I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「マイ・リトル・タウン」サイモン&ガーファンクル

2021.10.04

category : Simon & Garfunkel

Simon & Garfunkel - My Little Town (1975年)

もし大人になることが“黒の虹”を構成する一つになることであるなら、葛藤する若者の方が正しい

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tags : 1975年 ロック/ポップ 故郷  

comment(8) 

「スカボロー・フェア/詠唱」サイモン&ガーファンクル

2018.05.18

category : Simon & Garfunkel

Simon Garfunkel - Scarborough FairCanticle1 Simon Garfunkel - Scarborough FairCanticle2


Simon & Garfunkel - Scarborough Fair/Canticle (1968年)



~概要~

「Scarborough Fair/Canticle」はサイモン&ガーファンクル(以下S&G)1966年の3rdアルバム『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム(Parsley, Sage, Rosemary and Thyme)』に収録された作品です。
当初シングル・カットはありませんでしたが、1967年12月に「サウンド・オブ・サイレンス」と共にダスティン・ホフマン主演の映画『卒業(The Graduate)』のサウンドトラックに起用、翌1968年にシングル・カットがなされBillboard Hot 100で11位(年間89位)を記録しました。


タイトルにあるように「Scarborough Fair」「Canticle」という異なる2つの歌が対位法的(複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ互いに調和させて重ね合わせる技法)に構築された楽曲です。
「Scarborough Fair」のクレジットに【Traditional】とあるように、その着想は元々イングランド・ケルト地方に17世紀頃から伝わるバラッド『The Elfin Knight(エルフィンナイト/妖精の騎士)』に由来するといわれます。
『エルフィンナイト』では超自然現象や意味の通らない内容が描かれており、本作でも“継ぎ目も針仕事もなしにシャツを作れ”や“革の鎌で刈り入れろ”ほか【ナンセンス】なものが散見できます。

伝承歌という性質上、歌詞やその構成、メロディに多くの派生が存在し、S&Gの「スカボローフェア」に見られる歌詞は18世紀末にほぼ成立していたようです。
また、19世紀末頃の楽譜によると当時の「Scarborough Fair」のメロディは“陽気でユーモラス”なものだったそうで、S&G ver.の叙情的な旋律はイングランドのフォーク歌手イワン・マッコール(Ewan MacColl)らによる1960年のバージョンの系譜によるとされます。

イワン・マッコールver.の影響を受けたのがイングランドのフォーク歌手マーティン・カーシー(Martin Carthy)で、アメリカ人であるポール・サイモンがこのイングランドの古い民謡と出合ったのは、デビュー・アルバムが泣かず飛ばずでイギリスへ“逃避行”していた1964年にマーティンが歌うのを聴いたことでした。
その後S&Gがマーティンver.のアレンジの影響を受けた「Scarborough Fair/Canticle」をヒットさせることになりますが、S&Gのみクレジットされたことに長年マーティンは快く思っていなかったようです(2000年に和解)。
一方ポールより先(1962年)にイギリスに渡っていた“フォークの貴公子”ボブ・ディランもイギリスの伝統的バラッドとマーティン・カーシーに多いに感化されており、ボブの1963年の作品「北国の少女(Girl from the North Country)」の音楽的要素と歌詞の一部はマーティンver.「Scarborough Fair」から引用しています。


一方「Canticle」はS&Gによるオリジナルで、1965年にポールがイギリスで発表したソロ・アルバム『ポール・サイモン・ソングブック(The Paul Simon Songbook)』に収録された「The Side of a Hill」の歌詞の一部を引用・改変したものです(別項参照)。
邦題は「詠唱」となっていますが、これはオペラなどの“独唱曲(Aria)”や“単純な音程の繰り返しで祈り捧げる歌(chant)”といった意味の言葉で、【canticle】は“頌歌/しょうか(ode)”です。
頌歌は壮麗で手の込んだ抒情詩(韻律)の形式で、抒情詩(じょじょうし)は“詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩”であることから、「Canticle」にはS&Gのそういうメッセージが込められた作品と思われます。
「Scarborough Fair/Canticle」の複雑なコーラスはライブでの再現が困難であるためか殆んど「Scarborough Fair」単体で演奏されているようですが、1968年の『アンディ・ウィリアムス・ショー』ではアンディを加えた3人で「Canticle」を含めた再現を確認できました。


