I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「フラッシュ・ゴードンのテーマ」クイーン

2020.11.13

category : Queen

Queen - Flash (1980年)

クイーンが『Greatest Hits』のリリースを延期してまで取り組んだサウンドトラックのテーマ曲 ♪

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tags : 80's ロック 映画 CM曲 

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「愛にすべてを」クイーン

2020.01.19

category : Queen

Queen - Somebody To Love (1976年)

1月15日発売『Greatest Hits In Japan』選曲のためのファン投票で第1位に輝いたナンバー ♪

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tags : 70's ロック ゴスペル コーラス 男の恋 

comment(4) 

「ブレイク・フリー (自由への旅立ち)」クイーン

2019.01.11

category : Queen

Queen - I Want To Break Free1 Queen - I Want To Break Free2


Queen - I Want To Break Free (1984年)

~概要~

「ブレイク・フリー (自由への旅立ち)」は、1984年発売のクイーン11thアルバム『ザ・ワークス(The Works) 』の収録曲。
アルバムからの1stシングル「RADIO GA GA」(過去ログ)は世界中で大ヒットを記録し、2ndシングル「I Want To Break Free」もヨーロッパ4カ国でのNo.1をはじめ南米やアフリカでもヒットを記録するなど世界的成功を収めましたが、アメリカ Billboard Hot 100 では45位と、残念な結果に終わりました(後述)。

作詞・作曲は、「地獄へ道づれ」の作者でもあるベーシストのジョン・ディーコン
アルバムver.(3分20秒)はベースとパーカッションによる短い前奏で曲が始まりシンプルな演奏ですが、シングルやPVの音源にはシンセサイザーやエレキ・ギター、間奏が大幅に付加され演奏時間も4分21秒と長くなっています。


PVはクイーン屈指の有名作品ですがメンバー全員が女装する奇抜なもので、これが波紋を呼びアメリカではMTVと幾つかの放送局がビデオの放送を拒否してチャートに悪影響を及ぼしました。
ブライアン・メイによるとこのアイデアはロジャー・テイラーの当時のガール・フレンドにより、1960年からイギリスで放送され続けている国民的テレビ・ドラマ『コロネーション・ストリート(Coronation Street)』の女性たちを模倣したものだそうです。
撮影に当たってフレディ・マーキュリーはトレード・マークのヒゲを剃るつもりでしたが、映像監督デヴィッド・マレットの“ヒゲがあるのが面白い”という意見により、【女装+口ヒゲ】というあの強烈なキャラクターが生まれました。

こうした“フレディの趣向”は日本公演ほかツアーのステージでも再現されましたが、325,000人という大観衆を集めた1985年のリオ・デ・ジャネイロ公演では客席から彼に向かって投石され、危険回避のため途中で“衣装”を取り外す一幕もあったそうです。
南米やアフリカで「I Want To Break Free」は、アパルトヘイトなど抑圧に対する“民衆解放運動のアンセム”と見做されていた)
彼の死後1992年4月20日に催された『フレディ・マーキュリー追悼コンサート』では、本物の女性であるリサ・スタンスフィールド(Lisa Stansfield)が「I Want To Break Free」のパフォーマンスに掃除機を持って登場し、会場を沸かせました。

そんなパロディ・ネタを興じる一方で、間奏部分はロイヤル・バレエ団を招いて本格的なバレエ作品『牧神の午後(仏: L'Après-midi d'un faune )』の【ファウヌス( faun:半人半羊の林野牧畜の神)】を演じており、ここでは役に徹するためフレディはヒゲを剃っています。
フレディは1979年にロイヤル・バレエ団のチャリティ公演に依頼され参加したことがあり(テーマは「ボヘミアン・ラプソディ」(過去ログ))、ここでの再演はその恩返しといったところなのかもしれません。


