I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

「ネバー・サレンダー」コリー・ハート

2019.02.15

category : 1980年代

Corey Hart - Never Surrender (1985年)


~概要~

コリー・ハートはカナダで30曲のTop 40 / アメリカで9曲のTop 40ヒットを持ち、世界での総売り上げが1600万枚に上るカナダの男性歌手です。
1980年代の活躍が顕著で、同じカナダ出身で同時期に活躍したブライアン・アダムスとよく比較された存在でした。

レコード・デビュー前の1980年、18歳の時に日本武道館で開催された第11回『世界歌謡祭』にカナダ代表として出場し「Trudy Blue」という曲を歌唱していますが、本選に進むことは叶いませんでした。
1983年にアルバム『First Offense』でデビューを飾ると、1stシングル「Sunglasses at Night」がいきなり全米7位を記録し、『グラミー賞』で【Best New Artist】にノミネートされています。

「ネバー・サレンダー」は、1985年の2ndアルバム『ボーイ・イン・ザ・ボックス(Boy in the Box)』からの1stシングルで、Billboard Hot 100の3位(年間44位)を記録した、コリーの代表曲です。
カナダでは9週No.1で年間2位に輝いたほか、カナダのグラミー賞に相当する『ジュノー賞(Juno Awards)』ではブライアン・アダムスの「Run to You」との争いに勝ち、【Single of the Year】を受賞しました。
PVは、父親に抑圧されくすぶっていた若者が夢を諦め切れず、嵐の夜に1枚の家族写真を持って家を出て都会へ旅立つ…といったストーリーになっています。


余談になりますが、当時コリーには映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年7月公開)の主人公マーティ・マクフライ役のオファーがありました。
スティーヴン・スピルバーグから脚本とスクリーン・テストの招待を受けていたものの、“音楽に専念したい”と辞退したそうです。
また、翌年の映画『トップガン』でも「Danger Zone」を歌って欲しいとのオファーがありましたが、“自作曲で”と望んだため流れています。


 



~ Never Surrender 母の訓え~

「Never Surrender」の作者は、コリー・ハート。
2012年のインタビューによると、インスピレーションはコリーのお母さんの言葉だったといいます。
一家は5人きょうだいでコリーは末っ子、しかし両親は彼が10歳の時に離婚してしまい、以後コリーは母と兄と暮らし成育しました。
そして“たとえどんなに困難で尻込みさせるものであっても、夢と自分自身を投げ出しちゃいけない”、というのがお母さんの訓えだったそうです。

また、コリーは第二次大戦時の英国首相ウィンストン・チャーチルの伝記の愛読者で、“Never Surrender”はナチス・ドイツの猛攻がイギリス本土まで迫っていた1940年6月4日、チャーチルが下院で徹底抗戦の覚悟を唱えた演説の有名な一節“we shall fight on the beaches, we shall fight on the landing grounds, we shall fight in the fields and in the streets, we shall fight in the hills; we shall never surrender.”にも由来するようです。


コリーの母への想いには、続きがあります…
2018年、コリーは「Another December」という曲を発表しており、ここで彼は幼少から授かったお母さんの言葉やあたたかい光を、56歳を迎えた今日のクリスマスに思慕する内容となっています。

Ah, rest in heaven...





~Epilogue~

競泳女子の池江璃花子選手が2/12(火)、自身のツイッターで「白血病」と診断されたことを公表し、日本中を驚かせました。
また、翌2/13(水)には国民からの多くの励ましのメッセージに対し「神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はない…必ず戻って来ます」と感謝のツイートを投稿しました。
私は「まさか」という直感と共に、本人は相当なショックだったろうにその混乱の中で自ら病気を公にした彼女の勇気に驚かされた一方で、オリンピックのメダルを期待される世界一流のアスリートとはいえ18歳の少女が、自らの病気と向き合う以外に見ず知らずの人の声や自分の抜けた水泳界を気遣っていることに胸が痛みました。

白血病というと「血液のがん」ともいわれ、『世界の中心で、愛をさけぶ』のヒロインの少女の命を奪った病気として多くの方も強く印象に刻まれていると思いますが、実際の白血病は「急性/慢性」「骨髄性/リンパ性」などで病状も治療法も大きく異なるそうで(白血病の種類は極めて多い)、池江さんの場合・現時点で公表されているのは「白血病」だけであることから、専門の医師は「本人を診ずに、特定の個人に結び付けて病状を解説や推測するのは正しい姿ではない」と指摘しています。
また、池江さんの病気公表以来、骨髄バンクへの問い合わせや登録が増えている件についても、同医師は“骨髄提供には一定のリスクが伴うので、よく理解した上で協力していただきたい”とのことでした。


「水泳なんていい、とにかく長生きして」 2019.02.12.

