I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ニュー・ソング」ハワード・ジョーンズ

2021.04.05

category : Howard Jones

Howard Jones - New Song (1983年)

すべての友人に捧げられた“New Song”は、移ろう時代も変わらず惑う人々を励まし続ける。

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


続きはこちら >>

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tags : 80's ニューウェイヴ シンセポップ 励まし 

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「ビルディング・アワ・オウン・フューチャー」ハワード・ジョーンズ

2015.08.07

category : Howard Jones

Howard Jones - Building Our Own Future1 Howard Jones - Building Our Own Future2


Howard Jones - Building Our Own Future (2006年)



~we're building our own future~

8月15日は、“終戦記念日(終戦の日)”
1945年8月14日、日本政府は太平洋戦争(大東亜戦争)での無条件降伏を求める“ポツダム宣言”の受諾を連合国側に通告し、翌15日に昭和天皇による“玉音放送”によって国民にその旨が知らされました。

戦争を全く知らない私にとっても、子どもの頃に見た“焼け野原の自分の街”や“子どもを抱いたまま炭のように真っ黒に焼け焦げた母親”などの古い写真に衝撃を覚え、以来“あの戦争”について強い関心を持つようになりました。
それだけに、戦後70年を前に先日放送された『櫻井翔&池上彰 教科書で学べない戦争』での“10代後半~30代の46%は8月15日は何の日か知らない”という結果は、“何か”を語り掛けているように思えてならないのです…。
(※男女200人に対する街頭インタビュー)



~概要~

ハワード・ジョーンズは80年代前半の“テクノ・ポップ”全盛時代に登場したイギリスのミュージシャンで、当時その独特なヘア・スタイルと共に日本の若者にも注目された存在でした(今も片鱗?)。
1990年代以降はピアノやギターもアコースティックを取り入れるようになり、叙情的な作品も多くなっています。

「Building Our Own Future」は元々2006年にPodcast限定で配信された楽曲で、“PMC Top10”で4週No.1を記録しました。
その後ハワードは2009年に9thアルバム『Ordinary Heroes』を発表していますが、日本盤のみボーナス・トラックとして「Building Our Own Future」が追加されています(日本盤の発売は2010年4月21日)。

2010年、4月22日の“アース・デイ(※)”の啓蒙活動として『ナショナル・ジオグラフィック・チャンネル(日本)』が「Building Our Own Future」をテーマ曲に選び、“Earth Day 2010 ver.”のミュージック・ビデオが制作されました。
ハワードも当日このイベントのライブに参加するため来日予定でしたが、同年4月に発生した“アイスランド火山噴火”によって西ヨーロッパ及び北ヨーロッパ全域の空港が閉鎖されてしまい参加は叶いませんでした。
(※“Earth Day”は2009年の国連総会で“地球環境について考える日”として採択された記念日で、翌2010年から実施された)


2012年2月に『1st&2ndアルバムの再現ライブ』で再び日本を訪れた際は、“大震災に見舞われてからの日本の皆さんの勇気と決意、事態に立ち向かう毅然とした姿に深い感銘を受けました。そんな皆さんにこの曲を捧げたい。”と言って、アンコールで「Building Our Own Future」を歌ってくれました。
また、同年11月には国際的な初等教育カリキュラムIPC(Internatinal Primary Curriculum)及び同・中等教育カリキュラムIMYCに参加している世界中の学校と児童・生徒1000人以上が、アフリカの学校を支援するプロジェクトの一環としてこの歌をテーマに掲げ、活動しています。

 



~Lyrics~

People cryin' out for some peace
平和を求め、叫びを上げる人々
There’s a lot of people listening
その声に耳を傾ける、たくさんの人々

あなたも、最近このような光景に思い当たる節があることでしょう?
懸命に平和を訴えている“彼ら”の姿は、心を揺さぶるものがあります。
しかしそれは大多数の国民には届いても、“訴えを本当に聞いて欲しい相手”の心には決して届かないのだろう。
その虚しさは、先日行われた広島・長崎の式典で、“ご本人”を目の前にした市民との空気で改めて思いました…。


Putting people’s lives at the top
何より、まず人の生命を
Is the first consideration
第一に考えよう

先の大戦に於いてゼロ戦(零式艦上戦闘機)は開戦当初、その優れた格闘性能で米軍に恐れられましたが機体に用いられている板が極端に薄く、燃料タンクや操縦席にも全く防御が施されていなかったため、被弾時のパイロットの死亡率に著しく高いものがありました。
そのため熟練のパイロットを消耗品のようにたちまち失い、新たなパイロットを育成するに十分な資源も時間も無いため、幼年兵に着艦訓練を授けぬまま(=死にに行くのだから、着艦を教える必要がないという発想)敵艦に体当たりさせる“特攻”という非情手段に頼ることになります。

