「フォーエヴァー・マン」は、エリック・クラプトン1985年の9thソロ・アルバム『ビハインド・ザ・サン(Behind the Sun)』の収録曲です。 1stシングルとしてカットされ、Billboard Hot 100 で26位を記録しました。
1984年、エリックは当代一のヒットメーカーの一人となっていたフィル・コリンズとセッションを行い、彼のプロデュースによりレコーディングして一枚のアルバムとしてまとめ上げました。 しかし移籍第一作であった前作『Money and Cigarettes』が移籍前のセールスを下回ったことや、今作でもシングルを担える曲に乏しいと判断したレコード会社は不満を示し、「Forever Man」を含むジェリー・リン・ウィリアムス(Jerry Lynn Williams)作詞・作曲による3曲と一部差し替えることを求めました。 このため「Forever Man」はフィル・コリンズではなく、レニー・ワロンカー(後のワーナー・ブラザース社長)とテッド・テンプルマン(ドゥービー・ブラザーズ/ヴァン・ヘイレンなど)のプロデュースによる作品となっています。
演奏面でも、「Forever Man」にはTOTOファミリーからスティーヴ・ルカサー(g)/ジェフ・ポーカロ(Dr)/レニー・カストロ(Conga)が参加しているのに加え、以降エリックを長年に亘ってサポートすることになるネイザン・イースト(b)が初参加ししていることも特筆すべきことでしょう。 また、2009年には『Live from Madison Square Garden』で【Blind Faith】の盟友スティーヴ・ウィンウッドとの共演が実現しており、ファンにとっては歓喜雀躍モノの映像となっています。
You have been abusing her for far too long お前はずっと彼女を虐げ続けた Think you are a king and she is your pawn まるで自分が王様で、彼女がその人質であるかのように
アルバム『Behind the Sun』収録の自作曲「She's Waiting」は、まるで当時のエリックとパティの関係を語っているかのようです。 そう仮定すると浮かび上がるのは、エリックのパティへの罪の意識と、もはや“別の愛”を心待ちにしているパティ(She's waiting for another love)との、埋めようのない心の乖離。 それでも引き留めたい男は、やはりこうするしかないのでしょう…
Won't you be my forever woman? 俺の“永遠の女”になってくれないか? I'll try to be your forever man, 俺も、お前の“永遠の男”になるよう努力する
「ホワイト・クリスマス」は、2018年10月12日発売(日本では11月7日)エリック・クラプトンの22thアルバム『ハッピー・クリスマス(Happy Xmas)』に収録されている作品です。 アルバム・タイトルのとおりクリスマス・アルバムで、これは長い彼のキャリアで初のこと。 クリスマスのスタンダード・ナンバーやホリデイ・ソングを中心として構成され、オリジナル新曲「For Love On Christmas Day」も収録されています。 アルバム・カバーのサンタクロースのイラストはKingston College of Art出身(中退)のエリック自身が描いたもので、インナーにも彼によるトナカイのソリに乗ったサンタの絵が挿入されました。
「White Christmas」は1940年にアメリカの作曲家アーヴィング・バーリンが作詞・作曲し、その後ビング・クロスビーによって歌唱され“史上・世界で最も売れたシングル”として有名なクリスマス・ソングのスタンダード・ナンバーです。 しかしエリック・クラプトンver.では、歌詞は基本的に継承されているものの“メロディーは別物”になっており、加えてエレキ・ギターやブルース調といったオリジナルと全く異なるアレンジは、歌詞を認識しないと“同名異曲の「White Christmas」”に聴こえるでしょう。 クレジットをみるとカッコ付きで(Arranged by Eric Clapton and Simon Climie) となっていますが、サイモン・クライミーは本作のプロデューサーで、80年代にはクライミー・フィッシャー(Climie Fisher)として活躍した人です。
この少年のストーリーは、エリックの少年時代の姿を彷彿とさせます。 1957年にアメリカのジェリー・リー・ルイスが「火の玉ロック(Great Balls of Fire)」を大ヒットさせていますが、当時12歳のエリック少年もこの刺激的なロックンロールに衝撃を覚えた一人でした。 しかし多くの人は【The Killer】ジェリー・リー・ルイスのワイルドな“パンピン・ピアノ”に魅了されたのに対し、エリックが特に目をつけたのはバックで地味に演奏するギター(ベース)でした。
“まるで宇宙人を見ている気分だった。僕もあそこへ行きたい…”
そこで彼は木を削ってギターの自作を試みるものの断念、家族にねだって13歳の誕生日に買ってもらった初めてのギターはエルヴィス・プレスリー・モデルのプラスチック製ギターでした。 “最初に練習したのはハリー・ベラフォンテの「Scarlet Ribbons (For Her Hair)」というフォーク・ソングだった。何度も聴いて、耳だけで覚えたよ”
~Epilogue~
少年時代、学校の勉強や女の子との会話が苦手でシャイだったエリックですが、“音楽がやりたい”ことだけははっきりしていました。 やがて友人に“シカゴ・ブルースの父”マディ・ウォーターズらのレコードを紹介され、そこからロバート・ジョンソンなどブルースへの傾倒が始まります。 エリックのブルースへの探求心は尋常ではなく、彼は日夜自室に籠ってコピー対象を何度も弾いてテープに録音し、完全に同じになるまでそれを繰り返す単調な作業を何時間、何日でも続ける…というもので、この頃の彼の様子について彼の祖母は“毎夜、リックの部屋から聞こえてくる調子外れな音に頭が変になりそうだった”と、証言しました。 一方、進学したKingston College of Artへの熱意はサッパリで、授業をサボってばかりの彼は“やる気のない人間を置いておくことはできない”と、学校を追い出される羽目に陥ってしまいます。