白血病が公表された直後、池江さんのお祖母さまの言葉。
たとえ彼女が有名選手でなくても、世界一でなくても、かけがえのない大切な存在として無条件に愛している人だからこその言葉です。

一方で池江選手には「金メダル」や「世界記録」という大きな夢があり、それを最大の目標に人生の大半を生きて来られたはずで、たとえ一時的であるとしてもそれを止めなければならないというのは、彼女にとって呼吸をする鼻と口を塞がれたに等しい苦しみに違いありません。
現時点で彼女は「自分に乗り越えられない壁はない」と気丈な言葉を残していますが、水泳選手としては時間が止まったままであり、高い目標を掲げているが故、闘病生活が長くなるほど仲間やライバルから引き離されてゆく自分への焦りが強まってゆくのではないでしょうか…。

Cause no one can take away your right
誰にも奪い去ることなんてできない
To fight and to never surrender
君が苦難に立ち向かい、決して諦めないその権利を

アスリートは孤独といいますが実際は競い合う相手があり、対して病は競う相手のない本当に孤独な闘いです。
いま私が願うことは、これまでアスリートとして鍛え抜いた体力と精神力のすべてを注ぎ、この世にひとつしかないあなたの生命を脅かすものとの闘いに勝利すること。
…そしてきっと、お祖母さまを喜ばせてあげてくださいね。



「ネバー・サレンダー」


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「愛に抱かれた夜」カッティング・クルー

2019.01.26

category : 1980年代

Cutting Crew - (I Just) Died In Your Arms1 Cutting Crew - (I Just) Died In Your Arms2


Cutting Crew - (I Just) Died In Your Arms (1986年)



~概要~

カッティング・クルー(Cutting Crew)は、イギリスのバンド【The Drivers】のニック・ヴァン・イード(Nick Van Eede;vo)がカナダ・ツアーをサポートしたカナダのバンド【Fast Forward】のケヴィン・マクマイケル(Kevin MacMichael;g)と出会い、“僕の音楽をわかってくれて、僕にない上品さと威厳を与えてくれるパートナーをずっと探し求めていた。ケヴィンがその人だと思った”と感じ、半ば強引にケヴィンを引き抜いてロンドンで結成したバンドです。
バンド名は、ニックがロック雑誌でクイーンのレコーディングについての記事の中に見つけた【Cutting Crew】([レコーディング・バンド]という意味で使われていた)の文字を気に入り、それを引用したとされています。

1986年7月25日、デビュー・シングルとなる「(I Just) Died In Your Arms」がイギリスでリリース、全英4位(年間44位)と絶好の滑り出しを見せ、同年11月には1stアルバム『Broadcast』を発表し同曲もこれに収録されました。
同曲のアメリカでの発売は1987年1月1日で、それから4カ月かけた5月2日に Billboard Hot 100の No.1(2週/年間32位)、ケヴィンの母国・カナダでも3週No.1(年間7位)に輝き、無名の新人バンドとして異例の快挙を遂げています。
その後も「I've Been In Love Before」が全米9位、アルバムも全米16位を記録するなど著しい活躍によりグラミーでは【Best New Artist】にノミネートされました。

日本では「愛に抱かれた夜」という邦題で【スズキ・カルタスGT-i】のCMソングに起用され、『第16回東京音楽祭』にも出場しました。
こうしたメディアの後押しを得て1987年にオリコン洋楽チャートで1位を記録する輝かしい成功を収めたものの、カッティング・クルーのセールスはその後急下降し1993年に解散、2002年にはケヴィン・マクマイケルが肺がんのため死去…
で、バンドの歴史は幕を閉じると思われましたが、2005年にニックを中心に再結成、2015年にもアルバムを発表するなど現在も活動を続けている模様です。


