「禁じられた愛」は1986年8月18日に発売されたボン・ジョヴィの3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ(Slippery When Wet)』からの先行シングルで、ほぼ初めてのヒットで初めてのBillboard Hot 100のNo.1(年間30位)を記録した作品です。 ボン・ジョヴィは1984年にデビューし、日本では当時から「Runaway」(のカバー)がドラマ主題歌(1985年)に起用されるなど想定外の人気を獲得していましたが、本国アメリカでは2枚のアルバムまでで想定したレベルの成功は得られていませんでした。
そこでメンバーは、【Kiss】のポール・スタンレーに紹介されたデズモンド・チャイルド(Desmond Child)を楽曲のライターに迎えることを決断します(ボン・ジョヴィは1984年にキッスのサポートとしてヨーロッパ・ツアーに帯同した)。 デズモンド・チャイルドは1979年にポールと「ラヴィン・ユー・ベイビー(I Was Made For Lovin' You)」を共作し、後年ボン・ジョヴィ以外にもエアロスミスの復活やリッキー・マーティン大ブレイク(「Livin' la Vida Loca」の作者)の立役者となる人物です。 そのデズモンドと最初の共同作業となったのが、「禁じられた愛」でした。 ジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラ、デズモンドの3人はニュージャージーにあるリッチーのお母さんの家の地下に集まり、創作を始めました。 以下、リッチーによると…
“タイトルはすぐ浮かんだ…ジョン;‘「You Give Love A Bad Name」はどう?’-‘それだ!’僕は叫んだよ。次にリフが生まれ、それに合うコーラスを書き、詞を当てはめていったら1日でできた。バンドが演奏を繰り返すうちに、転調とコーラスがいい感じで、そこからヴォーカルとギターのパートを作っていったんだ…”
但し、イントロ無しで冒頭から歌唱されるインパクトあるサビのメロディを考えたのは、デズモンド・チャイルドです。 1986年7月にリリースされた「禁じられた愛」の少し前、5月にボニー・タイラーが「If You Were a Woman (And I Was a Man)」という曲を発表していますが作者はデズモンドで、歌詞は異なっているものの、この曲のサビはほぼ同じものが使われています。
Shot through the heart 撃ち抜かれた心 And you're to blame お前のせいさ
このラインはジョンのアイデアといわれますが、実は1984年の1stアルバム『Bon Jovi』でも彼は「Shot Through The Heart」という曲を発表しており、歌詞も「禁じられた愛」と同様のテーマで、何か“特別な拘り”を感じさせます。 1984年というとジョンが女優ダイアン・レインと交際していた頃で、ダイアンによるとその期間は僅か5か月だったそうです。
洋楽史上、最も日本と親しい関係を築いたロック・スター、ボン・ジョヴィ。 1984年の初来日から数えて、“29年で20回目”となる今年の『Because We can Tour』は12月3日(京セラドーム大阪)・4日(東京ドーム)の予定です。 この曲は数あるボン・ジョヴィ作品の中でも“私のNo.2”であり、もちろん今回のツアーでもセット・リストに入っていますよ♪
ただ、ちょっと(かなり?)心配な情報もあって…(詳細は後述)。
~概要~
「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」は1988年の4thアルバム『ニュー・ジャージー(New Jersey)』からの3rdシングルとなるバラードで、Billboard Hot 100では前回紹介したマドンナの「ライク・ア・プレイヤー」と入れ替わりにNo.1(年間23位)となりました。 今年リリースされたアルバム『What About Now』も全米1位に輝き、今もってその存在感を誇る彼らですがシングルとしては現在の所この曲が最後のNo.1ということになります。
今回の『Because We can Tour』は今年2月からスタートしていますが、3月17日のテキサス州ラボック公演を最後にリッチー・サンボラは“娘との時間を過ごすため”を理由にしてバンドを離脱しています。 このため、以降のツアーではフィル・Xをリッチーの代役に立てて回っているようなのです(ドラムのティコ・トーレスも9月に虫垂炎の手術のため、一時離脱していた)。 8月末頃の報道によるとジョンとリッチーの関係が拗(こじ)れているとか、リッチーがツアーの同行に法外な報酬を要求したとか、中には“リッチーの脱退”を報じるものまでありました。
気になるのは、インタビューでリッチーが“来年1月にオーストラリアでソロ公演を行う予定”と明かしていることで、噂を裏付けてしまうようなハナシですが… …んっ!? オーストラリアといえば、“『Because We can Tour』の最終は12月17日のオーストラリア公演”です。 コレって、ただの偶然…?