 
 



~Lyrics~

Are you going to Scarborough Fair?
スカボローの定期市をお訪ねですか?
Parsley, sage, rosemary and thyme
パセリ、セージ、ローズマリーにタイム…

Simon Garfunkel - Scarborough FairCanticle3

【Scarborough】は、イングランド北部ノース・ヨークシャーの北海海岸沿いにある人口5万人ほどの町で、イングランド東海岸の主要な観光地の一つです《写真》。
「Canticle」に描かれるような緑の丘がとても美しく、北海に突き出した岬の断崖の頂にはスカーバラ城跡があります。
一説によるとこの町の名前は、10世紀ごろ当地に入ったヴァイキングの[Thorgils Skarthi]によって開かれた【borough(自治都市)】からだとか…。

近世まで、感染症など病気の原因はミアスマ(μίασμα/瘴気・悪い空気)であると考えられていたため、強い香りを放つハーブ類は予防効果があると信じられ重宝されてきました。
1630年、南フランスのトゥールーズでペストが大流行した際、病死した人々から盗みを働いて荒稼ぎした泥棒たちがいて、彼らは自分たちが“ペストに感染しなかったのはセージ、タイム、ローズマリー、ラベンダーなどを酢に浸して作った薬を塗って感染を防いだ”と証言したとされ、この酢は【4人の泥棒の酢(Four thieves vinegar)】として有名です。


On the side of a hill in the deep forest green
あの丘の斜面、深い森の緑
War bellows blazing in scarlet battalions
唸りを上げる戦争、燃え立つ深紅の大軍

「Canticle」の歌詞で、敢えてここは非連続のセンテンスを並べました、
「Canticle」はポール・サイモンが創った反戦歌「The Side of a Hill」を改変したものですが、「Scarborough Fair」には“そうした要素”はなく、何故ポールがこの二作品を一つに重ねたかは不明です。

ただ、その背景にはベトナム戦争への反戦感情があったであろうことは想像に難くはありません。
戦争とは、政府が国民の命の喪失を省みず強力な破壊兵器を用いて大量の人間を殺すという、極めて異常で非日常的な状態のことです。
当然そこには、ごく普通の平和な日常から戦争へと転換される瞬間があるわけですが、歴史を紐解くとその多くは何の脈絡もなくある日突然発生するのではなく、“戦争とは一見平和な日常が営まれる傍らで幾つか小さな予兆を重ね一歩ずつそこへ近づいてゆくもの”である気がします。
戦争は発生してから騒いでも遅いのであり、だからこそポールは“何気ない平和の中にその兆しを見逃すな”と、敢えてこうした表現を選択したのかもしれません。

 
The Side of a Hill / Simon & Garfunkel - Scarborough Fair (from The Concert in Central Park)



~“犠牲の精神”の分からない人間は、社会をよくすることができないのか?~

最近、国民に衝撃を与えている学生アメリカンフットボールの定期戦で発生した「悪質タックル問題」。
このニュースに接したとき、私は直ぐさまこの春から正式教科となった小学校の道徳の教科書に取り上げられている『星野君の二塁打』という題材への懸念と重なりました。

内容を簡単に説明すると…
“少年野球の試合で監督の送りバントの指示に従わず自己判断で打ちに行ったところタイムリー二塁打となってチームを勝利に導いた星野君が、試合後チームの輪(※原文ママ)を乱したとして監督から次の試合の出場禁止を告げられた…”
という話で、そこから【規則を尊重する態度を身につけさせる】ねらいの題材となっています。

この題材が生徒の個人評価を伴う正式教科となった道徳の教材として不適切なのは、「チーム勝利へ決定的貢献をした星野君」と「監督の指示に従わなかった星野君」という意見の割れる難しい論点を提示しているにも拘らず、政府(教科書)は最初から後者を断罪する監督を【正当】としているため、教師もその結論に沿って授業を展開し生徒を評価しなければならないことです。
組織の上位者の指示に従うことは誰も基本的に異論は無いと思いますが、もしも今回のアメフットのように上位者に「相手つぶせば出してやる」「できませんでしたじゃ すまされないぞ」と理不尽を命じられたら、これに従うことが道徳的に正しいといえるのでしょうか?