 
 



~Lyrics~

Broken hearts lie all around me
あたり一面、横たわる絶望と悲しみ
And I don't see an easy way to get out of this
ここから抜け出す平易な途が見えない…

「愛に抱かれた夜」というロマンティックな邦題ですが、メロディはセンチメンタルです。
歌詞はこのセンテンスが象徴しており、決して甘美な物語ではありません。

【a boy like me】な主人公が、【She's loving by proxy(代理)】な彼女に恋をし、【I'm a name on a list】として扱われる…
大人でも十分キツい状況ですが、少年だとまさに【Who would've thought】でしょう。


The curtains are closed, the cats in the cradle
閉められたカーテン、揺りかごの猫たち

定説があるわけではないのですが、本作には過去の名作を想起させるフレーズがいくつか見られます。
(バンド名の【Cutting Crew】も雑誌からの引用である)
アメリカのシンガーソングライター、ハリー・チェイピン(Harry Chapin)1974年の作品に「Cat's in the Cradle」というのがあり、もどかしい関係を暗示するかのように配置されているのが印象的です。
ちなみに、英語で【cat's cradle】はコレ!



ただし国際あやとり協会( ISFA )によると、[cat's cradle(猫のゆりかご)]が【あやとり】を指すようになった由来はまだ明らかになっていないそうです(【String figure】もあやとり)。


It must have been something you said
その瞬間、君は言い残しただろう…

アメリカのフォーク・シンガー/コメディアンのスマザーズ・ブラザーズ1964年のアルバムに『It Must Have Been Something I Said!』というのがあります。
このジャケットを見ると“ギターを粉々に破壊”した写真となっており、2つの要素から私はロック界の有名な【あの伝説】を思い浮かべてしまいました…(話は本筋から逸れますが)。

二人がホストを務めた『The Smothers Brothers Comedy Hour』は1960年代後半アメリカの人気番組で、イギリスのロックバンド、ザ・フー(The Who)をアメリカで一躍有名にした【事件】があります。
1967年9月17日、ザ・フーが同番組に出演し「My Generation」を演奏しましたが、例によってギタリストのピート・タウンゼントによる“儀式”がはじまったもののこの日はこれに止まらず、ステージが大爆発してメンバーは怪我を負い、出番待ちのベティ・デイヴィスも気絶するという放送事故が発生しました。
原因はバスドラムに仕込んだ閃光粉の想定外の爆発で、キース・ムーンが安全基準を超える量を使用したことでした。
これが全米に衝撃を与え、直後に発売された「I Can See for Miles」がキャリアで唯一全米 Top10 入りを果たすことになりますが…。

Cutting Crew - (I Just) Died In Your Arms3 



~Epilogue~

I just died in your arms tonight
“今夜(いま)、あなたの腕の中で天に召された”

命を失うことは人生最大の不幸ですが、それが生を授かった者の宿命であるなら、誰もが抱くせめてもの願いでしょう。

実は、本作の着想は作者ニック・ヴァン・イードの実体験にあったといいます。
…とはいっても、実際に誰かが死んだというエピソードではないので、【died】をそのまま“死んだ”と表すことは逆に違和感がありました。
邦題の「愛に抱かれた夜」はその辺りの【背景】を上手く汲んで詩的に表現したものと想像しますが、元々“I just died in your arms”はニックが恋人と愛を確かめ合った夜の最高潮で発した言葉”だったそうです(英語でいうところの【little death】【Orgasm】の境地)。

そこで、和訳の際【died】を“昇天”とすることを思いつきますが、これはどうも【キリスト教的には正しくない】ことが判明しました。
キリスト教用語の【昇天】は“イエス・キリストに対してのみ使用”される言葉で、プロテスタントでは“信者が死んだ場合は天に召される(呼び寄せられる)”という意味で【召天】を使うそうです(ローマ・カトリック教会では【帰天】)。
一般的な日本語としては人の死も、快感の最高潮も【昇天】で問題ない…というか、IMEで【召天】は変換候補に出ません)


