennon


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Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ロケット・マン」エルトン・ジョン

2019.08.23

category : Elton John

Elton John - Rocket Man (1972年)

英雄視されることの多い“ロケット・マン”も、意外にもその素顔は“週休2日のサラリーマン”?

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 70's バラード ピアノ ピュア 偉大な曲 

comment(6) 

「ブルースはお好き?」エルトン・ジョン

2017.06.30

category : Elton John

Elton John - I Guess Thats Why They Call It The Blues1 Elton John - I Guess Thats Why They Call It The Blues2


Elton John - I Guess That's Why They Call It The Blues (1983年)



~エルトン・ジョン、先輩ポール・マッカートニーの道を辿る?~

今年、70歳の仲間入りを果たしたエルトン・ジョン。
しかしその1ヶ月後には南米ツアーの最中に“有害かつ稀な細菌の感染”のため2日間集中治療室で治療を受け、その後も1か月以上療養に専念するなどファンを心配させました(6月からツアーに復帰)。

また、エルトンは今秋公開予定の映画『キングスマン:ザ・ゴールデン・サークル』への出演が決まっており、この辺りの経緯は同じく70代のロック・スターでツアー中に南米でウイルス感染し日本公演などをキャンセル、その後映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』(日本公開は7/1)に出演するなどますます精力的に活動を続けるポール・マッカートニーと経緯がソックリではありませんか!?

“70代現役”はファンにとって至上の喜びですが、ファンをハラハラさせるのはロック・スターである彼らの本能なのかもしれませんね? 

 



~概要~

「ブルースはお好き?」は1983年の17thアルバム『トゥー・ロウ・フォー・ゼロ(Too Low for Zero)』の収録曲で、Billboard Hot 100で4位(1984年の年間33位)を記録、エルトンにとっても約3年ぶりのTop10ヒットでした。
1970年代中頃まで“最もイケてた男性歌手”だったエルトンも、本作発表時36歳…
若さと美貌が輝くカルチャー・クラブやデュラン・デュランが持て囃され、圧倒的なインパクトの音楽とダンスで世界を魅了した“マイケル・ジャクソンの『Thriller』が最もイケてる”とされた時流は、エルトンが寵児とされた時代とはあまりに様変わりしていました。

一方、ここ数年のスランプを払うかのようなエルトンの成功には、明確な理由がありました。
このアルバムでは70年代のエルトンを支えた“エルトン・ジョン・バンド”の面々が全員復帰し、デビュー以来のパートナーとして数々の名曲を創作してきたバーニー・トーピンが全作詞を手掛けていたからです。

同年にはエルトンと同じ70年代に大活躍し“ピアノマン”の代表格でもあるアメリカのビリー・ジョエルが、流行のポップ/ロックを取り入れながら1950年代の音楽をモチーフとした『An Innocent Man』で大成功を収めたように、エルトンの「ブルースはお好き?」も50年代風のハートウォーミングなテイストを再現した作品でした。
そして、情感豊かなエルトンのピアノとヴォーカルの間に入ってくる“やさしいハーモニカ”は、やはり70年代を代表する大スターのスティーヴィー・ワンダー
エルトンとスティーヴィーは2年後の「愛のハーモニー」でも協演しています。

また、エルトンとビリー・ジョエルというとピアノマンとしての実績もファン層も重なっているため、二人の間にはライバル関係や対抗心があるだろうと多くの人も想像したと思いますが、実際ビリーはエルトンに対するライバル意識があったことを告白しています(エルトンはギルバート・オサリヴァンをライバルに挙げたことがある)。
そんな二人も、1994年から2010年まで(日本公演は1998年)長年に亘ってパートナーシップを結んだジョイント・ツアー『FACE TO FACE』で、「ブルースはお好き?」の協演が実現しています。

 
 



~Lyrics~

Don't wish it away
涙に暮れる心をいっそ取り去ってしまいたいとか
Don't look at it like it's forever
いまの悲しみが永遠に続くなんて、思っちゃいけないよ

ストーリーの冒頭からいきなり【it】が使われていて(itこそが重要な意味の主体であるだけに)戸惑ってしまいますが、作品のタイトルが「I Guess That's Why They Call It The Blues」であることを思い起こせば、それが何であるか察することができるでしょう。

でもこの時エルトンのリアルな人生はその真逆で、『Too Low for Zero』のレコーディング・エンジニアを務めたRenate Blauelという女性と出逢い、翌年には結婚にまで至っています。
4年後の1988年には離婚してしまいましたが…。


And while I'm away
僕が離れている間
Dust out the demons inside
心の中の悪魔は追い払っておくんだよ

いわゆる【魔が差す】とは、悪魔が心に入り込んだように一瞬の判断や行動を誤ること…
でもそれは自分と別人格の悪魔が心を操ったせいではなく、元々心の中に棲んでいる“もう一人の自分”が何かの拍子で表出することです。
彼らは[囁き]や[誘惑]といったあらゆる手段を用い、あなたの良心の呪縛を緩めようと働きかけてきます…。
 …エヘッ?

