I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」U2

2020.08.28

category : U2

U2 - With Or Without You (1987年)

カレッジ・チャートの人気者だったU2を世界有数のロック・バンドに押し上げた記念碑的作品 ♪

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 80's ロック 偉大な曲 名作MV  

comment(4) 

「終りなき旅」U2

2019.03.02

category : U2

U2 - I Still Haven't Found What I'm Looking For(1987年)



~概要~

「アイ・スティル・ハヴント・ファンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー(終りなき旅)」はアイルランドのロック・バンド【U2】の5thアルバム『ヨシュア・トゥリー (The Joshua Tree )』からの2ndシングルで、 「With or Without You」に続いてBillboard Hot 100 のNo.1(2週/年間23位)に輝いた作品です。
受賞こそ逃しましたが、1988年の『第30回グラミー賞』では【 Record of the Year 】【 Song of the Year 】の主要2部門にノミネートされました(後者の受賞曲は「Somewhere Out There」リンダ・ロンシュタット&ジェームス・イングラム)。
オールタイムの評価も高く、ローリング・ストーン誌【The 500 Greatest Songs of All Time 93位(2010年)】、ロックの殿堂【500 Songs That Shaped Rock and Roll】など、U2の中でも屈指の名曲といえます。

作者はU2で、1998年12月の『Q』誌によると、『The Joshua Tree』のセッション中メンバーはずっとゴスペルを聴いていて、タイトルはジ・エッジが、メロディーはボノが思いついたのがきっかけだったそうです。
ところがサウンドがあまりにU2っぽくなかったため当初は本気で取り上げるとは誰も思っておらず、ある評論家は“「I Want To Know What Love Is」(フォリナー)の二番煎じ”と評したといいます。
しかし、完成する頃にはみんな“何か特別なものがある”と確信するようになったといいますから、この間に決定的な何かがあったのでしょう。

「終りなき旅」は『The Joshua Tree』ツアーを伝える1988年のドキュメンタリー映画『U2/魂の叫び(U2:Rattle and Hum)』、及び同ライブ・アルバムにも収録されました。
このツアーで本曲はゴスペル・コーラスを従えて演奏されオリジナル以上に感動的なものがありますが、映画ver.ではコーラス隊とのリハーサル映像となっており、やはりゴスペルはコーラスの“歌うさま”が楽しく、彼らの迫力に圧倒されさすがのボノも途中から聴き役に回っています!


 
 



~Lyrics~

You broke the bonds and you
あなたは枷(かせ)を断ち
Loosed the chains, carried the cross
鎖を解き、重い十字架を背負った

このフレーズはキリスト教徒でなくとも、“有名なあの逸話”を想像するでしょう。
イエス・キリストが刑場までの道のりを、自分の磔(はりつけ)になる十字架を背負って歩かされた…という話です。

そもそもイエスは体制批判したため反逆者と見做され処刑されましたが、キリスト教の教義においては、最初の人間(アダムとイヴ)が犯した罪(原罪)を受け継ぐ人類はみな生まれながらに罪人であり、イエスは人類をその罪から救うため人の姿となって降臨し、身代わりの生贄 (いけにえ)になったとされます。


I have spoke with the tongue of angels
天使の言葉でささやき

ここも宗教に由来すると思われる表現で、【speak with tongues】はキリスト教(ペンテコステ派)における“異言(いげん)”の意味もあります。
異言とは“宗教的高揚状態にある人が、(聖霊の働きによって)異国・または意味不明の言語を舌から発すること”といった意味とされますが、無宗教の人にはイメージし難い世界でしょう…。


I believe in the kingdom come
神の国の到来を信じよう
Then all the colors will bleed into one
すべての色が一つの血脈に帰す、その時を

【kingdom come】も[来世・天国]といった意味でますます“宗教臭い”歌詞ですが、本作にはそれとは別のテーマが隠されている気がします。
ボノが生誕したアイルランド島は、隣国イギリスとの関わりに於いてアイルランド共和国と北アイルランド(イギリスのカントリー)、ローマ・カトリックとプロテスタントという【二つの国家と二つの宗教】が複雑に絡み合って戦争・紛争を繰り広げた長い歴史があります。
U2初期の代表曲「Sunday Bloody Sunday」はその一つ【血の日曜日事件】(1972年)をテーマとした作品として有名ですが、「I Still Haven't Found What I'm Looking For」にも、分断された島に生きるアイルランドの人々の「終りなき旅」の宿命を想起せずにはいられません。