物語で二人は別れる結末ですが、作品にインスピレーションを与えた女性とニックはその後1996年に結婚に至っています。
しかも二人には娘さんがいて、“1986年5月生まれ”なのだそうです。
誕生した時期から、“I just died in your armsの夜”が生命を宿したのだろうか…
寒い夜は、そんな妄想に抱かれて眠るのも悪くありません。 



「愛に抱かれた夜」


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comment(16) 

「ハート悲しく」マーティ・バリン

2018.10.05

category : 1980年代

Marty Balin - Hearts1 Marty Balin - Hearts2


Marty Balin - Hearts (1981年)



~概要~

マーティ・バリンは1960年代後半にカウンター・カルチャーの象徴にもなったアメリカのロック・バンド【ジェファーソン・エアプレイン(Jefferson Airplane)】の創設者の一人でもあったシンガーソングライターです。
1981年に1stソロ・アルバム『恋人たち(Balin)』を発表、ここから生まれた自身最大のヒット曲が「ハート悲しく」でした。
Billboard Hot 100での最高位は8位ですが年間では41位と、トータルとしてロング・ヒットを記録しています。

作者のJesse Barishは70年代初めからマーティの友人であり、1978年にジェファーソン・スターシップ時代のマーティが歌ってヒットさせた「Count on Me」(全米8位)の作者でもあります。
Jesse Barishは後年自身のアルバム『Farther Sun』で「Hearts」をセルフ・カバーしており、この“あっさり味”はマーティver.と異なるテイストですが甲乙つけ難い魅力を感じました。

「ハート悲しく」のライナーノーツ(日本盤)の解説は、現在も?2歳で現役バリバリの音楽評論家・湯川れい子さんが務めていましたが、その中で彼女が本曲を“まるで日本人のために書かれたみたい”と評したように、歌謡曲との親和性を感じるテイストであり、実際に同年10月第3週付よりオリコン週間シングル・チャート(洋楽部門)で7週連続1位に輝くヒットを記録しました。
そうした風潮は大衆に限らずプロである歌手も同様で、アイドル歌手・河合奈保子が1982年2月のライブ・アルバム『NAOKO IN CONCERT』で男女の立場を逆にした日本語カバーを披露し、同年7月には稲垣潤一が1stアルバム『246:3AM』でカバーしています(日本語詞:湯川れい子)。


 
 



~Lyrics~

Is everything all right?
万事、うまくいっている?
I just called to say how lost I feel without you
君なしで途方に暮れる男の気持ちを伝えようと、電話したんだ

別れた相手からの電話…
あなたは、“その話”をどう受け止めるでしょう…
“逆転”できる可能性は?

ところで、【I just called to say...】のフレーズに覚えがありませんか?
…そう、スティーヴィー・ワンダー の名曲「心の愛」の原題が「I Just Called to Say I Love You」でした。
伝えたい内容は変わらないのに、ずいぶん印象が異なるものです…。 


Miles away
でも何マイルも離れ
I really can't believe I'm here and how I still care about you
僕はこんな所で、まだこんなにも君を気に掛けているなんて…

歌詞だけだと何となく過ごしてしまう部分ですが、PVを見るとまさに【I really can't believe】!
何故なら…映像でマーティのいる【here】って、“離れ小島にある牢獄”なのです!! 
マジで“こういうストーリー”なのか、PVだけの“ネタ”なのかは分かりませんが…。
(“過去という時間の囚われ人”の意味かもしれない)

その外観から、恐らくこの牢獄はクリント・イーストウッドの映画にもなった【アルカトラズ島刑務所】で、赤い吊り橋はゴールデン・ゲート・ブリッジ…つまり舞台はサンフランシスコ・フィッシャーマンズワーフ周辺と思われます《地図》。
同島刑務所は連邦刑務所時代は凶悪犯を収容する施設として“脱獄不可能”とまで言われる要塞でしたが、施設の老朽化で1963年に閉鎖され、その後サンフランシスコの観光名所として解放されています。

Marty Balin - Hearts3


'Cause each and every day
来る日も、くる日も…
I think of all the words I never said and all the chances that I had to
口に出せなかった言葉や、生かせなかったチャンスへの想いが込められた歌

【say】は最も簡単な伝達手段ですが、時として“最も難しい伝達手段”でもあります。
そんな時、文章なら口にできない心の内も素直に表すことができたりします。
昔の人は短歌や俳諧にしてみたり、シンガーソングライターなら気の利いた歌?

