Bad English - When I See You Smile (1989年)~最高の“ Smile ”ありがとう~ ソチ・オリンピック・フィギュアスケート女子フリー・スケーティング(FS)で浅田真央選手が見せた歓喜の笑顔、
そして競技の緊張から開放されたエキシビションでの、イタズラっぽい少女の笑顔…。
私たちがが見たかったのは“それ”だったのだと、改めて思わされました。
今日は、彼女が届けてくれた素敵な“ Smile ”のお礼として…
~Bad English~ “80年代最後のスーパー・グループ誕生!”
…そんな触れ込みで登場したロック・バンドがバッド・イングリッシュで、メンバーのニール・ショーン(g)とジョナサン・ケイン(key)は”
ジャーニー (Journey) “、ジョナサンとジョン・ウェイト(Vo)、リッキー・フィリップス(B)が“
ベイビーズ(The Babys) ”だったことから、当初このプロジェクトは“ジャーニー復活!”とか“ベイビーズ再結成?”と囁かれました。
しかし実際にはベイビーズは
ジャーニー の前座としてツアーを回っていたほど実績に差があり、エイジアなどと比べると“スーパー・グループ”は少し大袈裟な看板だったかもしれません。
そんな“格上”ジャーニーの後任キーボーディストにジョナサンが抜擢されることでベイビーズは解散、ジャーニーは全米No.1バンドへと飛躍するワケですが…。
1987年、ジャーニーはスティーヴ・ペリー(Vo)の脱退により活動休止状態に陥ってしまったため、ジョナサンは当時ソロ歌手として成功を収めていたジョンにベイビーズ再結成を持ちかけ、それにニールも乗ったことで“新たなバンド”が産声を揚げることとなります。
“Bad English”は悪いイギリス人という意味ではなく、ジョンに依ると
“Englishはビリヤードで球を突く意味であり、そのミス・ショットのことをBad English”と呼ぶ のだそうです。
~概要~ 1989年、彼らは1st
アルバム『Bad English』 でデビューを飾り、「ホエン・アイ・シー・ユー・スマイル」はその2ndシングルとしてリリースされ、
Billboard Hot 100では2週連続No.1(年間34位) を記録しました。
作者はセリーヌ・ディオンの
「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」 やエアロスミスの
「ミス・ア・シング」 など、ロマンティックなバラードを書かせたら当代随一の
ダイアン・ウォーレン 。
イントロから刻まれる美しいジョナサンのキーボード、愁いを帯びたジョンのヴォーカル、情熱的なニールのギター・ソロ…
洗練されたそのサウンドはどれも楽曲に劣らぬ名演奏で、ロック・バラードとしては同年発表されたボン・ジョヴィの
「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」 と双璧といえるほど、私のお気に入りです♪
また、日本では
リーバイスのCM でお馴染みの方も多いのではないでしょうか…。
~Lyrics~ Sometimes I wonder how I'd ever make it through 時に、思うんだ… “どう乗り越えただろう Through this world without having you この世界で、君がそばにいてくれなかったなら”って… みなさんも、こんなことを考えたことがあるのではありませんか?
私は幼いころ何度も迷子になっていますが、親切な人たちに助けられていなかったら今頃は…
ん…?
そんな喩えじゃナイ!?
きっと“大切な人”とは、その人がいなかったら人生が大きく変わってしまう存在をいうのでしょうね。
多ければいい、というモノでもありませんが…。
And when the rain is falling 雨が降ろうと I don't feel it, 'cause you're here with me now 関係ない…だって、君がここにいてくれる …そう思える相手を得ることは、生涯の幸運です。
できるなら“雨”には遭いたくないものですが、共に乗り越えられたなら強い絆を育みます。
相合傘なら、多少濡れるも好し…?
~Epilogue~ 今回のオリンピック・ショート・プログラムでの浅田選手の結果は、4年間掲げてきた彼女の目標を一瞬で無にする残酷なものでした。
多くの人はフリーも彼女本来の演技は望めないダメージと思っただろうし、浅田選手自身“もうスケートができない”というほどショックを受け、フリー当日朝の練習も体が動かないままだったそうです。
しかしギリギリまでイメージ・トレーニングを続け試合直前の6分間練習で感覚を取り戻し、フリー本番では目指していた演技が叶い、彼女の4年間は“歓喜の涙と笑顔”として溢れました。
それにしても…
前夜どん底に落とされた浅田選手が、どうして一夜にして奇跡的な回復を果たせたのでしょう? SP終了後の、コーチや周囲の励ましが救ってくれたのかもしれません。
しかしそれも、“彼女自身の積年の努力があったからこそ”と、私は思うのです。
4年間の目標が一瞬で失われることはあっても、4年間積み重ねた努力は無にはならない ことを浅田選手がFSで証明してくれた…
だからこそ私たちはそれを自分のことのように喜び、彼女と一緒になって泣き笑いしたのではないでしょうか?
When I see you smile 君が微笑んでくれるなら… I can face the world 僕はこの世界と向き合える 浅田選手から届けられた最高の“涙と笑顔の贈りもの”…
私は、生涯忘れることはないでしょう
。
「ホエン・アイ・シー・ユー・スマイル」 続きはこちら >>
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1989年 バラード/Rock 情熱の愛 スーパーグループ CM曲 ダイアン・ウォーレン