I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
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With The Beatles


A Hard Day's Night


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The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「スピックス・アンド・スペックス」ビー・ジーズ

2021.05.10

category : Bee Gees

Bee Gees - Spicks and Specks (1966年)

バリーが20歳で書いた作品は、齢を重ねかけがえない人生の大切さを知る人にこそ響くでしょう

] 《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


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tags : 1966年 ロック/ポップ 郷愁 映画70's 小さな恋のメロディ 

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「ギヴ・ユア・ベスト」ビー・ジーズ

2019.05.04

category : Bee Gees

Bee Gees - Give Your Best To Your Friends (1969年)

やさしい陽気と若葉の季節が似合う、楽しいアイリッシュ/カントリー・テイスト・ナンバー


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tags : 1969年 カントリー 友情 映画70's 小さな恋のメロディ 

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「ラヴ・サムバディ」ビー・ジーズ

2018.04.27

category : Bee Gees

Bee Gees - To Love Somebody1 Bee Gees - To Love Somebody2


Bee Gees - To Love Somebody (1967年)



~概要~

「ラヴ・サムバディ」はビー・ジーズがイギリスのポリドール・レコードに移籍後1967年6月にリリースした2枚目のシングルで、イギリスで41位/アメリカBillboard Hot 100で17位を記録し、2012年にはNME誌“100 Best Songs of the 1960s 94位”にもランクインした楽曲です。
リリースされた翌7月には1stシングル「ニューヨーク炭鉱の悲劇(New York Mining Disaster 1941)」も収録したアルバム『Bee Gees' 1st』を発表、英8位/米7位を記録するなど非常に順調な滑り出しとなりました。

一方、そんな時系列の中でビー・ジーズにまつわる人々が対照的な運命を辿っています。
1967年にビー・ジーズをオーストラリアからイギリスへと誘致し、彼らを世界的バンドに育て上げたマネージメント会社『NEMS(ネムズ)エンタープライズ』の経営者は、ビートルズを発掘したマネージャーでもあるあのブライアン・エプスタインですが、そのブライアンが同年8月27日に急死してしまったのです。
また、同じアトコ・レコードに所属するアメリカのソウル・シンガーで、ビー・ジーズの才能を愛し「To Love Somebody」を歌う予定もあったとされるオーティス・レディングも、1967年12月10日に自家用飛行機の墜落事故によって非業の死を遂げてしまいました。

他方、「ラヴ・サムバディ」は多くの名シンガーに愛されカバーされた楽曲で、ニーナ・シモンやロバータ・フラック、ジャニス・ジョプリン、マイケル・ボルトン(全米11位)マイケル・ブーブレほか挙げればきりがありません。
映画のサウンドトラック起用も多く、近年も『フィリップ、きみを愛してる!』(2009年)『50/50 フィフティ・フィフティ』(2011年)などありますが、日本では何といっても『小さな恋のメロディ(Melody/S.W.A.L.K)』(1971年)が有名でしょう(別項参照)。


 
 



~Lyrics~

A certain kind of light
ある種、光のようなもの
That never shone on me
それは決して僕に微笑むことがなかった

映画『小さな恋のメロディ』の主人公・11歳のダニエル(マーク・レスター)は真面目な優等生ですが、一方でまだまだ“ママのいい子”的な乳臭さの残る男の子。
しかしお父さんの読んでいる新聞に火を点けて面白がるなどイタズラ心も垣間見え、そろそろ“お年頃”…?

物語の前半ではそんなダニエルが次第にクラスの男の子らとイタズラに傾倒してゆく様子が描かれていますが、そんな彼の関心を一瞬にして変えてしまったのがヒロインのメロディ(トレイシー・ハイド)でした。
二人の出逢いはとてもドラマティックに描かれており、この時のメロディの愛らしさとダニエルが心を奪われてゆく描写は見ものです。
(このシーンについては「イン・ザ・モーニング」の記事で詳細に触れています)


In my brain
頭の中に…
I see your face again
また君の顔が浮かぶ

それからのダニエルはメロディに“lock on”状態で、学校で彼女のことをずっと見つめていたり、下校時こっそりつけ回したりして行動がどんどんエスカレートしてゆきます。
割りを食ったのが親友のオーンショー(ジャック・ワイルド)で、ダニエルの関心を自分に引き戻そうとあれこれ試みますが…。