まぁ、思ったことを形にすることが逆効果をもたらすこともありますが…。



~Epilogue~

9月27日、76歳でこの世を去ったマーティ・バリン。
死因は明らかにされていませんが、彼は2016年に心臓の手術を行い、同年・医療ミスでニューヨークの病院を訴えていたという情報もあります。

当時・河合奈保子や稲垣潤一がカバーするほど「ハート悲しく」が日本で愛されていたことは先にお伝えしましたが、実は彼ら以上の“大スター”も本曲をカバーしています。
それは、今や誰もが知るあの国民的スター【嘉門雄三】で、1982年3月に洋楽カバーを集めたライブ・アルバム『嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!』で歌唱されました(※5曲目)。

これに止まらず、嘉門雄三はよほど本曲を気に入っていたのか、同年リリースした「チャコの海岸物語」や「夏をあきらめて」では、まるで「ハート悲しく」を彷彿させるサウンドを展開…
と書けば、この嘉門雄三なる人物が誰か、おわかりでしょう? 

…そう、その男の本名は【桑田佳祐】、もちろんこの2曲はサザンオールスターズの作品です!
(嘉門雄三は変名で、敬愛する茅ヶ崎の大先輩・加山雄三に因(ちな)み、【嘉門】姓は「チャコの海岸物語」の営業回りを手伝った事務所の後輩・嘉門達夫に受け継がれる)

 


また、稲垣潤一のデビュー曲は「雨のリグレット」ですが、当初「ハート悲しく」でデビューさせようという案もあったそうです。
この2曲の作詞を務めたのは湯川れい子さんですが、マーティがプロモーションで来日した際彼女が“これは「ハート悲しく」にインスパイアされて出来た曲”と言って「雨のリグレット」をプレゼントした所、彼はこれを大いに気に入って自分でもオフコースやもんた&ブラザーズのレコードを買い集めたといわれます(「雨のリグレット」の作曲者はオフコースの松尾一彦)。
その後マーティは日本で「雨のリグレット」の英語カバー「Regrets of the Rain」を含むミニ・アルバムをリリ-スしたり、KBCバンドやジェファーソン・スターシップとしてオフコースのカバー「Sayonara」や「Yes Yes Yes」を発表するなど、J-POPを愛した人でもありました。


Hearts can break
引き裂かれる二つの心
And never mend together
一つ手を取り合うこともないままに
Love can fade away
愛は褪せてゆく

マーティと私は非常に深い愛を共有しており、彼の存在によって永遠に私は満たされることになるでしょう…” (彼が亡くなった後に発表された、奥さまによる声明の一部)

R.I.P. Marty Balin 



「ハート悲しく」


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「アイ・ライク・ショパン」ガゼボ

2018.06.01

category : 1980年代

Gazebo - I Like Chopin1 Gazebo - I Like Chopin2


Gazebo - I Like Chopin (1983年)



~概要~

「アイ・ライク・ショパン」は1984年に日本で20.3万枚を売り上げ、オリコン洋楽シングル・チャートで13週連続1位を獲得し総合年間でも66位に入り、同年の洋楽曲として最大のヒットを記録したガゼボのシングルです(以下、75位「ファー・フロム・オーヴァー」、77位「里見八犬伝」、81位「Say Say Say」、94位「フットルース」)。

ガゼボは外交官の父とアメリカ人歌手の母を両親にもつイタリアの歌手で、22歳の1982年にデビュー曲「Masterpiece」がイタリア国内で2位を記録するなど、幸運な音楽活動をスタートさせています。
翌83年にリリースした2枚目のシングルが「I Like Chopin」で、これがイタリアをはじめオーストリア/ドイツ/スイスなど15カ国でNo.1を記録、全世界で800万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
ガゼボは大の映画好きだそうで、「I Like Chopin」のPVは歌の内容とは全く関係のない、2時間サスペンスも真っ青なストーリー展開(メイン動画)!