組織の上位者といえど人間であり欲に目が眩むこともあれば、判断を誤ることだってあります…

だからこそ彼らが迷走を始めた時、下位者がこれに盲従せず事実に基づいて自らの良心に従い善悪の判断し迷走を制御できる知性を備えていることが、組織のリスク回避のためにとても重要なはずです。
しかし非常時に知性を発揮するためには常日頃から一人ひとりが自分の頭で考え、行動する訓練が重ねられている必要があり、ただ規則や上位者に従ってさえいればよいという精神風土の下では、その知性は育まれません

それが欠如する組織だからこそ起こり得た現象が今回の「悪質タックル」であり、4月の大相撲春巡業で市長が土俵上で倒れた際「救命処置に駆けつけた女性看護師を退けるアナウンス」であり、政府与党と省庁で常態化している汚職の本質と思います。


そして、『星野君の二塁打』を道徳教科書の教材とした背景には隠された“本当のねらい”があると私は考えます。
道徳教材という性質上、通常であれば物語のクライマックスの部分に読者に教材のねらい(本作では「規則の尊重」)に誘導する“ある種の感動”が用意されているはずですが、本教材には読者に「やっぱり規則は守らないといけないな…」と強く思わせる根拠がありません(とても弱い)。
むしろ多くの読者の印象に残るのは、星野君の活躍を評価した子どもに対し監督が熱く反論する場面…

ぎせいの精神の分からない人間は、
社会に出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ


確かに、映画『アルマゲドン』のラスト・シーンのように自分が犠牲になって他者を生かそうとする行為は感動を覚えます…
でも、それは自分以外の他者に強要されるべきものではないし、強要されて行った犠牲は美徳とは全く異質の“別モノ”です。

普通ならここまで目くじらを立てることもないのですが、監督の言葉は現在この国の政権を握っている安倍晋三首相及び彼の支援団体【日本会議】の思想の“コアな部分”であり、現にこうした思想が国民の内心を罪に問う『共謀罪法』や、近い将来日本の世論を形成する子どもたちの価値観を左右する『教育基本法』と道徳の教材に色濃く反映されているのです。
【滅私奉公】の心掛けは奇特で立派ですが、政府が国民にそれを求める時、国民はよほど注意を払うべきであることは、この国を含むあらゆる世界の歴史が証明しています。



~Epilogue~

メディアではあまり報じられていませんが、私には最近特に気になる案件がもう一つあります。
自衛隊の関連団体に、『隊友会』という組織があることをご存知でしょうか?
隊友会は自衛隊退職者など約7万2000人を正会員とするOBの互助会組織ですが、他方で防衛及び防災関連施策等に対する各種協力や調査研究・政策提言などの事業を行っている公益社団法人でもあります。
その隊友会について今月、支部組織『東京都隊友会』が憲法改定を求める署名活動を行い、“その送付先を自衛隊東京地方協力本部”としていたことが報じられました。

一般に公益社団法人が政治活動を行うことは禁じられていませんが、言うまでもなく自衛隊員は【自衛隊法第61条】で“選挙権の行使を除く政治的行為をしてはならない”と定められており、改憲運動という政治的行為のために自衛隊の施設を提供することは問題があり、このことについて都隊友会の担当者も“うかつだった”と認めています。
ただ、調べてみると更に問題なのが、この隊友会は単なる自衛隊退職者による団体ではなく、現役自衛隊員約17万人が「賛助会員」として組織に組み込まれていることです。
【賛助】とは“事業の趣旨に賛成して力ぞえをすること”であり、言葉どおりに解釈すると“自衛隊が改憲運動の趣旨に賛成して力ぞえをするのか?”という疑念が浮かびますが、防衛省は“現役隊員は署名の集約に一切、関わっていない”と説明しています。