この記事を書いている途中で突然思い出したのですが、昔【シャーベ】というシャーベットと牛乳と混ぜるシェイクのような食品(大塚食品)があったのをご記憶でしょうか…。
そのCMが『小さな恋のメロディ』を彷彿させる映像で、当時映画雑誌でもこのCMを特集していました。

 君に伝えたい~気分はミルク色


You ain't got to be so blind
盲目を患っていない君
And I'm blind, so so sorrily blind
患っているのは僕…悲しいくらい君しか見えない

“結婚しよう”

二人が出掛けた初デートの海辺の砂遊びで、ダニエルはいきなり切り出します。
メロディが“親たちの年くらいになったら”と常識的な答えを返しますが、ダニエルは“そんな年まで待てない”と、今日にでも望みを遂げたい勢いです。
でもメロディは自分の意思からそう答えたわけではなく、“どうすればいいのか全く分からない”からそう答えたのでした。

この場合【見えている】のはダニエルで、【見えなくなっている】のはメロディのようにも見えます。
でもダニエルに見えているのは“今の自分の気持ち”であり、彼の視界に“十年二十年先”はありません。
逆にメロディは少し先までぼんやり見えるからこそ、“今の自分の気持ちのまま行動して良いか不安”なのでしょう。

ギリシアの哲学者ソクラテスの有名な言葉に【無知の知】がありますが、それに従うと“自分の知識が完全ではないことに気がついている”のがメロディで、“自分の無知に気づいていないのは”ダニエル…といえるのかもしれません。
まぁ…大人の世界には、【知らぬが仏】ということもありますが? 



~Epilogue~

「To Love Somebody」誕生にまつわる“秘話”があります。
作者バリー・ギブにによると、
それは(マネージャーの)ロバート・スティッグウッドのために書いた個人的な歌”だそうです。

…ロバート(Robert)♂♂♂ !?

ロバート・スティッグウッド《写真左の右端》はNEMS所属のマネージャーとしてビー・ジーズをスターへと導き、ポリドール・レコードとの契約が切れた1973年にRSO(Robert Stigwood Organisation)レーベルを創設、1977年の『サタデー・ナイト・フィーバー』はまさにロバートが仕掛け人の一人(製作者)となった映画であり、ビー・ジーズにとっては大恩人とも言える人です。
そんな人に“僕のために個人的に曲を書いて”と頼まれたら断れようはずもありませんが、「To Love Somebody」って“ラブ・ソング”だったような…?

実はロバートは同性愛者で、バリーもそのことを承知の上で彼のために曲を書いており、次のように説明しています。
ロバートはぼくにとってとても大切な人で、彼の才能と貢献に多大な敬愛を抱いている。でもそれは同性愛という意味ではないよ

この作品に少し切なさが漂うのは、そんな背景が…?

Bee Gees - To Love Somebody3

一方、映画『小さな恋のメロディ』での「ラヴ・サムバディ」には、不可能を可能にもする力強さがあります。
劇中では運動会でダニエルが徒競走するシーンに使われていますが、どう見ても彼は運動が得意そうには見えないし…
現に走る前、オーンショーに
出たくない。走り幅跳びなら誰にも見られないのに…”と、弱音を吐いています。

それなのにいざ走ってみると、強い強い…
メロディを想う心で全力疾走、ライバルたちを引き離して見事1着でゴールしてしまうのです!
(もっとも、ゴールした後は力を使い果たして写真のようなありさまですが…)

To love somebody
誰かを愛すること
The way I love you
僕が、君を想っているように…

…それは時に、思わぬ力を呼び覚ますものなのかもしれません。



「ラヴ・サムバディ」


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tags : 1967年 AC ピュアな愛 映画70's 小さな恋のメロディ 

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「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」ビー・ジーズ

2018.01.12

category : Bee Gees

Bee Gees - You Should Be Dancing1 Bee Gees - You Should Be Dancing2


Bee Gees - You Should Be Dancing (1976年)



~バリー・ギブ、ナイトを叙勲~

前回のリンゴ・スターに引き続き、今回もバリー・ギブのナイト叙勲による特集です。
ご存知のようにビー・ジーズは[ギブ三兄弟]を中心としたファミリー・ユニットですが2003年に三男モーリス(53歳没)、2012年には次男ロビン(62歳没)が既に他界しており(ちなみにメンバーではない歌手で四男のアンディも1988年に30歳の若さで夭折している)、生存している唯一のメンバーである長男バリーは“この栄誉に対し、弟たちは僕と同じだけ貢献がある”といった趣旨のコメントをしています。