1984年になると余波は極東の日本にも及び、「I Like Chopin」を日本語歌詞で書き換えた「雨音はショパンの調べ」小林麻美によってカバーされ、オリコン週間3週連続No.1(年間12位)を獲得、52.0万枚を売り上げる大ヒットとなりました(別項参照)。
この大ヒットの影響で原曲であるガゼボの「アイ・ライク・ショパン」にも脚光が集まって上記のようなヒットに至っていますが、この2つのバージョンを合わせると楽曲の総売り上げは72.3万枚となり、これは同年のセールスでみると年間2位に相当する異例の大ヒットといえる成績です(1位「もしも明日が…。」96.9万枚/2位「ワインレッドの心」69.6万枚)。

日本では一般に“ガゼボはこの一発で終わった”と認識されていると思いますが、実は21世紀の現在も彼は歌手として現役バリバリです!
さすがに「I Like Chopin」以降目立ったヒット曲はみられないものの、その後も2~3年おきぐらいでコンスタントにアルバム発表を続けており、今年も『Italo By Numbers』をリリースしています。


 
 



~Lyrics~

Remember that piano
あのピアノを忘れないで
So delightful unusual
とても心地よくて、でもほかにはない…

【piano】ときて【Chopin】というと、やっぱり“あのショパン”を連想するでしょう。
音楽の教科書にも登場する19世紀のポーランドの作曲家、フレデリック・ショパン(Frédéric François Chopin)。

私が人生で初めて触れたショパンは宇津井健/水谷豊がピアノ・コンクールに挑戦するドラマ『赤い激流』で、毎週そのフレーズが繰り返された「英雄ポロネーズ」(ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」/La Polonaise héroïque)。
でもこれだと確かに【unusual(並はずれの)】ですが、「I like Chopin」に流れるピアノのテイストとはイメージがかけ離れています。

 

Used to say
いつも話していたね
I like Chopin
ショパンが好きだって

一方、ショパンの代表曲の一つ「雨だれの前奏曲(作品28 第15番)」(The Prelude Op. 28, No. 15)は“雨音”のような連打音が特徴の作品で、まさに“ピアノの詩人(le poète du piano)”たる趣きです。
[A-B-A]という三部形式で構成されており、優美で心地よい[A]に対し[B]は“雨音”が重苦しさを醸し出しています。
これは一体、何を意味しているのでしょう…(別項参照)。

ちなみに、ショパンの『24の前奏曲』はJ.S.バッハの『平均律クラヴィーア曲集』に触発された全24曲の異なる調性の小品から構成されている作品で、「第7番“イ長調”」は“胃腸薬”『太田胃散』のCM曲としてお馴染みですネ?


Rainy days 断ち切れず 窓を叩かないで

小林麻美の「雨音はショパンの調べ」より。
小林麻美は1972年に麻丘めぐみらと共にデビューした元アイドル歌手ですが、当初から殆ど笑顔を見せず猫背で気だるそうに歌っていたためアイドルとして大きな成功は得られなかったようです。
しかし1984年、31歳の大人の女性となって発表した「雨音はショパンの調べ」では、彼女のそうした【アンニュイ(ennui;倦怠)】が“都会的でファッショナブル”と評され、曲だけでなくアイコンとして人気を博しました。

一方、「雨音はショパンの調べ」は原曲「I Like Chopin」とは一部を除いて別の日本語詞となっており、作詞は松任谷由実が担当、2003年の『Yuming Compositions: FACES』でセルフ・カバーしています。





~Epilogue~

【雨】と【ピアノ】の共通点というと、“叩く”でしょうか…
楽器が奏でる音は吹奏楽器のように“息(空気)で音を出す”ものや、弦楽器のように“擦り合わせて音を出す”もの、打楽器やピアノのように“叩いて音を出す”ものなどが浮かびますが、空から降って何かと衝突する雨音はやはり打楽器系の音が直感的です。

ショパンの「雨だれの前奏曲」は、病気療養(肺結核といわれる)のため当時の恋人ジョルジュ・サンドと赴いたスペイン東部にあるマヨルカ島で過ごした一冬の体験が投影された作品です。
邪魔者から解放され恋人と水入らずでいられた穏やかな時間、そして島を襲った突然の嵐と悪化する一方の闘病生活の絶望を、“雨だれの音”を通して表現しているとされます(諸説ある)。