また、この戦争での日本人兵士の死者は230万人といわれますが、その6割(約140万人)は戦死ではなく“餓死”だったという事実をご存知でしょうか?
戦争に於いて領地・領海を拡大する以上に大事なのはその後の補給路を確保することですが、日本はそれに戦力を多く割かなかったため補給路が断たれ、前線では弾薬も食料も援軍もないまま玉砕や餓死、病死で命を落とす悲劇が常態的になっていました。


Just one by one, Day by day,
一人ひとり、一日一日
Free to choose a life that's better for all of us.
より良い人生を選ぶ自由は、僕らみんなにある

戦前の思想・言論弾圧の元となった法的根拠に、『治安維持法』があります。
これは元々は国体変革や共産主義革命を取り締まる法律でしたが、太平洋戦争へと突入する1941年に“国家の方針に従わないという理由だけで取り締まれる法”として改定されました。
戦後GHQの命令で廃止されるまでに逮捕者数十万人、拷問や虐殺・病気などで命を落とした人は1000人以上あったと言われます。

このような法政下にあっては個人がより良い人生を主張できるはずもありませんが、それって単なる昔話で済むハナシ…?



~Epilogue~

5月に『安全保障関連法案』を提出した当初“説明不足”と言われていましたが、8月になっても批判は高まるばかりで内閣支持率は40%を切り、不支持率がそれを上回る状態が続いています。
しかしこの法案への与党の説明を聞けば聞くほど、国民とはかけ離れた彼らの意識に驚かされるばかりです。
8月5日の中谷元防衛相の答弁によるとこの法律によって、“(想定はしないが)他国軍の後方支援のため核ミサイルの輸送は法文上可能”であることが明らかにされ、横畠裕介内閣法制局長官は日本の核兵器保有について“憲法上、核兵器を保有してはならないということではない”という認識を示しました。

しかし、そもそもは改憲が難しいから“代替の法律を充て無理矢理な解釈変更”で望みを果たそうとしているため、“身内”以外には“それは違憲だ”としか言いようがないのです。
はっきりと“日本は独立国なのだから、他国と同等の権利(世界に展開できる軍事力及び核兵器保有)を行使したい、そのために憲法改正を目指します!”と言えば少なくとも議論はできるのに…。


こうした法案には、戦争を体験した80~90代の高齢者の方も“戦前みたい…”と疑念を持っておられるようですが、戦前を思い起こさせる条文は、まだあります。
前項で戦前の思想・言論弾圧の元となった『治安維持法』に触れましたが、これについて現在の『日本国憲法第21条』は以下のように保障しています。

1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


これに対し、2012年4月27日に出された『自民党の憲法改正草案第21条2項』は現・2項を削除し、こう規定しています。
2.公益および公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的とした結社をすることは、認められない。

ここで、戦前の『治安維持法・第1条(昭和3年改定)』と比べてみると…
“国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他
指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ…”


オウム真理教による“地下鉄サリン事件”などを想定すると当り前の規定のようにも思えますが、『治安維持法』も当初は対象が限定されており、やがて“国民監視法”として暗躍しました。
“検閲は、これをしてはならない…”の項をわざわざ削除している所に、“彼らの本心”が透けて見える…?


So take a stand, in this place,
だから自分の考えをはっきり示そう、この場所から
Cos' we're building our own future
だって、未来を築くのは僕ら自身なんだ

“戦後70年”…
私たちはこれからの未来を、どう築くべきなのでしょうか?
近隣国には、世代が替わった現在も私たちに憎しみを向ける人がいるし、この国にも“あの戦争は正当”と主張する人たちが存在します。

先日、広島・長崎に原爆投下を指示したアメリカ大統領ハリー・S・トルーマンの孫…という人の活動が報じられていました。
当然、原爆投下の正当性を信じて半生を過ごした彼ですがある日、広島で被爆し白血病を発症し12歳で亡くなった佐々木禎子さんの物語『サダコと千羽鶴』と出合い、広島・長崎で何が起きていたのかを初めて知ったそうです。
“原爆投下は間違いである”と気づいた彼はトルーマンの孫として、いま自分がすべきことは“広島・長崎で起こった真実と被爆者の声をアメリカ社会に伝え、核兵器を減らすこと”として活動を始めました。
“謝罪はしない”という彼の姿勢は賛否の分かれるところですが、確かに“加害者とは別人格の孫”に罪を背負わせるのは、“自分に全く覚えのない従軍慰安婦への罪”を問われているような居心地の悪さと同じであり、それを責められたら“友達になろう”なんて雰囲気にはなり得ません。


戦後70年が過ぎ、戦争体験者の方がほとんど亡くなってしまうであろう戦後80年・90年は、これまで以上に達成が難しい戦後となるでしょう。
だからこそ戦争を知らない私たちが平和について正しく学び、これをしっかり政治に反映させ、教訓を後世に伝える役割を果たさなければなりません。
だけど、もしもあなたが途に迷った時、ある被爆者の方の言葉を思い出してください…

“平和とは、人の痛みがわかる心をもつこと。” 



「ビルディング・アワ・オウン・フューチャー」


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tags : 2006年 AC 平和 環境 メッセージ  

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