Bruce Springsteen - Born to Run (1975年)~えっ? あのブルース・スプリングスティーンが、“そんなコト…”!?~私にとって、“ロックの理想”が全て詰まったブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」。
本来なら“夏”にお届けする想定でしたが、この曲に関連してそれにも勝る
“面白いニュース”が出たので、今回この作品を特集することにいたしました!
この新ネタだけでもまとまった文量を要するため、曲紹介は当ブログで、
新ネタは姉妹ブログ『I Will』で分担して掲載したいと思います。
なお『I Will』の更新は翌日になる予定なので、ご了承くださいね。
~概要~ブルース・スプリングスティーンはアメリカのロック歌手で、ファンからは
“ボス(Boss)”と慕われ
“アメリカの良心”とも称される存在です。
近年は政治・社会問題を取り上げた作風が多くなっていますが、若い頃は“next Dylan(第二のボブ・ディラン)”としてアメリカの普通の若者の気持ちを代弁しカリスマ的な人気を獲得しました。
「明日なき暴走」は、ブルースがブレイクするきっかけとなった1975年の3rd
アルバム『Born to Run』のタイトル曲で、1stシングルとして
Billboard Hot 100で23位を記録しました。
ローリング・ストーン誌の評価が極めて高く、アルバムは“500 Greatest Albums of All Time”の18位、「明日なき暴走」も“The 500 Greatest Songs of All Time”で21位にランクされている他、“ロックの殿堂”入りも果たしている楽曲です。
音楽は言うまでもなく素晴らしいですが本アルバムはジャケットがカッコよく、私はCDの小さな写真では満足できず、わざわざ大きなLPで持っています!
演奏をサポートしているのは勿論
“Eストリート・バンド (The E Street Band) ”で、間奏では2011年に
「ジ・エッジ・オブ・グローリー」でレディー・ガガと共演したサックスのクラレンス・クレモンズがソロを執っています。
今回ご紹介している映像は恐らく1984-1985年頃の“Born in the U.S.A. Tour”のライブを中心に編集されたバージョンで、名実共に全盛期のブルースのパフォーマンスは圧巻です!
オリジナル音源をお聴きになりたい方は、
コチラをどうぞ♪
~背景~デビュー当初、ブルースのレコード・セールスはサッパリでしたが識者の評価は高く、ライブ・パフォーマンスはファンの間でも評判でした。
1974年、そんな彼のライブを見たロック評論家ジョン・ランドーが雑誌で“ロックン・ロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン!”と絶賛したため、ブルースは一躍脚光を浴びることとなりますが…
彼は余程ブルースに惚れ込んだのか、そのままブルースの1975年の3rdアルバム『Born to Run』のプロデューサーの一人に名を連ねることとなっています。
ブルース自身によると、作品は“まさに、タイトル通りの曲を書きたかった”という着想に拠るそうで、ボブ・ディランのような詩、フィル・スペクターのような音作り、デュアン・エディのようなギター、ロイ・オービソンのような歌唱の融合を目指し、“世界最高のロックを創り上げたかった”と語っています。
楽曲自体は1974年前半に書かれたもので、同年5月頃にはライブのレパートリーとなっていたようです。
最初のレコーディングは当人より先にザ・ホリーズの
アラン・クラークにより為されましたが、リリースが遅れたためブルースのバージョンが先に世に出ることとなりました。
~Lyrics~作品は、ある青年の青春を描いた内容となっていて、大きく分けて二つの側面があるように思います。
1つは早く町から飛び出したいと願う“切実な悲鳴”であり、もう1つは惚れた女の子への“ラブ・ソング”です。
h-Oh, Baby this town rips the bones from your backなぁBaby、この街は背中から骨抜きにしちまうIt's a death trap, it's a suicide rap We gotta get out while we're young死の罠、自殺のドアへと誘うのさ…若いうちに抜け出そう主人公の青年の故郷を早く抜け出したいという願いは、若い頃のブルース自身の気持ちでもあったようです。
彼は、ニュー・ジャージー州モンマス郡フリーホールドという人口1万人程度の小さな町で青春時代を過ごしました。
地理的条件から考慮すると、この地の若者が隣接するニューヨーク市やフィラデルフィア市といった華やかな大都市への進出に憧れを抱くのは、想像に難くありません…。
加えて、ブルースはこの町のことを“小さな町で心まで狭い、保守的な町”と評しており、リベラルな民主党を支持する彼にとって、共和党支持が大多数を占めるこの町は決して居心地のよい場所ではなかったのかもしれません。
また、1984年の作品「マイ・ホームタウン」によると彼の高校では白人と黒人の喧嘩が絶えず、身近でショットガンによる事件も発生していたようで、そんな故郷での体験が作品に影を落としているのでしょう…。
The amusement park rises bold and stark遊園地はくっきりと、これ見よがしにそびえ立ちKids are huddled on the beach in a mist子供らは霞んだビーチに群がってる…この連は、享楽へと変わりゆく人心への失望が感じられます。
1976年の「ホテル・カリフォルニア」といい、この時期はアメリカ社会の享楽化への危惧をテーマとする作品が多くありました。
「明日なき暴走」の指摘がこれに該当しているかは定かではありませんが、1974年にニュー・ジャージー(オーシャン郡ジャクソン・タウンシップ)には広大な総合アミューズメント施設“シックスフラッグス・グレート・アドベンチャー”が開業しており、2013年現在・世界最速のジェット・コースターも併設する世界最大のテーマ・パークとなっているそうです。
~Epilogue~“Born to Run(走るために生まれた)”・・・このメッセージは、
“tramps(放浪者)”へ宛てられたものでもあります。
勿論これは単に物理的な浮浪者を指すというよりは、もっと“精神的な放浪者”のことなのだと思います。
これといって誇るもののない町に生まれ、商店や工場も次々と閉鎖されてゆく現状を見て育った子どもたち…
その不満や不安から逃れるため、ある者は享楽に奔り、またある者は暴力に依り、町も人もますます荒んでゆきます。
目的や希望を抱けず、彷徨う若者たち…そんな、
依るべき確かなものなど持たない“浮き草”だからこそ、“人をアテにせず・人のせいにせず”必死に自分の力で抗わなきゃ、もっと下流へと追いやられてしまう…だから、走れ!
どんなに苦しくとも、走り続けるしかないんだ!
でも、こんな町の光景って、何処かで見たような…
きっと、私たちにとって“遠いの町”の空想物語ではありません…。
「明日なき暴走」
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