北アイルランド問題は1998年にアイルランド側が北アイルランド6州の領有権主張を放棄することで一応の収束に至りましたが、今回イギリスが【合意なきEU離脱】を行った場合、北アイルランドとEU加盟国・アイルランドの間に出現する[国境]によって、かつての問題が再燃する懸念が指摘されています…。



~地震国、日本の“終わりなき旅”~

東日本大震災の発生から間もなく8年…
政府の地震調査研究推進本部(以降「地震本部」)は2月26日、『日本海溝沿いの地震活動の長期評価』を公表しました《写真》。

U2 - I Still Havent Found What Im Looking For1


内容をザックリまとめると、青森県東方沖から房総沖にかけての日本海溝沿いで、今後30年以内に

①東日本大震災級の超巨大地震(M9.0程度)の発生確率は、ほぼ0 %
②M7.0~M8.2程度の大地震の発生確率は、5~90 %以上

ということになるようです。
しかしこの「地震発生確率」というのがピンとこないので、今回は「過去の発生回数」やそれを元にした「地震後経過率」「平均発生間隔」に着目して話を進めることにいたします。
例えばM9.0程度の超巨大地震は[過去約3000年間の5回]発生していることから、これは3000/5で[600年に1回発生している]計算になります(地震本部の公表値は「約550~600年」)。
直近でM9.0の地震は2011年・東日本大震災なので、単純計算すると2011+550で[次回発生は西暦2561年頃]となり、現在は西暦2019年なので、[まず発生しないだろう]と予測できるでしょう(推進本部の公表値は「ほぼ0 %」)。
このような考え方をすると「地震発生確率」は次回発生まで同じ確率で推移するのではなく、[地震後経過年に比例して確率が高まる]ことが理解できるはずです。

今回の評価で最も地震発生確率が高いのは[90%程度以上]の【青森県東方沖及び岩手県沖北部(ひとまわり小さいプレート間地震)】ですが、この海域では[1923年以降10回発生]しているので、[9.6年に1回発生]している]計算になります(地震本部の公表値は「約9年に1回」)。
仮に直近が2011年3月11日に東日本大震災の余震として発生したものとすると、2011+9で[次回発生年は西暦2020年頃]となり、計算上ではかなり差し迫った時節に入っていると推測できます(地震本部の発生確率は「90%程度以上」)。



~直近で発生した地震から、動向をみる~

本項では『日本気象協会』の「過去の地震情報」のデータを元に、2018年01月~2019年03月02日の期間に日本で発生した【最大震度4以上】の地震を見てみましょう。

「日本は地震国」のイメージは誰もが抱かれていると思いますが、実際に調べてみるとこの1年2カ月程で「震度4以上が82件発生」していることに、改めて驚きました。
以下、主な地震についてまとめました。
数値は自己集計なので、データに誤りがあることがあります)

震度7 (1件)
・胆振地方中東部(M6.7/2018年09月06日)

震度6- (3件)
胆振地方中東部(M5.8/2019年02月21日)
熊本県熊本地方(M5.1/2019年01月03日)
大阪府北部(M6.1/2018年06月18日)

震度5以上 (9件)
熊本県熊本地方(M4.3/2019年01月26日)
胆振地方中東部(M5.2/2018年10月05日)
千葉県東方沖(M6.0/2018年07月07日)
群馬県南部(M4.6/2018年06月17日)
長野県北部 5+(M5.2/2018年05月25日)
長野県北部(M5.2/2018年05月12日)
根室半島南東沖(M5.4/2018年04月14日)
島根県西部 5+(M6.1/2018年04月09日)
西表島付近(M5.6/2018年03月01日)

直下型地震はM4台で震度5-、M5台で震度6-にも達することに注意!)