しかし、【上意下達】が鉄の掟の自衛隊が元上官からの頼み事を“それは違法です”と断れるのか、人事権を握る安倍首相の宿願でもある改憲の協力を拒むとどうなるか…想像してみてください。

防衛という特殊な事業を主としていることを考えると“隊友会にとって政府は極めて重要な顧客”であり、その顧問や相談役には自衛隊OBの自民党議員が名を連ねます。
2013年の参院選では公益法人である隊友会が自民党・佐藤正久参議院議の選挙活動で現金を配って支援した疑いが浮上し、公選法違反(買収)で逮捕者も出るなど、隊友会は極めて政治的で特定政党寄りの団体であるようにも見えます。


こうした自衛隊OBと現役自衛官で構成される隊友会の政治スタンスを知ってみると、4月に民進党の小西洋之参院議員が防衛省・統合幕僚監部指揮通信システム部に勤務する30代の3等空佐から敵対的態度で罵倒された事件の背景に何があったのか、腑に落ちました。
基本的に戦後の日本の政治システムは、戦前の軍部の強い政治介入によって捻じ曲げられ大戦争を招いた反省から、自衛隊は【文民統制】によって政治への参与が厳しく制限されてきましたが、隊友会という公益社団法人の看板を借りることで実質的に政治的行為を行うことが可能となっているといえるのでしょう。
これは憲法上、護憲義務のある安倍首相が日本会議など任意団体の看板を借りて改憲運動を推し進めているのと同じ手法でもあります(隊友会は日本会議とも連携した運動を展開している)。

隊友会は偕行社(大日本帝国陸軍の元将校・軍属と自衛隊元幹部の親睦組織)らとの連名で提出した「平成29年度政策提言書」の中で改憲の必要性を主張し、1-(4)では国民の国防意識の高揚が極めて重要であるとし、憲法に“国民の国を守る義務の明記”を提言しています。

しかし戦前の太平洋戦争へ突入した原因の一つは、軍事拡大のための予算増大の賛同を得ようと国民の国防意識に火を点け煽った軍部が、予想以上に大きく燃え広がった国民の戦意高揚がプレッシャーとなって無謀なアメリカとの開戦に踏み切らざるを得なくなったことだったはずです。
愛国心や国防意識の高揚は自衛隊の予算獲得には役に立つかもしれませんが、それは裏を返せば近隣国への敵愾心の高揚であり、それによる関係悪化と軍拡競争が本当に戦争を招くことになりかねません。
あれほどの惨禍を代償として得た教訓を忘れ、同じ過ちを繰り返してはならないのです。


Never think that war, no matter how necessary,
いかに必要であろうと、いかに正当化できようとも、
nor how justified, is not a crime.
戦争が犯罪だということを忘れてはいけない  Ernest Hemingway

平和な今だからこそ、改めて心に刻み直そう。



「スカボロー・フェア/詠唱」


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tags : 1968年 フォーク 反戦 難解 コーラス 映画-60's  

comment(6) 

「サウンド・オブ・サイレンス」サイモン&ガーファンクル

2017.11.10

category : Simon & Garfunkel

Simon Garfunkel - The Sound of Silence1 Simon Garfunkel - The Sound of Silence2


Simon & Garfunkel - The Sound of Silence (1965年)



~“沈黙”に支配された声~

11月5日に76歳の誕生日を迎えたサイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルが、現在来日中です(11/17まで)。
“天使の歌声”と評される声の持ち主であるアートですが、さすがに76歳ではどうだろう…
とYoutubeを探してみると、今年の映像がありました!

やっぱり天使の歌声♪   (…でも頭頂部は齢相応?)