「チェンジ・ザ・ワールド」は、1996年7月に公開されたジョン・トラボルタ主演のファンタジー恋愛映画『フェノミナン(Phenomenon)』の挿入曲としてエリック・クラプトンが歌唱した作品です。 シングルとしてBillboard Hot 100の5位(年間19位)を記録し日本でもラジオ局J-WAVE(TOKIO HOT 100)で年間No.1に輝くなど、世界各国で大ヒットしました。 その後も日本ではカバー&CMなどで広く・長く愛され続け、2015年3月からはトミー・リー・ジョーンズ&タモリの不思議な空気感と共に“サントリー・コーヒー・プレミアムボス”のCM曲としてお馴染みでしょう♪
“ギター・レジェンド”のエリックが“当代随一の音楽プロデューサー”ベイビーフェイス (Babyface)とコンビを組んだことでも話題を呼んだ作品であり、ベイビーフェイスはPVにもギター・プレイヤーとして出演しました。 翌年のグラミーで「Change The World」は“最優秀レコード賞/最優秀楽曲賞/最優秀ポップ男性ヴォーカル賞”の三冠を獲得しており、その授賞式でもこの2人のギターの弾き語りによってパフォーマンスされています。 以来エリックのアコースティックの定番としてライブには欠かせないナンバーとなりましたが、一方のベイビーフェイスにとっても長年のレパートリーとなっているようです。
あまりにもこのイメージが強いせいか、彼またはベイビーフェイスの作曲と思われがちですが作者はこの何れでもなくトミー・シムズ(ブルース スプリングスティーンの「Streets of Philadelphia」をプロデュース)、ゴードン・ケネディ、ウェイン・カークパトリックによって1990年代前半に書かれたものです。 エリックがこの曲を聴いたとき車を運転しながらノンストップで200回聴き続けるほど気に入ったそうで、ヒットを確信したといわれます。
さらに、初めて「Change The World」を正式に発表したのはアメリカの女性カントリー歌手ワイノナ・ジャッド(Wynonna Judd)で、エリックver.の5カ月前の1996年2月にリリースしたアルバム『Revelations』に於いてでした。 エリックver.がグラミーで最高の評価を得たにもかかわらず、アカデミー歌曲賞の候補に挙がらなかったのはこのためと思われます。
…なんて、大業を目標に掲げた偉人が好んで言いそうなセリフ? 例えば2008年のアメリカ大統領選挙でバラク・オバマ氏が連呼した “Change, Yes, we can.(変えよう、我々ならできる)”が浮かびます。
あるいは、アップル・コンピュータ創業者のスティーブ・ジョブズ氏の有名な殺し文句! “Do you want to sell sugared water for the rest of your life, or do you want to come with me and change the world? このまま一生砂糖水を売り続けたいか、それとも私と一緒に世界を変えたいか?” [ペプシコーラの事業担当社長ジョン・スカリー氏(※)をアップルに引き抜いた際の言葉(※マイケル・ジャクソンをCMに起用するなど、ペプシをコーラ業界トップにした人)]
クリームは1966年に“The Graham Bond Organisation”のジンジャー・ベイカー(dr)が、当時早くも“CLAPTON IS GOD”と形容される存在となっていたエリック(g/vo)を新しいバンドに誘い、彼の“ジャック・ブルース(b/vo)を加えるなら”という条件の下に結成され、同年1stアルバム『Fresh Cream』でデビューしました。 1968年7月、3rdアルバム『クリームの素晴らしき世界(Wheels of Fire)』がリリースされますが、それとほぼ同時期に“バンドの解散(の意向)”という悲しい知らせが発表されてしまいます。 同年9月、「ホワイト・ルーム」はアルバムからの1stシングルとしてカットされBillboard Hot 100で6位(年間69位)を記録するものの、まさにその光の陰でクリーム最後のライブ(1968年11月26日のロイヤル・アルバート・ホール)が遂行され、バンドは実働2年という短い歴史の幕を下ろしました。
「ホワイト・ルーム」の作者は作曲がジャック・ブルース/作詞が詩人ピート・ブラウンで、もう1つの代表曲「Sunshine of Your Love」もこの二人のコンビによるものです。 「ホワイト・ルーム」…というか、クリーム・サウンドの特徴の一つであるギター音の独特な歪みは“ワウペダル (Wah-wah pedal)”というペダルを足で操作するエフェクターを用いたもので、当時のジミ・ヘンドリックスの影響を受けています。
In the white room with black curtains near the station. “その駅”の近くにある、黒のカーテンに閉ざされた白い部屋 Black-roof country, no gold pavements, tired starlings. 黒い屋根で覆われた国…黄金の舗道も無く、疲れたムクドリが佇む
「ワンダフル・トゥナイト」は1977年のアルバム『スローハンド(Slowhand)』の収録曲です。 “Slowhand”はヤードバーズ時代にライブでギターの弦を切って、弦を張り替える間観客がゆっくり拍手(スローハンド)して彼の戻りを待ったという逸話から名付けられたエリックの愛称で、彼の“代名詞”にもなっています。 アルバムはBillboardで2位を記録、ローリング・ストーン誌“500 Greatest Albums Of All Time”325位にも選ばれる名盤です。
「ワンダフル・トゥナイト」は78年に2ndシングルとしてBillboard Hot 100で16位を記録し、日本では1992年のドラマ『しあわせの決断』の主題歌にも起用されました。 当時の彼にしては珍しいしっとりとしたバラード・ナンバーで、ファンの間では賛否が分かれたようですが「いとしのレイラ」のように攻撃的でなくとも、この曲で聴かせる“泣きのギター”はやはり見事としか言いようがありません!