ビー・ジーズといえば、やっぱりバリーのファルセットと兄弟ならではの息の合ったハーモニー…
「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」は、まさにビー・ジーズの魅力がいっぱい詰まった作品です。



~概要~

「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」は1977年の映画『サタデー・ナイト・フィーバー(Saturday Night Fever)』で、ジョン・トラボルタが圧巻のダンス・パフォーマンスを演じるシーンが有名ですが、実はこの映画のために書かれた楽曲ではなくビー・ジーズ1976年のアルバム『チルドレン・オブ・ザ・ワールド(Children of the World)』に収録された作品でした。
同アルバムからの1stシングルとしてカットされ、同年9月に自身3作目となるBillboard Hot 100のNo.1(年間31位)に輝いています。

ビー・ジーズは前作『Main Course』でそれまでのソフト・ロック路線を「Jive Talkin」などディスコ路線に転換し大成功を収めていますが、所属レーベルの都合により『Children of the World』ではプロデューサー(アリフ・マーディン)の変更を余儀なくされてしまいます。
そこでリンゴ・スターの「You're Sixteen」(過去ログ)を成功に導いたリチャード・ペリーが選ばれたものの2日で決裂、結局前作に携わったスタッフの中からこれと思った2人(Albhy GalutenとKarl Richardson)が担当することとなり、不安の中での再出発でした。
しかし「You Should Be Dancing」が大成功を収めたことで不安は一掃、以降ビー・ジーズ及びバリー・ギブ関連作品に欠かすことのできない共同制作者( Gibb-Galuten-Richardson)として13曲の全米No.1シングルの輩出に関与することになります。

『Saturday Night Fever』サウンドトラックへの参加はビー・ジーズのデビュー以来のマネージャーであり、同映画のプロデューサーでもあったロバート・スティッグウッドの依頼によって『Children of the World』のレコーディングの最中にもたらされたものでした。
当初の要望では[新作4曲]でしたが、実際にはイヴォンヌ・エリマンが歌った「If I Can't Have You」を含む新作5曲に、既発の「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」と「ジャイヴ・トーキン」(映画本編では使用されていない)を加え計7曲を提供、(結果として)うち6曲が全米No.1に輝くという前代未聞のモンスター・アルバムが生まれる原動力となりました。

「You Should Be Dancing」は1999年にイギリスのクラブDJ[Blockster]にカバーされ全英3位を記録、2012年のアメリカ人気テレビ・ドラマ『glee/グリー』でのダレン・クリス(Darren Criss)らによるパフォーマンスも印象深いカバーです。


 
 



~ジョン・トラボルタの悲劇!?~

映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の中で「You Should Be Dancing」の見事なダンス・パフォーマンスを披露し、世界にディスコ・ブームを巻き起こした俳優ジョン・トラボルタですが、実は意外な事実があります。

トラボルタの経歴を遡ってみると[幼少よりダンスを習った]とあるもののダンサー志望というわけではなくデビューはブロードウェイのミュージカルで、役者として何年も踊っていましたがこの映画に臨むまで【ディスコ未経験】だったそうです。
それでも通常であれば高度な技能を要するダンス・シーンにはプロのダンサーを代役に立てて問題はないはずですが、『サタデー・ナイト・フィーバー』ではダンサーの代役を使わない方針だったため、“トラボルタの悲劇”が始まります。

ダンス・レッスンの初日に振り付け師から「You Should Be Dancing」の振り付けが示されると、それはまるで運動選手並の要求水準で、トラボルタ本人は恐ろしくなってプロデューサーのロバート・スティッグウッドに“絶対できない”と降板の電話を入れたものの逆に説得されて続投することとなりました。
しかしギャップを埋めるためにはかなりの筋力と運動能力の上積みが必要であり、昼3kmのランニング&夜3時間のダンス・レッスンという数カ月を乗り越えて9kgの減量と体力UP&振り付けの習得を果たしたそうです(トラボルタは当時の心境を“調教されてる馬の気分”と表現している)。