「サウンド・オブ・サイレンス」は歴史に残る美しい曲である一方、謎の多い作品です…。



~概要~

「サウンド・オブ・サイレンス」は言うまでもなくサイモン&ガーファンクルの代名詞としてあまりに有名な作品であり、ローリング・ストーン誌“The 500 Greatest Songs of All Time 156位”にも数えられた歴史的名曲です。
ただし、ヒットに至るまで意外にも紆余曲折のある作品なので、それも併せてご紹介しましょう。

「The Sound of Silence」はポール・サイモンが21歳(1962年頃)の時に書いたものが元となった作品で、ポールは大学を卒業後6か月ほど出版社やレコード会社に本曲を含む自作曲の売り込みをかけましたが相手にされず、結局自分で歌うことを決意しました(一時「The Sound of Silence」などの権利を彼らに譲渡するつもりだったものの対立が発生し取り止めた)。
その後アート・ガーファンクルとのコンビを復活させた(1957年に【Tom & Jerry】を結成)ところをコロムビア・レコードのプロデューサー、トム・ウィルソンに見出されコーラスとアコースティック・ギターのみで構成された非常にシンプルな「The Sound of Silence」の最初の音源を含む1stアルバム『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning,3A.M.)』を1964年に発表しました。
しかし発売初年度の売上が3,000枚と惨憺たるものであったためポールはヨーロッパへ放浪、アートも学業の道に戻るなどS&Gはデビュー早々から解散含みの状態に陥ってしまいます。

1965年、ポールのロンドンを拠点とする音楽活動が軌道に乗り始め、BBCのラジオ番組で曲が放送され好評を博したためイギリスでソロ・アルバム『The Paul Simon Songbook』を発表、ここでも「The Sound of Silence」は“ポールのソロ作品”として再レコーディング・収録されました。
しかし“瓢箪(ひょうたん)から駒”とはこの事で、同じ頃アメリカのFM局でも「The Sound Of Silence」の人気が高まる現象が起こっていたため『水曜の朝、午前3時』のプロデューサーのトム・ウィルソンは、自身が当時担当していたボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」のレコーディング・ミュージシャンを使って、1964年ver.の「The Sound Of Silence」を独断でエレクトリック・ギターとドラムスを加えるなどフォーク・ロック調にリミックスし直して同年9月にシングルとして発売、これが翌年1月にBillboard Hot 100で2週No.1(1966年の54位)という思わぬ大成果を挙げています。

この“棚から牡丹餅”的幸運(?)によって、解散の危機にあったサイモン&ガーファンクルの二人が急きょ招集され、1966年に本シングルを含む2ndアルバム『サウンド・オブ・サイレンス(Sounds of Silence)』を発表すると、これが世界中でベストセラーを記録し、一気に彼らの人気を確固たるものとしました。
翌1967年にはダスティン・ホフマン主演の映画『卒業(The Graduate)』のテーマ曲となり、S&Gの作品群をメインとしたサウンドトラックも全米No.1に輝いています。


 
 



~Lyrics~

Hello darkness, my old friend
暗闇よ、こんにちは…僕の古い友だち
I've come to talk with you again
また君と話しに来た

イントロからの悲しくも寂しげなギターの旋律が印象的であり、出だしから“[darkness]を[my old friend]と呼ぶ主人公”について興味を覚えずにはいられないでしょう。
辞書によると【darkness】には“暗さ、暗やみ、心のやみ、無知、腹黒さ、邪悪、不明瞭、あいまい、秘密…”などネガティブなイメージの定義が並びます。
ただし、ポール自身にとって“darkness(暗闇)は集中力を高めるもの”だそうで、だからこそ[my old friend]なのでしょう。
彼は風呂場で蛇口から流れる水の音を聞くのが好きで、“「The Sound of Silence」は風呂場で電気を消して真っ暗の中で作曲した”そうです。
そんなリラックス・モードから生まれたせいか、歌の出だしは当初“【Aloha(ハワイ語の挨拶)】 darkness”だったと、アートが証言していますよ!