本作が30年以上経った現在も強いインパクトを与えていることを再認識させられたのが、昨年のフレディの誕生日(9月5日)の出来事。
この日ロンドン・ヒースロー空港では、現職の荷物運搬係たちがフレディの誕生日を記念してターミナルでクイーンの「I Want To Break Free」のダンス・パフォーマンスを披露しました。
これはBBCのダンス番組『ストリクトリー・カム・ダンシング』との協賛により行われたもので、荷物係は慣れないダンスを2週間猛練習したそうです。
実はフレディにはクイーン加入前にヒースロー空港で荷物係のアルバイトとして働いていた経歴があり、現職の荷物係たちが“偉大な先輩”に敬意を表し誕生日を祝ったものでした。
その映像が、後日世界に公開されています。


 
 



~ I Want To Break Free!! ~

2019年1月6日に『第76回ゴールデングローブ賞』授賞式が行われ、映画『ボヘミアン・ラプソディ』が【最優秀作品賞】(映画/ドラマ部門)と【最優秀主演男優賞】(映画/ドラマ部門;ラミ・マレック)の2冠に輝きました。
この結果にブライアン・メイとロジャー・テイラーは何れもSNSに「WOW!」と応答し、2019年1月7日現在・全世界で7億4300万ドルの興行成績を挙げ音楽伝記映画の興行記録を樹立した作品に対し、ブライアンは“こんなにビッグになるとは誰も予想していなかった”とコメントしています。

Queen - I Want To Break Free3

また、ブライアン・メイといえば映画以外で最近日本のニュースにも報じられたのが、このツイートです(インスタグラムでも同内容を投稿)。
「緊急!!!緊急!!! この請願に署名してください。アメリカが空軍基地を拡張することによって脅かされている、美しいサンゴ礁とかけがえのない生態系を守るために。 Bri」

ファンの方はご存知のように、ブライアンはキツネ狩りやアナグマ殺処分などの政策に反対し続けてきた熱心な動物愛護運動家であり、地球規模の宝である美しい希少サンゴや多種多様な生物がすむ豊かな沖縄県辺野古海岸への土砂投入・埋め立ては堪え難いものがあったのでしょう。
(この「請願書」が20万筆を超え要件を満たしたことから、米政府は60日以内に何らかの回答をすることになっている)


 

一方【辺野古海岸の埋め立てを命じている日本政府】の最高責任者である安倍首相は1月6日にNHK『日曜討論』に出演し、「土砂の投入にあたって、あそこのサンゴは移している」の発言に、玉城デニー沖縄県知事が「現実はそうなっておりません。だから私たちは問題を提起しているのです」と反論し、波紋を呼んでいます。

沖縄県水産課が埋め立て予定海域全体で移植が必要とする約7万4000群体のサンゴのうち、防衛省沖縄防衛局が実際に移植したのは9群体のみ(今回の土砂投入区域外)であったことから【言行相反】と批判を招いたわけですが、このレベルの欺瞞(十分大ウソですが)は彼にとって日常茶飯事であり、むしろ辺野古移設には【優先して追及すべき根源的な嘘】が他にあります


【普天間基地】の返還には【辺野古新基地+8つの条件】!?

「代替の基地である辺野古に基地を造りますよ、しかしその代わり世界で最も危険と言われている普天間基地は返還される」 安倍首相/NHK『日曜討論』 2019.01.06.

最優先で追及すべき根源的な嘘とは、これです。
今回の安倍首相の発言に限らず、これまで政府・自民党は国民に対し一貫して「普天間基地返還は辺野古が唯一の解決策」と強調してきましたが、2017年6月15日、日本を揺るがした【共謀罪法案の強行採決】が行使された同日、参院外交防衛委員会で稲田朋美防衛相(当時)が興味深い答弁をしています。


「普天間の前提条件であるところが整わなければ、返還とならない」 稲田朋美防衛相/参院外交防衛委員会 2017.06.15.