また、1985年の稲垣潤一のシングル「バチェラー・ガール」(作詞 : 松本隆 作曲 : 大瀧詠一)は、“雨はこわれたピアノ/舗道の鍵盤を叩く”と喩えました。
検索の過程で思わぬ“掘り出し物”だったのが、杉真理「バカンスはいつも雨」(1982年)。
当時グリコ・セシルチョコレートのCMに使われていた曲で、お気に入りの一曲でしたが近年すっかり忘れており、今回の発見は物置の奥から幼い頃の思い出の品を見つけたようなうれしさが込み上げてきました(…それにしても、堀ちえみが若い!)。

 


Rainy days never say goodbye
Rainy days...さよならは決して言わない

とかく、気分まで“湿りがち”な梅雨…
でも、日本の童謡「あめふり」(作詞:北原白秋、作曲:中山晋平)では、雨の日にお母さんが迎えに来てくれる雨音を“ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン”と表現しました。
ドリフターズは、“雨音さえもコント”にして笑わせてくれました。

雨の季節、あなたがやさしい響きの雨と出あえますように…。



「アイ・ライク・ショパン」


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「オーバーナイト・サクセス」テリー・デザリオ

2018.04.06

category : 1980年代

Teri Desario - Overnight Success1 Teri Desario - Overnight Success2


Teri Desario - Overnight Success (1984年)



~4月は、「Overnight Success」の始まり?~

4月は、新入学生や新社会人を迎える時期。
日本では【学校年度】が4月1日開始となっていますが…でも何で4月?

実は“世界の多くの国の学校年度の初めは9月”であり、4月というのは世界でも稀です。
(他にはパナマぐらい)
明治時代の初め、西洋の教育が導入されると9月入学が取り入れられたものの、1886年(明治19年)に政府が【会計年度】の開始月を4月に変更したため、以来学校年度もこれに合わせて運用されるようになりました。

…でも、何で会計年度が4月に?

調べてみると、経緯は“海軍拡充により生じた財政赤字を穴埋めするために、酒造税の納期(第1期が4月)に合わせて年度変更するほかに方法がなかった”という意外な事情が始まりでした。

“桜が咲く”という夢のある理由ではなかったのね…? 



~概要~

「オーバーナイト・サクセス」はアメリカのシンガーソングライター、テリー・デサリオ(Teri DeSario)によって歌われた歌曲です。
1978年にビー・ジーズのバリー・ギブに見出されデビュー、翌1979年にリリースした70年代のディスコ・バンドの代表格KC&ザ・サンシャイン・バンドのK.C.ことハリー・ウェイン・ケーシー(高校の同級生)とデュエットしたバラード曲「Yes, I'm Ready」が全米2位の大ヒットを記録しました。

1984年に「Overnight Success」をリリースすると、オリコン洋楽シングル・チャートで11週連続No.1(オリコン週間9位/85年の年間47位)を記録、これは同年の洋楽シングルではリマールの「ネバーエンディング・ストーリーのテーマ」に次ぐ年間成績でした。
この曲はSONYのカセットテープ・ビデオテープのコマーシャルソングとして制作されており、当時テレビでのCMやラジオ番組『SONY Night Square』でも頻繁に流され、28万枚の大ヒットの要因となっています。
こうした経緯による作品であるためアメリカではシングルがリリースされておらず、日本とオランダのみの発売でした。

また、本作映像もSONY製品のCM用に制作されたもので、クレジットには多くの日本人の名前が連なっています。
CMで女の子が店のショーウインドーの前でバレエを踊るシーンをご記憶の方もあると思いますが、本作品はブロードウェイに挑戦する若者の心情をテーマとしており、このあたりは前年大ヒットした「Flashdance」を意識したのでしょうか…。

作者のジョーイ・カルボーン(Joey Carbone)は先ごろ紹介したジョン・オバニオンの「里見八犬伝」の作者であり、もう一人の作者リッチー・ズィトー(Richie Zito)はこの作品以降80年代後半にチープ・トリック『Lap of Luxury』やバッド・イングリッシュ『Bad English』、ハート『Brigade』をプロデュースするなど、その才能を開花させました。

 



~【カセットテープ】のお話~

SONY、TDK、maxell、TEAC、Fuji、AXIA、That's、DENON、BASF…
数あるカセットテープの中で、私が初めて買ったのはSONY AHFでした。
90分1本で1000円近くした記憶がありますが、現在だとそれでCD-R50枚が買えちゃいますね!