作者バーニー・トーピンによると、この詞は彼が本国を離れカリブ海モントセラト島で奥さまToni Russo(女優レネ・ルッソの姉妹)へのラブ・レターのつもりで書いたものだそうです。
この言葉の裏に隠されているバーニーの本心とは…?


But more than ever I simply love you
でもね…いま僕は、これまで以上に君が愛しい
More than I love life itself
自分の人生そのものより、ずっと…

この作品で最も情熱的なメッセージであり、誰もがこんな言葉を言われてみたいことでしょう…

でも作者バーニー本人は、この部分について後悔していると語っています。
理由は、“僕自身はこんなこと決して言わない”からだそうです!
…こんな決定的な言葉を後で引っ込められても、困ってしまいますが? 



~Epilogue~

「ブルースはお好き?」を素直にラブ・ソングに解釈する一方、作者であるエルトン・ジョンとバーニー・トーピンの友情物語と思える節もあります…。

エルトンとバーニーは1967年、それぞれリバティ・レコードの新人募集に応募した縁からコンビが誕生、現在まで50年創作を重ねた史上屈指のソングライター・チームです。
しかし1970年代中頃までに築いたトップ・スターとしての地位は二人の肉体、精神、友情をも破壊し、1976年を最後に一旦コンビを解消しています。

その後しばらく二人は互いに縛られることなくそれぞれの活動を続けたものの、成果は双方ともにコンビを組んでいた頃の輝きに遠く及びませんでした。
約7年を経た1983年、アルバム『Too Low for Zero』で二人はコンビを完全復活させバーニーが全ての詞を書いていますが、タイトル曲の「Too Low for Zero」(ゼロさえ遠いほど落ち込む)や「I'm Still Standing」からは二人がバラバラだった頃の苦衷をイメージさせる主人公の姿が描かれています。

こうした二人の経緯を振り返ってみると、「I Guess That's Why They Call It The Blues」が“エルトンとバーニーが離別していた7年”と不思議なほど符合して思えてくるのです。
いつもそばにいた頃は余りにもそれが当たり前過ぎて意識することもなく、離れてみて初めて互いの存在のかけがえなさに気づく…
今年3月に行われた『エルトン70歳の誕生日とバーニーとの共作50周年』を祝うパーティーの席上で、バーニーは次のように語っています。

あえて言わせてもらうけど、こんなにも、お互いが、そしてお互いのクリエイティブが同調するようなソングライターを探すことは非常に困難なことなんだ…”

【blues(憂うつ)】そのものは好ましいものではないけれど
【blues】を味わった時、人は本当に大切なものが何かを知るのかもしれない…


Just stare into space
…ただ星空を見上げ
Picture my face in your hands
その掌の中に僕の顔を浮かべてごらん?

もうすぐ7月7日
天上の二人が、無事に願いを遂げられますように…。 



「ブルースはお好き?」


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tags : 1983年 ソフト・ロック 優しい愛 

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「キャンドル・イン・ザ・ウインド ~ダイアナ元英皇太子妃に捧ぐ」エルトン・ジョン

2013.08.28

category : Elton John

Elton John - Candle in the Wind 19971 Elton John - Candle in the Wind 19972


Elton John - Candle in the Wind 1997


~8月31日はダイアナ元英皇太子妃の命日~

今年7月、ウィリアム王子とキャサリン妃の間に待望のジョージ王子が生まれたイギリス王室。
母であるダイアナ元妃がフランスで謎の事故死を遂げた1997年8月31日から丸16年となる今年、彼女に関する話題が脚光を浴びました。

1つは今月17日に報じられた、“彼女の死は英国陸軍特殊空挺部隊(SAS)による暗殺”と示す証拠が、別件の裁判で提出されたというもの。
もう1つは、ナオミ・ワッツを主演とする伝記映画『ダイアナ』が10月18日に日本で公開されるというものでした…。