実は、第2次安倍政権発足後の2013年4月に日米両政府は『沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画』の合意を交わしており、そこには【普天間基地返還のための8つの条件】(IV-6)が記されています。
先の稲田防衛相の発言はこのうちの一つ、【普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善】についての質問への答弁です。
つまり、どういうことかと言うと…

“辺野古(滑走路;約1800m)は普天間飛行場(滑走路;約2700m)の代替施設には不足だから、緊急時は普天間と同等の滑走路を持つ民間飛行場(≒那覇空港;約3000m)を米軍に使用させる”という前提が整わなければ普天間は返還されない、と解釈できます。
【民間施設の使用の改善】が気になっていて、那覇空港は現在サンゴの海を埋め立て、2700mの第二滑走路を増設中(2020年3月末の供用開始を目指している)…。


一方で2009年の日米協議に於いて、キャンベル米国務次官補(当時)は「90年代は朝鮮半島や中国で有事作戦計画を実行するのに米軍嘉手納基地と【那覇空港】の滑走路があれば十分だったが、中国の劇的な軍事力増強により、有事に少なくとも滑走路3本へのアクセスが必要になった」と言及したとされます。

近年ますます拡大する中国の軍事力を鑑みると、米軍としては戦闘機や大型輸送機を運用できる2700m以上の滑走路をもつ飛行場を1本でも多く確保したいのが本音であり、そう考えるなら2700mの普天間を失って1800mの辺野古新基地に移転する…というのも不自然な話です。
(普天間は国に返還されても県民には返されず、滑走路は残されるとか…?)
辺野古沿岸の大浦湾はサンゴ礁の多い沖縄にあって貴重な深い海であり、辺野古新基地の本当の目的は強襲揚陸艦や原子力潜水艦が寄港するための【軍港】であるとの指摘もあります。


普天間基地返還は辺野古が唯一の解決策
辺野古移設「沖縄の負担軽減になる」 安倍首相

通算・在任8年目の安倍政権…
その言葉に、偽りはないのでしょうか?



~Epilogue~

Queen - I Want To Break Free4

「嘘つきは、戦争の始まり。」 宝島社企業広告 (朝日新聞掲載)

《写真・左》は、宝島社が1月7日付の朝日新聞朝刊に掲載した企業広告。
“イラク軍による原油流出で汚染された水鳥”といった触れ込みで西側メディアによって世界に広められ、多国籍軍(連合軍)のイラクへの攻撃(湾岸戦争)支持の国際世論を導いた一つとなりましたが、後にこれは【米軍が爆破した貯蔵施設からの原油流出であった】ことが判明しました。
また、この戦争で開戦に特に大きな影響を与えたのが“イラク軍の残虐さを涙ながらに訴えたクウェート人少女の証言”《写真・右》でしたが、これも【少女はクウェート駐米大使の娘で母国に行ったことがなく、映像も広告会社が制作したやらせ】だったことが後に発覚しています。

こうした謀略めいた嘘によって始まる戦争は異例ではなく、むしろ常識…それが戦争というものです。
“戦争=大量●人”であり、それを正当化するために嘘でも敵をそれ以上に邪悪な存在に仕立て(ジョージ・W・ブッシュ大統領は敵を“axis of evil(悪の枢軸)”と呼んだ)、“悪と戦う自分たちこそ正義”と国民の敵愾心を煽ります。
日本を焦土に導いた先の大戦も同じで、日本軍による謀略【柳条湖事件】(日本の所有する満州鉄道を自作自演で爆破)を起こし、それを中国の攻撃と偽って戦争を始めました。
(事件の詳細については、過去ログ;「ハートにファイア」ビリー・ジョエル へ)


Queen - I Want To Break Free5

「敵は、嘘。」 宝島社企業広告 (読売新聞/日刊ゲンダイ掲載)

これも、1月7日付の宝島社による企業広告 (読売新聞/日刊ゲンダイ掲載)より。
写真はローマのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会にある石の彫刻『真実の口(Bocca della Verità)』で、以下のコピーが綴られています。

いろんな人がいろいろな嘘をついている。
子供の頃から「嘘をつくな」と言われてきたのに嘘をついている。
陰謀も隠蔽も改ざんも粉飾も、つまりは嘘。
世界中にこれほど嘘が蔓延した時代があっただろうか。
いい年した大人が嘘をつき、謝罪して、居直って恥ずかしくないのか。