もちろん、本作の主人公にとって[darkness]がポールと同じ意味をもつとは限りませんが…。


And the people bowed and prayed
…そして人々は額(ぬか)ずき、祈った
To the neon god they made
自らが創り出したネオンの神に向かって

【the neon god】は現在も一般的な言葉ではないようで、恐らくポールによる造語と思われます。
これについて巷では[テレビ]や[文明]といった具体的な言及もあるようですが、定かではありません。
ただ、明らかであるのは“それはthey(people)が作ったもの”であり“人々から神の如く崇拝されている”、ということ。

そうした人々と[the neon god]との関係は、主人公にどう映っているのでしょう…。


People writing songs that voices never share
人々は、声を共にするでもない歌を書いている
And no one dared
そして、敢えて
Disturb the sound of silence
沈黙の世界を乱す者もない

「サウンド・オブ・サイレンス」について、ポールは“若者特有の感情を歌ったもの”と説明しているようですが【People】への言及も多く、これは単純に個人的な苦悩だけでなく“【社会】との苦悩”も含まれるのかもしれません。
S&Gと同時代のライバルには“プロテストソングの旗手”と評されるボブ・ディランがあり、ポール自身“ディランの存在なしにこの歌が書けたとは思わない”と認めているほど彼に強い影響を受けていました。
(※プロテストソングとは、政治的抗議のメッセージを含む歌)

このセンテンスが含まれる3番の歌詞には“形だけのコミュニケーションに終始する人々”が描かれており、“自分の意思を伝えようとも、相手の気持ちに耳を傾けようとも、そしてそんな社会の風潮に抗おうともせずただ沈黙しているだけの人々のさまを【the sound of silence】”と形容しているようにも思えます。

そんな社会に耐えきれなくなった主人公は、4番で遂にその疑問を人々へと投げ掛けますが…。



~Epilogue~

The Sound of Silence...

第2次安倍政権発足から間もなく5年、日本は『報道の自由度ランキング』で2012年(野田内閣)の22位から2017年に72位(先進7カ国中最下位)に低下したデータが物語るように、この国を覆う“沈黙の声”は拡大するばかりです。
メディアの中でも最も権力による統制の影響が感じられるのはやはりテレビで、地上波ではここ数年で政権に“もの言う”キャスターやコメンテイターが一掃され[真相究明から腰の引けた報道姿勢]が増え、安倍首相の価値観を反映した番組や出演者が増えた実感があります。

私はこれまで安倍氏の目指す【美しい日本】について[=戦前(特に明治~終戦)の制度や価値観]と認識し、そこへ向かおうとする彼の言動を注視してきました。
その指標の重要な一つとしたのが【メディア統制】で、それは戦前の大日本帝国が【メディアを支配者の利害のための広報】と成さしめることによって国民を容易に欺き、強固な支配体制を築くことを可能にしたからです。
しかし戦前にも[大正デモクラシー]があったように、全体主義に対するリベラル(自由)な精神が尊重された時代もありました。
それを一変させたのが1931年(昭和6年)の【満州事変】で、そこから[覆い隠さなければならない不都合な真実]が増え、嘘を国民に知られないためにメディア統制を強めてゆくことになるのです。


2011年に放送された『NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか(第3回 "熱狂”はこうして作られた)』によると、満州事変以降戦争の拡大により【挙国一致報道】に与した新聞各社の発行部数は日米開戦までで約2倍に増え、こうなると挙国一致報道は国家による単なる押し付けではなく新聞社自身の利益の源であり、もはや権力側と一蓮托生の間柄となっていたように思われます(このため新聞各社は満州事変が関東軍による謀略であることを早くから知っていたにも拘らず、終戦までその事実を一切報じなかった)。
一方、挙国一致報道に抵抗していた朝日新聞などは【国益のため】と説き伏せられ、“木造家屋が密集する日本は空襲されたら終わりである。防空演習は役に立たない”と軍部を批判した信濃毎日新聞などは【不買運動圧力】によって屈服させられました。
そして私が特に印象深かったのが、信濃毎日新聞の件の翌年に行われた
【在京大手6社の新聞記者11人による会合での会話】

記者
“信濃毎日の桐生悠々も防空演習を論じて結局やめる羽目になりましたね”
記者
“経営的圧迫と言いますか自分の新聞が売れなくなるような事は、書かない方がいいと思います”
記者
資本主や自分の同僚に迷惑を及ぼしちゃあいすまんという気持ちが記者にあるんじゃないですか”
記者
“最近は政府の禁止事項が非常に多いんですよ、非常に細かい物まで何十と来てます。いっそ禁止してくれた方が良い、そうなれば苦心して書く必要が無くなります…”