震度4以上 (全82件/下記は主な震源地方)
北海道地方;(26件) / 千葉県;(8件) / 福島県;(6件) / 茨城県;(6件)
島根県;(5件) / 熊本県;(5件) / 宮城県;(3件) / 長野県;(3件)


この1年で突出して地震活動が顕著だったのは北海道地方で、2018年09月06日に最大震度7を記録した【北海道胆振東部地震】関連がズラリと並びます。
北海道地方といえば昨年地震調査委員会による評価変更で、「千島海溝沿いの地震活動の長期評価」を[M8.8の超巨大地震の30年発生確率7~40%](過去ログ)としたばかりで、胆振東部地震と震源が近いのが不気味です《写真》。

U2 - I Still Havent Found What Im Looking For2

それ以外で気になるのは、2016年に震度7を観測した熊本県で2019年にも2回大きな地震が発生していることで、付近には日本最大級の[中央構造線断層帯]が走っているので、ここも気になるところです。
あと、地味にひっかかるのが長野地震で、元々長野は日本の内陸で地震が多いイメージがありますが昨年も震度5クラスが2回発生しており、本当にこんな所にリニア新幹線を通して大丈夫なのでしょうか…(北海道も新幹線が海底トンネルを走ってる)。



~「世界有数の地震多発国」で“原発再稼働をどんどんやるべき”?~

“世界で起きるM6以上の地震の2割が日本周辺で発生している”
といわれる世界有数の地震多発国、日本。《写真・左 内閣府防災【首都直下地震編】より

U2 - I Still Havent Found What Im Looking For3 

それは想定外か、必然か…
2011年3月11日、東日本大震災に伴って福島第一原子力発電所事故が発生し、現場のトップである吉田昌郎所長をして“東日本壊滅”を想定させた最悪のレベル7(深刻な事故)の事態を引き起こしました。
しかしこの事故を教訓として変わったのは、むしろ世界の人々…。

2018年1月1日現在、世界にある原発443基の1割に当たる42基が日本にあります(建設中・計画中を含めると53基)。《写真・右 World map of current nuclear power plants
日本以外の原発密集地域はアメリカ・ヨーロッパ・中国などですが、左右の地図を見比べるとわかるとおり、日本ほど地震多発地帯と重なっている原発密集地域は世界にありません
政府は「普天間基地が世界一危険」であることを民意に反する性急な移設の大義名分に掲げますが、その心根に偽りがないなら、「世界一危険な日本の原発」についても、同じ扱いをするはずでは…?


これまで日本の原発政策の中心とされてきた東芝が原発で巨額の負債を抱え事業から撤退して尚、政府は昨年7月に『第5次エネルギー基本計画』に於いて原発を「重要なベースロード電源」とし、「30年・原発20~22%」「原発輸出推進」「核燃料サイクル推進」することを改めて閣議決定しました。

しかしそれから半年と経たない12月、三菱重工によるトルコへの原発輸出、日立のイギリスへの原発輸出も3000億円の損失を抱え、共に断念せざるを得ない見通しと報じられました。
原因は日本自らが引き起こした原発事故による原発建設コストの高騰と、自然エネルギーの著しい低価格化で、原発産業世界一のアメリカでさえ半数以上が赤字を抱え(2017年)、原発のパイオニアであるゼネラル・エレクトリック(GE)をはじめ欧米の商業原発を手掛ける企業が次々と事業から撤退している現状があります。
ピーク時・世界の全発電量の17%を占めた原発は2017年に10%まで低下、自然エネルギーが24%と逆転する時代にあって採算の合わない原発輸出を続けているのは“別のねらい”を持つロシアや中国で、日本はこれと同じ土俵に立っているわけです。


“再稼働をどんどんやるべきだ” 日立・中西宏明会長 2019.01.15.

イギリスへの原発輸出が頓挫した日立・中西宏明会長の、今年1月15日の定例記者会見での言葉。
原発事業が世界のエネルギー市場で無理筋である現実を突き付けられた以上、「総理のご意向」でどんな無理筋も罷(まか)り通る国内の再稼働・新規建設に回帰する以外に道がないことは、火を見るより明らかな筋書きでした。
安倍首相が「核武装」の野心を抱き、経産省及び【原子力ムラ】が「天下り・利権」を容易に諦めるはずのないことは、中西会長もよくわかっているからです。

しかし安倍首相がその実現のため、早急にアクションを起こすことはないでしょう。
今年は統一地方選挙と参院選(衆参ダブル選?)が控えており、何をするにしても選挙に勝つことが大前提で、いつものように選挙が終わるまでは「黙して語らず」、選挙後に「民意の承諾を得た」として世論が反対しても再稼働に動き出すことが予想されます。
つまり、日本はこのまま19・20世紀の発電法を継続したまま足踏みを続け、新しい発電法を求め前進し続ける世界にますます取り残されてゆくことになるのです。