この負の連鎖はきっと私たちをとんでもない場所へ連れてゆく。
嘘に慣れるな、嘘を止めろ、今年、嘘をやっつけろ。


しかしそんなささやかな“初夢”さえ瞬時にかき消し、悪夢のように“暗黒で、果ての見えない嘘”で年が明けました。
国の重要な基幹統計にもなっている厚生労働省の『毎月勤労統計』が2004年以来不正な手法で集計され続け、これによって生じた雇用保険や労災保険などの過少給付総額が567.5億円、対象者が1973万人に上るという空前の事態を招いたことが報じられています。

この問題について根本厚労相は1/11「組織的隠蔽があったという事実は、現段階ではないと思う」と述べましたが、実は厚労省は昨年1月分から(実態に合わせるとして)毎月勤労統計の調査対象のうち大企業の比率を増やし中小企業を減らす形の入れ替えを実施しており、結果前年を大きく上回る数値を示し、特に6月の賃金上昇率は3.3%と21年5カ月ぶりの高い伸び率となり、その不自然な変動に政府の有識者会議『統計委員会』は“発表している賃金伸び率が実態を表していない”と指摘しました。
毎月勤労統計(賃金上昇率)はアベノミクスの成果を示す重要な指標で、6月分の速報(8/7)は自民党総裁選候補者の動向が注目されていた時期

厚労省は昨年同時期に【裁量労働制データ捏造問題】を引き起こしており、これら“不自然なデータ異常の連続”は果たして単なる偶然でしょうか…(当時の厚労相は安倍首相の腹心・加藤勝信氏)。
更に“救い難い”と思ったのは、少なくとも調査企業を入れ替える時点、1年以上前から統計値が過小評価されていると認識していたにも拘らず、今年1/11の会見で厚労省は不正集計が始まった原因について「今後引き続き調査を行ってまいりたい」、問題の公表を1年以上しなかった理由も「現時点でははっきりと判明した事実で整理できているものがない」と答え、それで許されていることです。
安倍首相と厚労省にとって、かつて自らが経験した世紀の不祥事、5000万件の公的年金保険料の納付記録漏れを生じさせた【消えた年金問題】さえ、己を戒めるクスリにならないのか…。

“この負の連鎖はきっと私たちをとんでもない場所へ連れてゆく。
嘘に慣れるな、嘘を止めろ、今年、嘘をやっつけろ。”


I want to break free
自由になりたい
I want to break free from your lies
君の嘘から、解き放たれたい



「ブレイク・フリー (自由への旅立ち)」


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tags : 音楽 Lyrics 和訳 洋楽 映画 

comment(12) 

「ショウ・マスト・ゴー・オン」クイーン

2018.11.02

category : Queen

Queen - The Show Must Go On1 Queen - The Show Must Go On2


Queen - The Show Must Go On (1991年)



~概要~

「ショウ・マスト・ゴー・オン」はイギリスのロック・バンド、クイーン1991年2月5日の14thアルバム『イニュエンドウ (Innuendo)』に収録された作品で、アルバムの最終曲です。
イギリスでは10月14日にシングルとしてリリース(全英16位)されていますが、10月28日には本曲を含んだ『グレイテスト・ヒッツII(GREATEST HITS vol.2)』も発売されており、そのプロモーション・シングルといった意味合いが強かったでしょう。
また、同年11月24日にはフレディ・マーキュリーが亡くなってしまったため、“フレディ生前最後のシングル”でもあります。

クレジットはクイーンとなっていますが、多くの部分の作者はブライアン・メイ
ロジャー・テイラーとジョン・ディーコンによるコードを元にブライアンとフレディが作品のテーマを話し合い、主にブライアンが詞・曲を作り、フレディが歌詞の一部を書きました(別項参照)。
作曲に当たって、ブライアンは17世紀ドイツの作曲家ヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel)の作品「パッヘルベルのカノン」(Canon and Gigue in D)からヒントを得ているそうですが、この曲はさまざまな式典のBGMとして使用されているので、みなさんも聴き覚えがあるでしょう。


