ブライアン・アダムスは、カナダ出身のシンガーソングライターです。 1980年にデビューして一作毎にセールスを伸ばし1984年の4thアルバム『Reckless』で全米No.1を達成、それまでにない期待の中で発表したのが1987年の5thアルバム『イントゥ・ザ・ファイヤー(Into the Fire)』でした。 「ヒート・オブ・ザ・ナイト」はその1stシングルで、Billboard Hot 100でも6位(年間84位)を記録したロック・ナンバーです。
その心境の変化は「Heat Of The Night」のシングルやアルバム・ジャケットからも一目瞭然で、ロック界に珍しい爽やかな好青年のイメージのブライアンにしては、ぼんやりした暗い印象のモノクロ写真でした[《写真・右》。 それまでも『Cuts Like a Knife』や『Reckless』のジャケットでモノクロは使用されてきましたが、ポーズを決めたり真正面から強い視線で見据えたりと、思わず“ジャケ買い”してしまいそうな魅力的なモノクロとは全く異なる印象です。 「Heat Of The Night」の歌詞も暗く抽象的で、サウンドは重く歪み、モノクロ映像のPVには蛇まで登場してイエスの「Owner Of A Lonely Heart」を思い起こさせるような趣きさえあります。
こうした作品の暗さの背景には、作者であるブライアンとジム・ヴァランス (Jim Vallance)が1986年3月に[ベルリンの壁]を訪れたことが反映しているといわれます。 また、【黒】を多用した【フィルム・ノワール (film noir/虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ犯罪映画)】として名高い『第三の男(The Third Man)』(1949年・英)にも、部分的に影響を受けているそうです。 確かに、前回「Paint It Black」でも言及したように【黒】は力強さと存在感があって誰もが一度は憧れる色ですが、20歳くらいだとそれを前面に出すには“少し重荷”な色で、人生経験を重ねた20代後半は【黒】に挑戦してみたくなる年代かもしれません。 ちなみにこの映画のテーマ曲「ハリー・ライムのテーマ(Harry Lime Theme)」は非常に有名で、日本では「ヱビスビールのテーマ(CM曲)」としてお馴染みでしょう。
~Lyrics~
I was caught in the crossfire of a silent scream 声にならない悲鳴のクロスファイア Where one man's nightmare is another man's dream ある者の悪夢が、また別の者の夢となる在所
原題に「Summer Of '69」とあるように、今回のテーマは“1969年”です。 アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たし、日本のGNP(国民総生産)が世界第2位となった年。 映画『男はつらいよ』第1作が公開、アニメ『サザエさん』が放送開始、甲子園では三沢高校と松山商が延長18回引き分け再試合を演じました。
1983年の3rdアルバム『Cuts Like a Knife』で初のTop10ヒット「Straight from the Heart」を放つと、続く1984年の4th『レックレス(Reckless)』からはヒットを連発! 「想い出のサマー」はその4thシングルにして、Billboard Hot 100で5位(1985年の年間74位)を記録するという快挙をやってのけた作品です。 発表から30年が経つ現在も「Summer Of '69」はアメリカのサマー・ソングの定番で、テイラー・スウィフトもカバーしています。 また、Billboardが2014年に選考したオール・タイム『Top 30 Summer Songs』でも堂々の13位に数えられました。
「Summer Of '69」というタイトルから、この作品は1969年を舞台にしていると思いがちですが、歌詞を通して読むと実際には“少年時代から社会人までのエピソードが描かれており、1969年だけに限定されていない”ことに気づくでしょう。 実は当初、この作品のタイトルは「Best Days Of My Life」と名付けられており、それが象徴するように歌詞中でもこのフレーズが7回使われ、“summer of '69”はたった1回のみでした。 それが、最終的には“best days of my life”のフレーズを減らし、“summer of '69”を全体のテーマとして掲げるように増やしたため生じた矛盾です。 では何故、エピソードの一部でしかなかった“1969年の夏”に、これほど拘ったのでしょう?
やがて“the best days”は過ぎ去り、1976年の「ホテル・カリフォルニア」で We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine ここでは1969年以来、spiritを扱っておりません …と、その後の世相を皮肉ったイーグルス。
これに対し、ブライアン・アダムスはこう訴えます…
Oh, yeah. Back in the summer of '69, oh. 1969年の夏を取り戻せ!
長い人生、“the best days”ばかり続かない。 “過ぎ去った善き日々は、もう戻っては来ない”と達観するのも一理だけど、 安易に過去を美化することは、今を失望と共に生きるに外ならない。
「フロム・ザ・ハート」は1983年の3rdアルバム『カッツ・ライク・ア・ナイフ(Cuts Like a Knife)』からの1stシングルで、ブライアンにとって初めてBillboard Hot 100でTop10入り(週間10位/年間71位)を果たした作品です。
彼は当時23歳でしたがこの作品はデビュー前の1978年、まだ18歳の時に書いたもので、友人のEric Kagnaが考えたタイトルからストーリーが創作されました。 しかし作品は彼本人によるレコーディングが実行されぬまま、1980年に Ian Lloyd によって初めて世に出ることとなります。 82年末にようやくブライアンがこの曲のレコーディングを果たしシングル・リリースまで至るものの、Rosetta Stone のカバーver.が1ヶ月前、チャートを上昇中にもボニー・タイラーのカバーがリリースされるなど同作品の発表時期が重なってしまいました。