~Epilogue~

原発事故から僅か2年後の2013年、安倍首相は五輪招致演説で一方的に“アンダーコントロール”を宣言し、あたかも放射能問題が「解決済み」であるかのように世界へ強調しました。
しかし、事故から8年になる今日でさえ福島第一原発のタンクから2年余り放射能汚染水が漏れ続け、放射性物質を含む「指定廃棄物」21万トンが東京オリンピック会場から2キロと離れていない場所をはじめ11都県で放置されたままというのが現実です。

この「指定廃棄物」とは、福島第一原発事故に由来する放射性セシウム濃度が“8000ベクレル/kg超の放射性廃棄物”で、特別な処理または中間貯蔵施設が必要なため「政府が処理する約束」ですが果たされてはおらず、大半が各地に「先の見えぬ一時保管」されたままになっています。
この「8000ベクレル/kg」という基準は原発事故後に設けられた「安全基準」で、事故前の基準は「100ベクレル/kg」
事故発生2か月後の2011年5月に秘密会合で、事故前の80倍に基準が緩められていることからその数値の根拠に懐疑的な見方もあり、環境省は「100Bqは安全に再利用できる基準」、「8000Bqは安全に処理するための基準」と説明しています。

「最終処分は環境省に責任」がある前提ですが、環境省の担当職員は次のように説明しているそうです。
都内には、国が新設の(指定廃棄物の最終的な)処分場をつくる予定はありません。どこか既存の処分場で処分するということになるのでしょうが、どうなるか分かりません。(放射能の)自然減衰で8000ベクレルを下回れば、指定廃棄物の指定を解除して(一般の廃棄物とし)、その廃棄物がある自治体の責任で処分するという選択肢もありますから

セシウム137の半減期は、30年…。


一方、【8000ベクレル/kg超】の指定廃棄物は「保管」という観念で比較的厳重な管理がなされていますが、【8000ベクレル/kg以下】の放射性廃棄物については法律で「通常の廃棄物」として処理できることになっているため、“8000ベクレルの放射性廃棄物がより身近に接する可能性”を考えると、むしろこちらの方が私たちの日常や健康に影響を及ぼし得るのではないでしょうか…。
政府はこうした8,000Bq/kg以下の汚染土の“最大約99.8%は再利用できる”として、2017年度から「道路の盛り土や農地(園芸、資源作物)など」に再利用するための【検証事業】を開始しました。

そのうちの一つ、御用邸もある保養地・栃木県那須町では、中学校跡地の伊王野山村広場に袋に入れて埋め「一時保管」していた約350立方メートルの汚染土を掘り出し、跡地に遮水シートを張った上で、袋から取り出した汚染土を埋め戻し、埋立処分の安全性を実証する事業が、昨年10月から行われているそうです。
私が第一に疑問に思ったのは、“何故こんな上流域を選んで放射能実験を行うのか”ということです。
実験で使う「側溝」が天然鮎で著名な那珂(なか)川につながっているとされ、万が一、上流で放射能漏れがあれば下流一帯も汚染される危険があります。
また、こうした放射能汚染のリスクを伴う事業が同年に入るまで環境省から住民に知らされず、自然の恵み豊かな土地なのに“野生のタラノメなどの山菜も放射能の影響で出荷制限のまま(住民談)”というのは、原発事故に何の責任もない人々が負わされるべき負担と言えるのでしょうか…。
更に『那須町HPの事業説明』で気になったのは、【実施期間:6か月~1年間程】という短い期間。
厄介事を受ける側からすると短い方が一見良いのですが、放射能の自然環境への影響、特に生物や人体への影響が僅か半年余りで結論付けられるものでないことは、素人でもわかるからです。


3月2日に放送されたTBS『報道特集』「川の魚は語る~原発事故後の福島」では、原発事故から8年が経とうとする今日でも福島第一原発2号機と変わらない放射線量(112uSv/h)が残る場所があることや、川に生息する魚が一般食品の放射能基準値(放射性セシウム100Bq/kg)の数倍~100倍(10000Bq)の放射能を帯びている現状がレポートされました。
森が汚染されればそこに暮らす昆虫も汚染され、それを食べる魚も汚染され…しかも食物連鎖の上位ほど放射能を多く蓄積するのです。
また、福島第一原発から60キロ離れた郡山市酒蓋池では2017-18年に1年をかけて大規模な除染が行われ、底表層の線量が約6割減少したもののまだ15000Bqあり、これは指定廃棄物に該当する高い数値で、この結果には関係者も頭を抱えていました。