病気で体調の思わしくないフレディは、『Innuendo』で3rdシングルまで化粧や映像処理で衰弱をカバーして何とかPV制作に参加できていましたが、4thに当たる「The Show Must Go On」の頃にはもう撮影に加われないほど病状が悪化していました。
このため「I Want to Break Free」をはじめ「Radio Ga Ga」(過去ログ)や「Innuendo」など、1981年から1991年までのPVを編集した映像となっています。

リリースから6週間後にフレディが亡くなってしまったため彼が歌う「The Show Must Go On」がライブで再現されることはありませんでしたが、1992年4月20日に行われた『フレディ・マーキュリー追悼コンサート(Freddie Mercury Tribute Concert)』では【クイーン+エルトン・ジョン(vo)+トニー・アイオミ】という形で披露され、エルトンは1997年にもパリのナショナル・シアターで開催された『スペシャル・バレエ』プレミア公演でクイーンと再演しています。
その後本格的にツアーを再開したクイーンは、【クイーン+ポール・ロジャース】【クイーン+アダム・ランバート】という形で「The Show Must Go On」を歌い継ぎました。
また、2016年5月にセリーヌ・ディオンが「The Show Must Go On」のカバーをデジタル・シングルとしてリリースし、同月【2016 Billboard Music Awards】で見事な歌唱を披露していますが、このときセリーヌは1月に夫レネ・アンジェリルを亡くしたばかりでした。


 
 



~Lyrics~

Empty spaces, what are we living for?
虚(うつ)ろなる空間… 人は、何を求め生きるのか?
Abandoned places, I guess we know the score
見捨てられた場所… 人は、そこで真実を思い知る

1986年、クイーンはアルバム『A Kind of Magic』を発表した後6/7-8/9まで同アルバムに伴う『Magic Tour』を行っていますが、その後フレディは体調が悪化し、結局彼が参加したツアーはこれが最後となりました。
その後1987年のイースター直後にフレディはAIDS(エイズ)と診断されたそうですが、痩せ衰えた外観やツアーへの不参加やなどから1990年頃メデイアにはAIDSを疑う声が挙がり始めたものの、その真実は彼が亡くなる前日の1991年11月23日までフレディ側から公表されることはありませんでした

AIDSは【後天性免疫不全症候群 (Acquired Immunodeficiency Syndrome) 】…つまり“後天的要因(HIVウイルス感染)によって免疫不全を起こす疾患”であり、体内の免疫力が破壊されるため、健常であれば問題にならない病原体にも容易に感染・発症するようになってしまう疾病です。
1980年代前半にHIVウイルスが発見され、当時は有効な治療法がなく極めて致死率の高い病気でした(現在は薬によって病の抑制は可能で、致死率は劇的に下がったが完治は困難)。

Empty spaces(虚ろなる空間)/Abandoned places(見捨てられた場所)...


My soul is painted like the wings of butterflies
魂は、蝶羽の如く彩られ
Fairy tales of yesterday will grow but never die
昨日の伽話(とぎばなし)は伝説となり、決して絶えることはない

「The Show Must Go On」は主にブライアン・メイによる創作とされていますが、この部分の歌詞はフレディ・マーキュリーによるものであるかもしれません。
生前フレディは歌詞を記したノートを持ち歩いていたそうで、2016年に彼が最期の3年間使用していたノートがオークションにかけられ、その中に「The Show Must Go On」のこの部分の歌詞が綴られていました

…確かに、【like the wings of butterflies】という比喩の発想は、どう考えてもフレディっぽい?


My make-up may be flaking
道化の仮面が剥がれ落ちようとも
But my smile still stays on
真の面は、笑みを灯し続けよう

1985年以来フレディの私的パートナーで、彼の最期を看取ったジム・ハットンさんはこのフレーズを“最も自伝的”と評しています。
それは本当のことだった。どんなに病が苛んでも、フレディが誰かに不平を言ったり憐れみを乞うたりすることはなかった。それは彼にとって自分との闘いであり、ますます重くなる病状に対して常に勇敢な顔で立ち向かっていた…”

しかしこのハットンさんも、フレディに劣らず勇敢な人です。
1987年に自らのHIV感染を知ったフレディは彼に別れを切り出しましたが、彼がフレディの元を離れることはありませんでした。
しかも、そのために彼自身も1990年に(フレディによると思われる)HIV感染が判明し、そのことを最後までフレディに明かさなかったそうです(彼は2010年に肺がんで亡くなっている)。