この会話、あなたはどう感じられたでしょう…
私にはまるで、これが現代の記者たちが報道圧力を受けた後の座談会として週刊誌に掲載されていたとしても、何の違和感もありません。

現に、ニュース解説で知られるジャーナリストの池上彰氏は“安倍政権になってから自民党は主なニュース番組をすべて録画して、細かい部分まで毎日のように抗議し、訂正を求め、注文をつけてくる”と証言しており、これをしつこく繰り返されるとテレビ局も“面倒くさいから文句を言われない表現にしよう”となってしまうそうです。
特に安倍氏は自民党が野党に下野した時代に『自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)』という支援組織を立ち上げており(2017年時点の会員数は約1万9000人)、これがネット上で世論誘導を行い、政権批判した番組及びそのスポンサー企業に対し[一斉に抗議・不買圧力の電話]を実行して自民党をサポートしているといわれます。


本来であれば憲法上、政府の独走を【国権の最高機関である国会】(憲法 第41条)と【違憲審査権を有する最高裁】(憲法 第81条)がこれを正すはずですが【国会の2/3は与党】、【政府に違憲を下す判事を内閣が選任するはずがない】という絶望的な現実により、機能停止に陥っています
【第4の権力・メディア】もNHKは政府が人事を支配し、民間はあらゆる懐柔と圧力によって報道を抑圧されています。
偽りの政治がやがて破たんすることは宿命ですが、それが長期に亘ると私たち国民の被害が大きくなることもこの国の歴史が証明するところです。


"Fools", said I, "You do not know
僕は言葉にして言った “愚かな…誰もわかってない
Silence like a cancer grows
沈黙は、癌を育むようなもの

多数の沈黙は、小数の声に支配されます。

この国が健全な機能を取り戻すために私たちができること…
それは、“多数が声を示すこと”です。



「サウンド・オブ・サイレンス」


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「ボクサー」サイモン&ガーファンクル

2014.05.03

category : Simon & Garfunkel

Simon Garfunkel - The Boxer1 Simon Garfunkel - The Boxer2


Simon & Garfunkel - The Boxer (1969年)



~Prologue~

4月26日夜、サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンが“治安を乱した容疑”で地元警察に逮捕されたとの報道が、世界を駆け巡りました!
原因は20年以上連れ添った奥さんのエディ・ブリッケル(Edie Brickell & New Bohemiansのリード・シンガー)との夫婦喧嘩で、双方とも軽症を負っていたそうです。

ただ、二人は29日に裁判所へ出廷し問題はないと訴え、ポールとエディは翌日にも夫婦がデュエットした新曲「Like To Get To Know You」を公開し夫婦仲の円満をアピールしましたとさっ(メデタシ、メデタシ?)♪



~概要~

サイモン&ガーファンクルは世界で最も成功したデュオの一つで創作的な活動期間は1964 - 1970年と短いものの(単発的には外にもある)、「明日に架ける橋」など優れた楽曲と「サウンド・オブ・サイレンス」のような美しいハーモニーで今も人々を魅了し続けています。

「ボクサー」は彼らにとってアメリカで2曲目のNo.1ヒット「ミセス・ロビンソン」に続いてのシングルで、1969年4月にリリースされBillboard Hot 100で7位(年間76位)を記録、その後1970年のラスト・アルバム『明日に架ける橋(Bridge over Troubled Water)』に収録されました。
ベスト盤を含め現在よく知られているのはこのアルバムに収録されたバージョンで、オリジナルに含まれた約1分程の“この一節”が削られたものになっています。
オール・タイムとしての価値も認められる名曲で、ローリング・ストーン誌“ the 500 Greatest Songs of All Time(2010 Edition) ”にも106位にランクされる作品です

作者はポール・サイモンで、レコーディングには彼らにとって最長の100時間以上費やされました。
“ボクサー”というと『ロッキー』シリーズや格闘技系の入場曲「ファイナル・カウントダウン」(過去ログ)に象徴される“燃えるイメージ”がありますが、どう考えても”サイモン&ガーファンクル=格闘技”という構図は想像し難いモノがあるでしょ?
でもやっぱりその“期待に違わずボクシングらしくないサウンド”で、アコースティック・ギターとポール&アート・ガーファンクルによる見事なハーモニーがメインのカントリー調の趣があります。
唯一ボクシングっぽいとすれば、“Lie la lie ...”のコーラスの合間に入ってくるサンド・バッグを叩くようなドラム音ぐらいでしょうか?