食べられる基準が100Bqといっても、検査で5でも10でも出れば出荷できません。
お客さんはダメ。0じゃないと絶対ダメ。


郡山市で、コイの養殖業を営む男性の言葉。
そもそも政府による放射能の安全基準で、「建築資材のコンクリート」(環境省)と「一般食品」(厚労省)が同じ【100Bq/kg】で扱われているというのが私には理解不能で、全く信用できません
被災地の方々に協力してあげたい気持ちはあっても、放射能汚染のある食物を食べるのは別次元のことであり、それと知って我が子に食べさせる親はいないでしょう。
商売は「信用」が何より大事であり、特に食品は顕著で、2000年初頭に集団食中毒と牛肉偽装事件を重ねた『雪印』は事実上の解体に追い込まれました。
そうした「世間の厳しい風」を身に沁みてわかっている苦労人だからこそ、出荷前に20日間地下水のプールでコイに泥を吐かせて安全と品質に万全を期すなど、食品の信頼回復のため日々努力を重ねているのだと思いました。
それこそ苦境に挑む真っ当な人の営みであり、虚偽と改ざんを重ねて地位を保てる大臣・役人とは違うのです。

But I still haven't found
それでも未だ、見つからない
what I'm looking for
探し求めているものが、見つからない

震災から8年…
傷を負った彼らの闘いは、いまだ続いています。



「終りなき旅」


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comment(10) 

「ニュー・イヤーズ・デイ」U2

2017.12.01

category : U2

U2 - New Years Day1 U2 - New Years Day2


U2 - New Year's Day (1983年)



~人は何故、平和を破りたがる?~

今年は北朝鮮による度重なる弾道ミサイルの発射や核実験、その標的国であるアメリカとの軍事的挑発合戦が私たち日本の頭越しに飛び交わされた1年でした。
経済制裁や石油の輸出制限、日韓との軍事訓練などあらゆる圧力に屈しない北朝鮮に業を煮やしたアメリカは11/20に9年ぶりでかの国をテロ支援国家に再指定し更に圧力を強めると、それに反発するように11/29に北朝鮮が米全土を射程に収める新型の大陸間弾道ミサイルを青森県の西約250キロの日本の排他的経済水域内に着水させました。

この危険な軍事的挑発合戦は、私たちの明日を何処に導こうとしているのでしょう…
間もなく迎える【12月8日】はジョン・レノンの命日であると共に、平和の大切さについて考えさせられる日。



~概要~

「ニュー・イヤーズ・デイ」は1983年の3rdアルバム『WAR(闘)』に収録され、アイルランドのロック・バンドであるU2が初めてUKチャートのトップ10(10位)に入ったシングルです。
一方アメリカではBillboard Hot 100で53位と、初のチャート・インを記録しました。
社会問題を楽曲のテーマとすることの多いU2を象徴する作品で、ローリングストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time 435位”(2010年)にランクされています。

作者はU2で、ボノ(vo)が新婚の妻アリ・ヒューソンへのラブ・ソングとして書いた詞と、アダム・クレイトンがサウンドチェックの際にヴィサージ(Visage;イギリスのシンセポップ・グループ)の「Fade To Gray」のベース・ラインを弾き間違えたことから生まれた曲が基礎となっています。
『WAR』は文字通りさまざまな“戦い”をテーマとしたアルバムであり、「New Year's Day」も途中で政治的な背景を含んだ戦いの内容に書き換えられました。

「New Year's Day」がU2のブレイクのきっかけになった1つの要因はPVで、メンバーが雪原の森を颯爽と乗馬したり寒そうに演奏する姿がウケて(?)人気を獲得しました。
ただし実際に馬に乗っているのは地元の十代の女の子たちで、メンバーは乗馬に不慣れで保険も入っていなかったため乗馬を回避したそうです(ロック・スターらしからぬ堅実な判断?)。
また、本曲はU2のライブで演奏された回数が10指に入る人気曲であり、ジ・エッジがギターとピアノを弾き分けるパフォーマンスも見所です。

 
 