~Epilogue~

11月9日、クイーン・28の名曲とブライアン、ロジャー、ジョン…
そして、フレディの生き様を描いた伝記ミュージカル映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開されます。
楽曲「Bohemian Rhapsody」については過去ログへ)

「The Show Must Go On」はこの映画のサウンドトラックの一つであり、フレディの人生を語るのに最も似つかわしいテーマと考え、これを選曲しました。
【The Show Must Go On】はこの作品に限った特殊な言葉ではなく、英語圏のショウ・ビジネスにおいて使われる慣用句で、凡そ本項に示したような意味合いが込められています。




ブライアン・メイによると、1990年に「The Show Must Go On」のレコーディング時、フレディは既にほとんど歩くことができない状態だったといいます。
「The Show Must Go On」を作曲してはみたものの、そこにはブライアン自身がファルセットでなければ歌えない高い音域が何か所か含まれていました。
そのため、デモをフレディに聴かせたとき、体が衰弱したフレディには無理な要求ではないかと心配して、この言葉を添えたといいます。
フレッド、これ歌えるかわからないけれど…

これに、対してフレディは…
I'll fucking do it, darling(いっちょ、やってやるさ!)
そう言ってウォッカをグイッと飲み干すと、完璧なヴォーカルでブライアンが苦戦した難曲をやっつけてみせたそうです。
(ブライアンは、この曲でのフレディの歌唱が生涯最高のうちの一つだったと評価している)


The show must go on
ショウは、続けなくてはならない
The show must go on
半ばにして、舞台を降りてはならないのだ

これと関連して思い出すのは、死期を悟ったデヴィッド・ボウイがその死さえも自らのアート作品として2016年にアルバム『★』とミュージカル『Lazarus』(過去ログ)を創り上げたこと…
そのデヴィッドも、癌に冒され衰弱した体に鞭打ってまでも、作品の完成のために残された時間と生命力のすべてを注いだといわれます。

1991年2月に『Innuendo』がリリースされて間もなく、フレディはブライアンに言いました。
曲を書いてよ、もう長くないってわかってるんだ。どんどん詞を書いて、どんどん曲を書いてよ。僕は歌うから、きっと歌うから…

稀代の“showman”、デヴィッド・ボウイとフレディ・マーキュリー…
私たちが、彼らの“何”に心を魅了されていたのかを物語ってくれるエピソードだと思いません? 



「ショウ・マスト・ゴー・オン」


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tags : 音楽 Lyrics 和訳 洋楽 映画 

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「アンダー・プレッシャー」クイーン&デヴィッド・ボウイ

2018.04.20

category : Queen

Queen David Bowie - Under Pressure1 Queen David Bowie - Under Pressure2


Queen & David Bowie - Under Pressure (1981年)



~概要~

「アンダー・プレッシャー」はイギリスのロック・バンドのクイーンと、同シンガー・ソングライターのデヴィッド・ボウイにより1981年10月26日にリリースされたコラボレーション・シングルで、全英No.1/アメリカBillboard Hot 100で29位を記録、クイーンにとって1975年の「Bohemian Rhapsody」以来2曲目/デヴィッドは1980年の「Ashes to Ashes」以来3曲目の全英No.1でした。
アルバムはクイーンが1981年11月の『GREATEST HITS』(英国盤には未収録)と1982年の『Hot Space』、デヴィッドは1995年にリマスターした『Let's Dance』のボーナストラックに収録されています。

フレディ・マーキュリー&デヴィッド・ボウイという稀代のヴォーカリストによるデュエットは、2007年にBBC Radio 6 Musicで<BEST MUSICAL COLLABORATIONS 3位>に選ばれた名作です。
また、近年二人のヴォーカル・パートのみを抜き出したアカペラver.が話題を呼び、改めてその素晴らしさが見直されました。