~哀しみに彩られたシンデレラ・ストーリー~

史上例のないほど注目を集め、華やかなシンデレラ・ストーリーとして世界中に伝えられた1981年2月24日のチャールズ王太子との結婚式により世界の女性の憧れの的となったダイアナ元妃でしたが、そもそもこれが悲劇の始まりでした。
チャールズ王太子は以前よりカミラ夫人(現コーンウォール公爵夫人;つまりチャールズ王太子の妻)を愛していたものの、相手は既婚者であるためにダイアナ元妃との結婚を決断するのです(以下、敬称略)。
しかし結婚後もチャールズはカミラと愛人関係を継続したため、ウィリアム、ヘンリーという2人の王子に恵まれたにも関わらずダイアナに心の平穏はありませんでした。

1990年代初めにはチャールズとカミラの携帯電話の会話の録音テープが暴露され、カミラは1995年に当時の夫と離婚、ダイアナも1996年8月28日に正式離婚しています。
その約一年後…

“武器商人の御曹司でイスラム教徒”である恋人と、フランスのパリでの悲劇的な交通事故によりダイアナは亡くなってしまうのです(享年36)。
この時、“ダイアナは彼の子どもを身ごもって”いました…。
こうした“イギリス王室にとって不都合な要素”が多数揃っていることから、謀殺説が常に囁かれる事となるのです。


~作品の概要~

9月6日、ダイアナの葬儀がウェストミンスター寺院で執り行われましたが、国葬ではなくそれに準ずる“国民葬”という形が採られました。
この時ダイアナと親交のあったエルトン・ジョンが歌ったのが「Candle in the Wind」で、ファンの方はご存知のように1973年のアルバム『Goodbye Yellow Brick Road(黄昏のレンガ路)』に収録された作品を基にしたものです。
翌年にイギリスでシングル・カットされ11位を記録し、1987年にはアルバム『エルトン・スーパー・ライヴ 〜栄光のモニュメント〜』からカットされBillboard Hot 100で6位(英5位)と再ヒットしています。

オリジナル作品の邦題は「風の中の火のように(孤独な歌手、ノーマ・ジーン)」とされていますが、この耳慣れない歌手の芸名は“マリリン・モンロー”といいます!
そう、あの伝説のセクシー女優のことであり、彼女は映画の中で数多くの歌をパフォーマンスした歌手でもあったのです。
…とはいえ、マリリンが亡くなったのは1962年とその十年以上前のことで、歌詞によると作詞者バーニー・トゥーピンは当時まだ子どもだったと言っています。

エルトンはダイアナの悲報に大きなショックを受けますが、気を取り直して作詞者であるバーニーにダイアナへのトリビュートとして詞の書き換えを依頼しました。
こうして葬儀で披露されたのが「Candle in the Wind 1997」で、ここでは直接Dianaの名は用いず“England's rose”と呼び掛けています。
ダイアナの死の直前には彼女の称号“Princess of Wales”の名を冠した新種のバラが生まれており、名実共に彼女は“英国の薔薇”となっていたのです。

この葬儀の後、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンを招いて急遽追悼シングルとして編集され(Something About The Way You Look Tonightとの両A面 )、イギリスの9月13日をはじめ続々と世界中でリリースされました。

Billboard Hot 100では14週No.1の大ヒットを記録、年間でも1997年1位+1998年8位という離れワザをやってのけました!
世界各国でNo.1に輝き全世界で3700万枚以上も売り上げ、正確な枚数が判らないビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」(5000万枚ともいわれる)を除けばシングル売り上げの世界記録とされています。


~1973年盤との違い~

「Candle in the Wind 1997」では、1973年のオリジナルの特徴的なフレーズを所々残してストーリーが組み立てられていますが、対照的なのはタイトルでもある「Candle in the Wind」の持つ意味合い。

And it seems to me you lived your life like a candle in the wind…
…と喩えるのは同じですが、それに続くフレーズが正反対です。

73年のは…
Never knowing who to cling to when the rain set in
雨が降っても、誰にすがりつけばよいのかも分からない

97年は…
Never fading with the sunset when the rain set in
雨が降っても、夕陽にも褪せることがない

73年のは“風前の灯”の一般的な解釈を補っているのに対し、97年のはfade(次第に薄れる)を否定することで強さを表現しています。
従って私は、この場合の“Candle in the Wind”も“風にも負けず輝くキャンドルの灯”と解釈して訳しました。
サビの最後でYour legend ever did(73年)がYour legend ever will(97年)に替えている点やその他のフレーズからも、73年のはマリリンの死を儚んだのに対し97年のはダイアナを讃える意味合いが強いようです。

わずか数日で歌詞を書かねばならなかったせいか、メロディーやリズムへのノリの完成度が不十分な所もありますが、まさにダイアナに相応しい美しい詞だと思います。
私はこのバージョンの、シンプルな中にもピアノが美しく響くアレンジが気に入っていて、長年歌い続けた作品なのに新鮮さが失われていないエルトンのヴォーカルにも心を打たれました。