当時のSONYテープの特徴といえば何といっても“メタリック・カラー”で、とにかく派手でした。
SONYのテープには【HF】を冠するテープが多いですがこれは【Hi-Fi(ハイファイ)】、つまり[High Fidelity(高再現性)]を意味しており、ノーマル・テープだと[CHF<BHF<AHF]のグレードになっています。
Youtubeに当時のSONYテープ総合カタログを紹介した動画を見つけたので、思わず懐かしさが込み上げてきました♪

1984年頃になるとこれらの後継として(再)登場したのが【HF】シリーズ(HF<HF-S<HF-X<HF-ES<HF-PRO)で、「オーバーナイト・サクセス」がCM曲となっていたのは【HF-S】【HF-ES】です。
この頃になるとカセット本体の内部が見える[透明デザイン]が取り入れられており、当初斬新さを覚えたものの慣れると逆に安っぽく見えるでしょうか…。

 


1980年代、音楽の記録媒体として主流だったカセットテープも、今は昔…。
現在も使用している人はごく少数と思いますが、近年これが意外な高値で売買されていることをご存知でしょうか?

最近ネット・オークションを覗いてみるとSONY AHF未開封で1本2000円以上、中古品でも1本数百円ぐらいで売買されていました。
でも、もっと驚いたのは私が昔電気店の店頭で100円で買ったオモチャみたいな安テープが新品4本で13000円で落札されていたことです(中古も高値)!
こんなテープ、いっぱい持ってたのに…。


高値で買っているのがそうであるかはともかく、近年若者の間で【昭和レトロ・ブーム】が続いていて、彼らがレコードやカセットテープを好んで聴いているそうです。
昭和に青春時代を過ごした世代にとってこれらのアナログは昔を思い起こし懐かしい気持ちにさせてくれますが、ネットでいつでも好きな曲が聴け、音楽をデータとして扱うのが当たり前の時代に生まれ育った若者にとって、テープを巻き戻すなど面倒な操作やノイズが入るアナログの音が新鮮なのだといいます。

確かに聴く毎に音が劣化するレコード/テープより、劣化しない音楽データの方が高性能であることは明白ですが、“心のどこかに異物感”があります。
昔の木造日本家屋や、セピア色に劣化した写真に接した際に覚えるあの懐かしさ、安心感とは正反対の感覚…
それはきっと、私たち人間とアナログは時と共に移ろう無常の存在であり、デジタルは生滅変化しない常住(じょうじゅう)の存在だからなのかもしれません。



~Epilogue~



ブロードウェイの舞台では、一夜にしてスターの座を勝ち取るか、
一夜にして振り出しに戻るか、そのいずれかである…


「Overnight Success」のPVの冒頭で、そう説明されています。

今この時点で国民の多くが思い浮かべるとしたら、それは今年メジャー・リーグに渡った【二刀流】大谷翔平選手ではないでしょうか?
正直私は、不調時序盤で大量失点する悪いクセを修正できないと“投手として苦戦(8-10勝)”、下位打線に定着する打撃成績では二刀流を続ける意義を問われ“打者としては長い目で見て厳しい”との予測で、現実にオープン戦はそれ以上に惨たる結果でした。

ところが、ふたを開けてみると開幕10試合で2勝/.389/3本塁打/7打点という豹変ぶり!
このままいくと年間162試合で[32勝/48発]する勢いですが…
妄想はともかく、彼の持つ可能性がどこまで到達するのか楽しみな一年となりそうです。

An overnight success
一夜にしての成功
You hold the key to your happiness
幸福への鍵は、あなたの掌に

古い常識を越えて、どこまでも高く翔び立て!



「オーバーナイト・サクセス」

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tags : 音楽 Lyrics 和訳 洋楽 

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