「Under Pressure」でもう一つ特筆すべきといえばジョン・ディーコンによる“ベース・リフ”で、2011年のMusicradar.comの一般投票による<The 25 Best Basslines of All Timeで4位>にランクされました。
一度聴いたら頭にこびりつくこのベース・ラインについて、ジョン自身は“デヴィッド・ボウイの創造”と言い、そのデヴィッドは“僕が参加する前に書かれていた”と回顧しています。


奇跡のコラボレーションのきっかけはクイーンがスイス・モントルーにあるスタジオ『Mountain Studios』でレコーディングした際、近隣に自宅を構えていたデヴィッドがある夜クイーンを訪ねたことでした。
みんなで遊び半分に曲を演奏していたところ“一緒に曲を書こう”となって、本格的なセッションに発展していったそうです。

こうして始まったクイーンとデヴィッドによるジャム・セッションですが、ギタリストのブライアン・メイによると必ずしも和やかなレコーディングではなかったといいます。
ハードだったよ。だって、僕らはみんな生意気だしデヴィッドは強引なところがあって、フレディとデヴィッドは意見が衝突したんだ…”

このセッションでは他にも何曲かレコーディングされており、『Hot Space』に収録されることになる「Cool Cat」にもデヴィッドがバック・ヴォーカルに参加しましたが、その出来にデヴィッド自身満足できず、残念ながらこのバージョンのアルバム収録は見送られました。


「Under Pressure」はデュエットという性格上、両者によるライブでの共演は実現しておらず、クイーンのセットリストとして演奏されました。
一方デヴィッドは自身のライブでほとんど歌うことがありませんでしたが、1992年の『フレディ・マーキュリー追悼コンサート』(本項のはリハーサル映像)で遺されたクイーンのメンバーと、ユーリズミックスのアニー・レノックスとのコラボでパフォーマンスを披露しています。

元々偶発的に生まれたコラボレーションであるためか両者出演によるプロモーション・ビデオは制作されておらず、公式PVは『吸血鬼ノスフェラトゥ』や『戦艦ポチョムキン』など著作権切れ映画の映像が編集されています。
また、1990年に700万枚を売り上げ全米No.1に輝いたヴァニラ・アイスの「Ice Ice Baby」は、「Under Pressure」のベース・ラインをサンプリングした作品として有名です。


 
  



~Lyrics~

These are the days - it never rains but it pours
These are the days - どしゃ降りの日々
People on streets - people on streets
People on streets - 路上の人々

【it never rains but it pours】は“降れば必ずどしゃ降り”と訳され、“悪い事は続く”という広い意味合いのことわざとしても解されます。
【people on streets】は歌詞中に何度も使われており、日本語版wikiには“この曲の最初のタイトルは「People on Streets」であった”とありました(ただし、その根拠は付加されていない)。

一方、英語版wikiによると「Under Pressure」は元々ドラマーの“ロジャー・テイラーが書き始めた「Feel Like」が原曲”とされています。
デヴィッドとのセッションが始まった時点で「Feel Like」は未完成で、当初フレディ・マーキュリーが中心となってメンバー全員で創作が進められ、その後デヴィッドも歌詞面で重要な貢献があったようです。
ちなみにロジャーは1998年のソロ・アルバム『Electric Fire』で「People On Streets」という曲を発表しており、なかなか面白い作風となっています。

 


Under pressure that burns a building down
Under pressure! 建物は焼き尽くされ
Splits a family in two
家族は二つに裂かれ

【under pressure】は、“物理的または精神的に加圧・強制された状態”のことです。
【people on streets】といい、とても重苦しい言葉が並びますが、このラインからすると本作品は内戦か戦争を背景としているのでしょうか…
何れにしても、風や川がそうであるように、力の作用は“上から下へ”働きます。



~ Under Pressure ~

森友学園事件に於いて、「省庁の中の省庁」財務省が学園側に“トラック何千台も使ってごみを撤去したと説明していいか”と「反社会勢力まがいの口裏合わせ」を求め…

加計学園問題に於いて当時の柳瀬唯夫首相秘書官が、自身の「首相案件」発言の記録が次々と発見された後も“記憶の限り会っていない”と「無理筋な嘘」を押し通し…

日報隠ぺい事件に於いて、防衛省が「自衛隊員の命懸けの活動で積み上げた記録」である“日報を破棄した”という「ありえない自己存在否定の嘘」をつく…

官僚たちはなぜこんな【リスクに見合わない見え透いた嘘】をつかなければならないのでしょう?