いとも簡単に高度な技の数々を繰り出しているように見えますが、僅か2分という短い映像にはトラボルタの涙ぐましい努力が集約されています…。





~Epilogue~

ビー・ジーズというと当初、映画『小さな恋のメロディ』のサウンドトラックに集約されるピュアなテイストを持ったコーラス・グループというイメージでしたが、1970年代半ばに当時流行だったディスコ路線に転換しており、ファンの一部から“商業主義”と批判を浴びました。
しかし同時代に顕著な成功を収めたアバ(ABBA)やカーペンターズの例をとってみても、彼らに共通するのは【当時の象徴であっただけでなく、後世も耐え得るしっかりした楽曲・サウンドを創作していた】という事実です。

「You Should Be Dancing」を一聴すると直感的に印象づけられるのはラテンやファンク (funk)のリズム系で、従来のビー・ジーズの魅力とは対極のフィーリングにあるように思えます。
しかしそうしたリズム系の音一つひとつに耳を凝らしてみるとモーリスのベース・ラインやCSN&Yのスティーヴン・スティルスが参加したというパーカッション、トランペットなどアレンジが絶妙であり、非常に洗練されていることがわかるでしょう。
また、ヴォーカル・パートのみの音源を聴いてみるとハーモニーの美しさはやはりビー・ジーズならではであり、どれだけ音を重ねたのだろうと思わせられるぶ厚いサウンドはミキシングに10人がかりを費やしたというからオドロキです。



80年代を象徴するマイケル・ジャクソンも考え合わせると、一時代を築いた人たちの音楽や映像に対する拘(こだわ)りはある種異常であり、だからこそ後世を含む多くの人々に共感され得る創作が生まれたのだと改めて実感させられました。


What you doin' on your back, aah?
そんな風に仰向けになって何しているの ...aah?
You should be dancing, yeah
それより、踊るべきさ

心躍らせる映像とフレーズ…
その陰にあるトラボルタやビー・ジーズの努力と創意も、どうか心にとどめていてくださいね。



「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」


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tags : 1976年 ダンス/Funk 映画70's サタデー・ナイト・フィーバー 

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「イン・ザ・モーニング」ビー・ジーズ

2017.05.05

category : Bee Gees

Bee Gees - In The Morning1 Bee Gees - In The Morning2


Bee Gees - In The Morning (1971年)



~「Morning Of My Life」をいつまでも~

5月は、私の大好きな月。
暑くもなく寒くもなく、若葉が溢れ風が爽やかで、空にはそよそよ鯉のぼり…
でもそんなやさしい季節が巡ってくると、必ず心に浮かんでくる映画があります。

…それにしても前回のピンク・フロイドのブキミな映像を創った同じ人が、この映画の脚本を書いたなんて信じられないでしょ?
まぁ、その2つを続けて取り上げる本ブログも相当“ツンデレ”ですが…? 



~概要~

「イン・ザ・モーニング」は1971年公開の映画『小さな恋のメロディ(Melody/S.W.A.L.K)』の挿入曲として有名ですが、実は日本でよく知られるこのバージョンがオリジナルではありません。
元々は1965年にバリー・ギブが書き、翌66年ビー・ジーズの『Spicks and Specks』のセッションで演奏されたのが最初の録音で、この音源は4年後(1970年)の編集盤『Inception / Nostalgia』に収められるまで未発表のままでした。

そのため最初のレコード化はビー・ジーズによってではなく1967年6月にRonnie Burnsという人によってなされ、同年Esther and Abi Ofarimもドイツでヒットさせたほか、68年にはニーナ・シモンもジャズ・アレンジでカバーするなど複数の歌手によって歌われました。

その後1969~1970年中頃のビー・ジーズは分裂状態で、心機一転再起を目指し3兄弟が集結した1970年9月30日のセッションで「In The Morning」は再レコーディングされています。
そしてこの時の音源が『小さな恋のメロディ』のサウンドトラックに収録され、本曲のもつ静かなテイストは朝焼けを背景に映画のイントロダクションとして印象的な演出効果を果たしました。
残念ながら映画自体は欧米でヒットしなかったため、この映画に起用されたビー・ジーズの珠玉の楽曲の数々が脚光を浴びることはありませんでしたが日本は例外で映画もアルバムも大ヒット、「In The Morning」もシングルとしてオリコン36位を記録しています。


 
 



~Lyrics~

In the morning when the moon is at its rest,
朝、お月さまがおやすみする頃
You will find me at the time I love the best
僕の一番好きなこの時、二人は出逢う

2行目の【find】は、1966年の最初の録音では【see】だったのが改められたものです。
2番の同じラインに揃えたのか…でも、【find】だからこそ“見つける⇒出逢う”ニュアンスが強まった気がします。