~Lyrics~

Under a blood red sky
血のような“赤”い空の下
A crowd has gathered in black and white
群衆は“白と黒”で集められ

政治で“赤”というと、【共産主義】をイメージさせます。
直接的な表現はなされていませんが、「New Year's Day」は当時のポーランドの政情について言及した作品です。
第二次大戦の結果、ソ連の主導権の下に置かれたポーランドにはマルクス・レーニン主義の共産主義国家・ポーランド人民共和国が建国されました(1952-1989年)。

“白と黒”は正直よくわかりませんが【in black and white】は“良い・悪い(をハッキリさせる)”と考えると、政権に対し“従順・反抗的”な人々で扱いに差別があったのかもしれません。


All is quiet on New Year's Day
すべてが静まり返った新年の日
A world in white gets underway
“白”の支配が進む世界

政治で“白”は、【白色テロ(White Terror)】。
白色はフランス王国の王権の象徴であった白百合を示す色で王党派を意味し(白旗)、フランス革命中に王権側が反王権勢力を弾圧した歴史に由来します。
つまりこれが転じて為政者(保守派)が反体制側(革新派)を、反革命側(右派)が革命側(左派)を言論統制や不当逮捕、武力弾圧することを白色テロと呼ぶようになりました。

ポーランドでは内政の悪化で1970年代末から民主化運動が活発化し、1980年に全国の労働者による独立自主管理労働組合“連帯”が結成され、抗議集会や反共運動を主導しました。
しかし1981年12月に政府は戒厳令を布いて民主化運動を弾圧、関係者の多くが逮捕・投獄されました。

そうしたニュースを耳にしたボノが、獄中に囚われた人々に想いを馳せたのが「New Year's Day」だったといわれます。



~1941年12月8日~

1941年12月8日は、日本がアメリカ・イギリス2国に対して【太平洋戦争】を開戦した日。
一般にアメリカ領ハワイのオアフ島への【真珠湾攻撃】(日本時間午前3時19分)で開戦したイメージがありますがこれは2方面同時作戦の一つであり、実際にはイギリス領マレー半島での【マレー作戦】(日本時間午前2時15分)が時系列的に開戦です。
太平洋戦争開戦を知らせる当日のラジオ・ニュース


“なぜ、日本は負けるとわかり切った戦争を自ら仕掛けたのか?”

国民総生産:12倍
鋼材:17倍
自動保有台数:160倍
石油:721倍
(※NHK さかのぼり日本史 昭和 とめられなかった戦争 第2回「日米開戦 決断と記憶」より)

これは、開戦時の日本を1とした場合のアメリカとの国力差の一例です。
さらに付加すると、当時の日本の主要産業は生糸・綿織物などの繊維でこれらの大半をアメリカ・イギリス・オランダに輸出し、自給できない鉱物・燃料の殆んどをアメリカ・イギリスから輸入するという貿易構造でした。
つまり日本は国力で10倍以上、最大の外貨獲得相手であり、戦争に不可欠な鉄と油の提供先に戦争を仕掛けたわけです。
(しかも、4年間戦って終結できない日中戦争を継続中でした)

この不可思議さが、私がこの戦争に強い関心を抱いた大きな一因でした…。


“昔の事とはいえ、これだけ歴然とした国力差があったら気づくでしょう…?”

真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官・山本五十六大将はアメリカの大学に2年間留学し圧倒的な油田や自動車・飛行機産業の発展に強い感銘を受けており、海軍次官時代は米英関係悪化を理由の一つに日独伊三国同盟に最後まで反対し、連合艦隊司令長官に指名された際も日米開戦回避のために次官として留まることを願い出ていました。

また、開戦1~2年前ごろからは各省や陸・海軍など方々で対米戦のシミュレーションが試みられており、その殆んどで【日本必敗】の結果が軍や首脳閣僚に報告されていました。
とりわけ各官庁・陸海軍・民間などから選抜された若手エリートらによって構成される内閣総理大臣直轄の研究所【総力戦研究所】が開戦前の昭和16年(1941年)7月に模擬内閣を組織し精密な机上演習を試みた所…
 ①12月中旬、奇襲作戦を敢行し緒戦の勝利は見込まれる
 ②しかしその後長期戦は必至で、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない
 ③戦争終末期にはソ連が参戦する
 ★敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能
…という結果を得て、8月27・28日に当時の近衛文麿首相や東條英機陸相、政府・統帥部関係者の前で報告しています。

一方、挙国一致報道が布かれた日本国内に於いて国民は、アメリカとの国力差を知る術はなかった…
かというとそうではなく、歴史学者で東京大学教授の加藤陽子氏は“実は小学校などに内閣が配っている冊子で日米の差をわかりやすいグラフで公表していました。むしろこういう差を乗り越えてやるという精神論になっていたと思います”と語っています。


“軍も、内閣も、国民も国力差を認知していたのになぜ戦争?”