後で詳しく述べますが実はこの作品はタイトルにあるような「ボクサー」をメインに掲げているわけではなく、本当のテーマは他にあるのです…。

 Live in the Central Park, New York, September 1981



~Lyrics~

I am just a poor boy
僕は、貧しいただの男

物語の実質的な主人公は、彼。
故郷を離れ都会に出たものの、定職も定住も得られず彷徨う一人の若者。
きっと、あなたの街にも“彼”はいるはず。
誰の気に留められることもなく、ひっそりと…。


Where the ragged people go
ぼろぼろの人たちが集まる…
Looking for the places only they would know
そんな人だけが知る場所を求めて

“the places only they would know”が、今回特に心に引っかかりました。
何年か前、何らかの理由で道路のアスファルトの僅かな隙間から逞しく生えた“ど根性大根”が話題となったのをご記憶でしょうか?

でも、彼らだって好んでそんな場所に根を下ろしたわけじゃない…
あんな小さな生命なのに、懸命に生きようとするその姿に私たちは感銘を受けました。
ただ、彼らは生まれる場所に恵まれなかっただけ…。


In the clearing stands a boxer
リングという荒野に立つ、一人のボクサー…

“boxer”という言葉が使われるのは実はこの1回だけで、主人公“a poor boy”とは別人と私は捉えています。
何故、わざわざボクサーを引き合いに出してきたのだろう…
その理由は、次に記します。


"I am leaving, I am leaving"
“きっと、這い上がる…”
But the fighter still remains
闘う男は、まだここに生きている

たぶん、この歌は社会の底辺で必死に生きる“名もなき貧者”への応援歌なのではないでしょうか?
“身を削ってお金を稼ぐ”象徴として、ボクサーを掲げたのだと思います。

テレビで見るボクサーはどれも華やかですが、実際は日本チャンピオンでさえ1試合のファイトマネーが100万円程なのだそうです(年間4試合で400万円、ここから何割かをジムに納める)。
そういえば『あしたのジョー』で、矢吹丈らが“泪橋”下の小屋を出られたのは東洋チャンピオン以降だったような…。



~貧しき者たちの心の叫び~

Lie la lie ...

この作品で印象的なものの一つに、このコーラスがあります。
しかしLyricsを読むと分かりますが、実はこれ以外でも“ lie ”と“ lay ”は頻繁に使われています。
みなさんは学生時代、この二つの意味や活用形の紛らわしさに頭を悩まされた記憶はありませんか?
ここでは、その紛らわしさを逆手に取って巧みにそれを織り交ぜ物語を構成しています。

ご存知のように“ lie ”には“横たわる”と“嘘をつく”という全く別の意味があり、“ lay ”には“横たえる”という意味があります。
この作品では、“貧しい人たちが理不尽や’偽り’により、さらに’どん底’へと追いやられている”現実を訴えているように思えるのです。
そして“Lie la lie ...”はそれを悲しみ、やがてそれが憤りとなって民衆の大きな叫びへと発展してゆくさまを象徴させているのではないのかと…。



~Epilogue~

近年耳にする流行語に、“ワーキング・プア”という言葉があります。
雇用側に有利な低賃金や社会保障制度により、マジメに働いているのにも関わらず生活の困窮を強いられる人々が増えているというのです。

一方で、天下りによりマジメに働かずとも何千万という収入と退職金を得ている人もいます。
こうした“理不尽な社会のしくみが、カネと権力を握っている彼ら自身によって作られる”限り、それを持たない弱者の苦しみが正当に省みられることはないのでしょう…。
人々の“叫び”が聴こえてきませんか?

Lie la lie ...
偽りと理不尽の横行は、もうやめにしてくれ!



「ボクサー」

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪


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tags : 1969年 偉大な曲 フォーク・ロック 負けない心 

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