~Epilogue~

ダイアナという一人の女性の人生を振り返る時いつも、“幸せとは何か”を考えさせられます。
それは、どんなに富貴を極めても幸せを保障するものではないという現実。
ティアラを飾り美しいドレスをまとっても、彼女には“あるべきはずの大切なもの”に恵まれませんでした。
それこそは、身分やお金が用意してくれるものではなく、パートナーである二人自らが力を合わせ守り育まなければならないものです。
“ともに生きる根拠”を…。



「キャンドル・イン・ザ・ウインド 1997」



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tags : 1973年 1997年 AC 追悼 ピアノ 年間No.1ソング グラミー 歴史的名曲 

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「僕の歌は君の歌」エルトン・ジョン

2013.04.18

category : Elton John

Elton John - Your Song1 Elton John - Your Song2


Elton John - Your Song(1971年)



Data

エルトン・ジョンはシングルとアルバムの総売り上げ3億枚という、世界で最も成功を収めた歌手の一人です。
1969年、アルバム『エンプティ・スカイ (エルトン・ジョンの肖像)』でデビューしますがほとんど注目されず…。
そんなエルトンが“ヒット・チャートの常連”への第一歩となったのが翌年発表された2ndアルバム『Elton John』であり、邦題ではタイトル曲となった「Your Song(僕の歌は君の歌)」でした。

…とはいえ当初は2ndシングル「パイロットにつれていって(Take Me to the Pilot)」のB面で、アメリカのラジオ局が「Your Song」をメインに流したことから人気に火が点き、アメリカで8位(年間58位)・イギリスで7位となるエルトン初のヒット曲となっています。
しかし日本では当時チャートインしておらず、1992年に映画『エンジェル 僕の歌は君の歌』の主題歌として93位、そして…
1996年、菅野美穂が“珍獣に変身!”するというドラマ『イグアナの娘』の主題歌として話題を呼びました(49位)。

「僕の歌は君の歌」はエルトンが共作者バーニー・トーピンと一緒に暮らしていたころ生まれた作品で、バーニーが出来上がった詞をエルトンに手渡し朝食を摂っていると彼はものの10分程で曲をつけたといいます!
そうして若き日に生み出されたこの作品をエルトンは“私はそれ以来すばらしいラブソングを書いていない”と語るほど自身お気に入りで、コンサートでもほとんど欠かすことがありません。
世代を超えて愛され続けたこの作品は、2004年のローリング・ストーン誌による“オールタイム・グレイテスト・ソング500”でも、136位にランクインしています。



Sound

エルトン作曲によるシンプルな構成のこの曲はフォークの叙情とジャズの深みを併せ持ち、古くなるほど味を出すアンティークの趣きに似ているでしょうか…。
なんといっても冒頭からのエルトンのやさしいピアノとヴォーカルが素晴らしく、一方で耳を澄ましてみるとシンプルなストリングスやリズム・セクションがムダなく効果的に入ってきて、非常に秀逸なアレンジといえます。
友人のジョン・レノンは“僕ら(ビートルズ)の出現以降、最初に起こった新しいこと”と語り、批評家にも“完璧に近い歌”と評された美しいメロディーです。



Lyrics

バーニー作詞によるこの作品は“お金もなくて気の利かない僕だけど、君にしてあげられる唯一の贈り物…それがこの歌”…という若者らしいピュアなラブ・ソングです。
…そう、世間では認識されていますが“別の側面”も感じられます。
バーニーの詞は難解なことでも知られますが3行目にある…

I don't have much money but boy if I did
お金持ちじゃない僕だけど、もしそうだったなら

このフレーズに、何気なく“boy”という単語が込められているのが不思議と思いませんか?
これをそのまま受け取ると、このメッセージは“boy”に宛てられたもの(?)となります。
もしかしたら、この歌…? 



~ Epilogue ~

オシャレな“ブランド製品”があふれる現代に於いて、大切な人に何を贈れば良いのでしょう…?
お金があればいくらでも見栄えのするモノは買えますが、“金額=愛情”と換算される関係ほど味気ないものはありません。
“大切なもの”とは、たとえ帰り掛けの思いつきで買ってきた2本の缶コーヒーでも、それを会話の肴に笑い合えるような関係を普段から築くことなのかもしれませんネ。
ゴルフのタイガー・ウッズなんか、640億円払っても奥さまのゴキゲンは取り戻せなかったワケですから…。



「僕の歌は君の歌」


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tags : 1971年 ソフト・ロック ピアノ 偉大な曲 ピュアな愛 ドラマ 

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