この疑問を解く手がかりとなるのは、【総力戦研究所】の【日本必敗】の報告を受けた際の東條英機陸相の言葉です。
“その結果はあくまで机上の演習であって、実際の戦争は計算通りには行かない。日露戦争だって大日本帝国は勝てる戦と思ってやった戦争ではなかった。意外裡な事が勝利に繋がつていくのだ(要約)”と、彼は語っています。

日露戦争は確かに国力差1対10といわれる大国ロシアを打ち破った快挙でしたが、実際は日本側が倍以上の人的損害を被って戦う余力もない辛勝で、陸軍を率いた当事者である乃木希典大将はそのことを終生自分の罪として責め続けました。
(当時ロシアは国内にロシア革命の火種を抱え、国外にはヨーロッパ諸国との戦争の恐れがあったため講和に応じた)
しかし政府や軍はそうした負の側面は省みようとはせず、戦争での武勇伝を強調した色絵や少年雑誌などを通して愛国心と国威発揚に利用し、やがて大人になった彼らが無謀な日米戦争を待望する世論を形成していったのです。
さらに、歴史を冷静に省みれば日露戦争で獲得した南満州鉄道という僅かな権益こそが、日中戦争や太平洋戦争のそもそもの原因となりました。


後世の多くの人は、単純に軍や東條英機首相の軍国主義によって戦争が引き起こされたと思っておられるかもしれません。
しかし実際は彼らも日米戦争の無謀は十分自覚していて、本音は戦争したくない(もちろん本心から戦争したい人もいた)がそれまで散々大言壮語を吐いて国民を抑圧し膨大な軍事予算(国家予算の7割~8割!)を独占してきた手前、いざとなって“戦争できない”とは口に出せなかったのです。

実際、開戦を決断した東條英機首相も指導力や精神力は凡庸でしたが陸軍トップとして彼らを統制でき得る立場にあり、昭和天皇への忠誠心を買われて起用されたもので、戦争回避を願う昭和天皇の御心に沿うべく尽力したものの、結局力及ばず開戦の引き金を引く皮肉な役回りを演じることになりました。


そして、あまりに残念過ぎることは

当時の内閣や陸海軍の首脳らの誰もが対米戦争に勝ち目がないと認識しながらも誰ひとりとして自らの口で戦争回避の意思を示そうとはせず自分以外の誰かがそれを言い出してくれるのをじっと願望するだけに終始してしまったこと
です。
戦争回避するということは幾万の屍の代償を払った中国からの撤退であり、それまでの国民生活を犠牲にした極端な軍事優先政策の過ちを認めることであり、
その責任の全てを背負おうとする最高指導者が誰ひとりとしていなかったことです。

その決断は
主権者である天皇と、一億の民の安寧を守るべき自らの使命の放棄を意味すること
であるにも拘らず…。



~Epilogue~

大日本帝国が太平洋戦争を開戦した理由について、アメリカ合衆国(America)・イギリス(Britain)・中華民国(China)・オランダ(Dutch)による経済制裁【ABCD包囲網】、とりわけ1941年7月28日の日本のフランス領インドシナ南部への進駐(南部仏印進駐)に対する報復としてアメリカが8月1日に発動した【石油の全面禁輸】がその決断を迫ったとする説があります。

これには重要な経緯があって、同年6月に海軍国防政策委員会・第一委員会という対米強硬派が『現情勢下ニ於テ帝国海軍ノ執ルベキ態度』なる報告書を軍令部総長・永野修身大将に提出しており、その中で“泰仏印に対する軍事的進出は一日も速に之を断行する如く努るを要す”や“(米英蘭が石油供給を禁じたる場合)猶予なく武力行使を決意するを要す”、“(政府及陸軍に対し)戦争決意の方向に誘導するを要す”と提言、これに感化された永野大将は以降本報告書のとおりに【大本営政府連絡会議】に提言し、事実そのとおりに国策が動き、そのとおりに戦争へと突入してゆきました(第一委員会のメンバーの一人は“(日本を)戦争にもっていったのは俺”と発言しているそうです)。