スクリーンでの二人の出逢いは、ダニエルが覗いた女の子たちのバレエのレッスンの中にいたメロディに一目惚れしたことでした。
このシーンのメロディの女性としての美しさ、ダニエルが恋に落ちる瞬間に見せる大人の表情、そんな親友の表情から彼が彼女に夢中となり自分が取り残される不安を抱いたオーンショー…
短いシーンの中で、3人の表情の移ろいが印象的です。

Bee Gees - In The Morning3


In the daytime I will meet you as before.
お昼は君と会おう…昔みたいに
You will find me waiting by the ocean floor,
海の底で待ち合わせして

素朴なギモン…
何で、わざわざ[海の底]で会うの? 

 ダニエル、待った?
 メロディ…ここなら、誰も二人の邪魔はできないね
 それじゃあダニエル、ご飯にする? お風呂にする? …それとも、“寝る?”

 …コぉラぁ~! 二人がそんなハシタナイ会話するかぁ~っ!!
(※もちろん、劇中にこんな会話はありません)



Another day to swing on clothes lines
また別の日は、物干し綱でブランコしよう
May I be yawning
あくびなんかして…

月へとデートしたり、一緒にブランコしたり…
3番の歌詞がとてもステキです。
でもどんなに楽しいからって、夜遊びが過ぎてはいけませんよ?

もう一刻も離れていたくない二人は、遂に学校をサボって海岸と遊園地にデートに出掛けてしまいます。
“子どもは遊びを通して成長する”といいますが、この“「二人だけのデート」から持ち帰ったもの”は大人の想像をはるかに超える答えでした…。

Bee Gees - In The Morning4



~Epilogue~

In The Morning...
この作品は“朝”をテーマとしていますが、あなたは朝がお好きですか?

“1日のうちで好きな時間帯”を問うあるアンケートによると1位は深夜(43%)/2位が晩(23%)と夜の時間帯が全体の66%を占めるなど圧倒的に多く、4位・明け方(7%)/5位午前中(6%)/10位・朝(1%)と朝の時間帯は14%と少数派です。

確かに早朝は空気がきれいで静かですが、多くの人が活動を始める頃は準備や通勤など一日のうちで最も慌ただしい時間帯で、満員電車に押し込められるのは誰にとってもストレスになります。
本ブログでは過去に「マニック・マンデー」を取り上げましたが、やはり週(仕事)の始まりである月曜は不人気で、静から動へ転じなければならない朝が【manic(躁病の)】扱いされてしまうのは宿命といえるのでしょう。

でもそれだけに、朝が好きな人は朝の魅力を堪能できる早朝に起床する習慣を身につけている人であり、それを維持できるということは時間や気持ちのコントロールも上手で、人の意見に流されずダラダラ長い時間を仕事に費やさない“デキる人”のイメージがありますが…ちょっとホメ過ぎ? 


tis the morning of my life
それは、人生のはじまり

日本で「In The Morning」というタイトルで知られるこの曲は、欧米では1971年のバージョンが「Morning Of My Life」と呼ばれています。
【the morning】は朝以外にも“初め(初期)”の意味があり、【the morning of life】だと“人生の夜明け,青春時代”という意味合いにもなります。
「In The Morning」は【the morning】【the daytime(昼間)】【the evning(晩)】という三部構成となっており、【the morning=青春時代】と解釈すると、それぞれ意味する年代も浮かび上がってくるはずです。

映画『小さな恋のメロディ』は11歳の少年少女が展開する伝説的な純愛物語として有名ですが、一方で墓地での初デートで“50年夫婦として連れ添うこと”について言及するなど、単なるおままごとの恋愛にはない長い人生を想定した大人びた一面もみられます。
(もっとも、現実的なのはいつもメロディであり、ダニエルは思いついたらすぐ実行せずにはいられないタイプ)
大人は子どもを“大人の未熟形”と見なし一段劣った存在と考えがちですが、それは間違いなのです。

子どもたちが遊びの中で見せるあの笑顔…
“心の中にある、大人が忘れてしまった大切なもの”を、甦らせよう 

Another day to swing on clothes lines
また別の日は、物干し綱でブランコしよう
In the morning
“あの頃”に戻って...



「イン・ザ・モーニング」


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tags : 1971年 フォーク ピュアな愛 映画70's 小さな恋のメロディ 日本で人気 

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