転じて2017年9月11日、国連安全保障理事会は6回目の核実験を実施(同3日)した北朝鮮に対し、石油輸出の3割削減や繊維製品の輸出禁止などを柱にした制裁決議案を全会一致で採択しました。
これまで国連は2006年以降9回の制裁決議を採択していますが、結果が示すとおり北朝鮮は制裁に対しては反発して新たなる強行手段で応えてきました。
一般論として“経済制裁が目的達成の有効な手段と考える国際政治の専門家はほとんどいない”と言われ、北朝鮮の場合に限っても過去10年以上に亘る経済制裁が核・ミサイル開発を止めさせる目的を全く達成できませんでした(むしろ加速した)。


“効果がないのに、何のために経済制裁を行うの?”

実は、大日本帝国が行った真珠湾攻撃には【陰謀説】があります。

真珠湾攻撃は宣戦布告前の【奇襲】だったからこその大戦果だったわけですが、実はアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは奇襲攻撃の情報を事前に察知しながらも、敢えてそれを放置し奇襲させたというのです。
背景には、ルーズベルト大統領は選挙戦で“あなたたちの子供を戦場には出さない”と公約にしていたためアメリカは当時中立を保っていましたが、ドイツに苦戦するイギリスから参戦要請があり、“(公約上)自分からは攻撃できないが、日本から攻撃を仕掛けてくれれば自動的に同盟国のドイツにも攻撃できるのに…”という心理状況がありました。
そのためには日本を挑発する必要があり、だからこそ日本にとって受け入れ難い要求や経済制裁を行使した…というのです。


この陰謀論の真偽はともかく、【経済制裁は戦争覚悟の最終外交手段】です。
仕掛ける方にとっても戦争を覚悟した上だからこそ取れる非常手段であり、それが[遠い海の向こうを戦場]とするなら絶対的な武力を持つ強者にとって、【弱者が戦争を仕掛けてくれた方が手っ取り早く目的を達成できる】ともいえるし、だからこそアメリカは毎年のように世界各地で戦争を行ってきました。

しかし、既にノドン・ミサイル200基が射程に入れている日本は話が別です。
もし米朝戦争が起こったとしてアメリカが北朝鮮を爆撃しても北朝鮮のミサイルは米本土には届かず、反撃ミサイルの殆んどは韓国と日本が浴びることとなります。
北朝鮮は必敗として、言われているように金正恩総書記がならず者であるなら、トランプ大統領と一体となって世界中で北朝鮮への経済制裁を働き掛けて金王朝を滅亡に追いやる片棒を担いだ安倍首相(のいる日本)にミサイルの雨を注ぐことをためらうでしょうか…。


昨年安倍首相が真珠湾訪問したことについて、辻元清美議員が衆議院に対し『「真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状」に関する質問主意書』を提出しています。
(※2016.12.25に提出されたオリバー・ストーン監督の公開質問状を補足する形で辻元氏が質問したもののようです)

内容は【真珠湾攻撃は「侵略行為」という認識か(8-7)】、【日本の二百万余の戦没者は、「日本の自存自衛とアジアの平和」のために命を捧げたという認識か(8-4)】といった戦前の日本が執った軍事行動についての安倍首相または政府の認識を問うものですが、これに対する安倍首相側の返答は[歴史的な事象に関する評価については、専門家等により議論されるべきもの]、[お答えすることは困難]と、一般論にすり替えてその殆んどをまともに答えていません

一専門家の認識は個人の自由ですが、
“その言動が全国民の運命を左右する現職の首相だからこそ、答える義務がある”のではないでしょうか?


私はその事を、【1941.12.08の歴史】に学びました。
当時の日本政府の下した決断により日本人が310万人、アジアで2000万人以上が亡くなったことを。

しかしその重さに反し、その責任のある戦争指導者たちの判断はあまりに安易でした。
そして、それと“同じ過ちの本質”は、今も私たちの社会に息を潜めています
もう二度と同じ過ちを繰り返してはなりません。

【戦後73年】が、「New Year's Day」からもずっと続いてゆく未来を祈って…。



「ニュー・イヤーズ・デイ」


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