これまで歴代首相は、政治とのあるべき中立性への配慮からそれぞれ人事権を抑制的に行使してきましたが、安倍首相はそれを取り払って自らの人事権を最大限まで拡大、“公僕”たる官僚人事をはじめ“法の番人”内閣法制局長官や“通貨の番人”日銀総裁、“憲法の番人”最高裁判事、“公共放送”NHK会長(直接的には会長を選任する経営委員)などに介入し大幅に支配力を強化しました。
私が特に懸念するのは【法の支配】の崩壊で、日本国憲法はこの“専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという基本的原理”が採用されていますが、これらの機関に政府の利害が含まれてしまうと専断的な国家権力を助長してしまうことになります。
2015年の『安全保障関連法案』は、まさに異例の内閣法制局長官人事(※)によって法制局の伝統的憲法解釈を強引に変更させて提出されたもので、憲法学者の85%が違憲と判断し、国民の大半が反対した中で強行採決によって成立させました(※内閣法制局は内閣の下で法案や法制についての審査・調査等を行う機関)。

安倍首相の政治力の最大の源は選挙の勝利であり、47%の得票で74%の議席を獲得できる“小選挙区マジック”による常勝を背景に、自民党内は安倍氏に異論さえ挟めず、弱小野党相手の国会はもはや議会の体を成していませんでした。
与党であり続けることは絶大な【立法権・行政権・国家予算の配分権を独占】することであり、必然的に安倍首相の下にその利権に与(あずか)ろうとする者があふれ返り、献金及び政権支援と引き換えに政権は【厚労省のデータを改ざん】してまで経団連の要望【裁量労働制】の実現を目指します。


また、安倍政権の本質は【友好・忠誠を誓う者に特別待遇】を与えることであり、安倍首相の腹心の友が経営する加計学園が特例的に認可と補助金を受けた事例が象徴的です。
その加計学園に認可を与えた【国家戦略特区制度】は従来の規制を大幅に緩め岩盤規制を打ち抜く突破口とするために安倍内閣が創設した制度ですが、それは“議長を務める安倍首相自らの予算配分特権を増やすための制度”であるともいえます。
こうした安倍首相による特別待遇は多くの“お友だち希望者(⇒安倍応援団)”を引き寄せ、森友学園の籠池理事長は加計学園への特別待遇に倣(なら)おうと昭恵夫人に近づいたといわれます。

一方で【敵対・不忠者に苛烈な仕打ち】を与えるのもこの政権の特徴であり、私的な会食で安倍首相を批判して更迭された外交官や、獣医学部新設に反対した前川喜平文科省前次官に対する読売新聞の作為的報道や文科省からの圧力問題をご記憶の方も多いでしょう。
こうした敵対・不忠者に対する苛烈な仕打ちを見せつけることで、政権に盾突いた者がどうなるかを官僚たちに理解させるというわけです。



~Epilogue~

安倍政権下で発生した森友学園事件や加計学園問題、自衛隊日報隠蔽事件…(以下、あり過ぎて省略)

そもそもの問題は、学校を新設または運営能力の不足するこれらの学校法人が前例ない特別待遇で認可されていたり、南スーダンPKO日報の一部に「戦闘」と記載されていた、個別の事案でした。
しかしこれらの問題が単なる各個の問題ではなく“一連性”と深刻さを感じてしまうのは、広く省庁に亘って官僚が組織的に【文書改ざん・破棄】【隠ぺい】【データ捏造】【虚偽答弁】…といった異常な手段を連発してまで事実を隠そうとする現象が見られたことです。

…何故?

何故なら、そこには安倍首相の縁故者が特別待遇を受けるという“我田引水”的事案であり、片やちょうどそのとき「南スーダンPKOの自衛隊部隊の派遣延長」や安全保障関連法に基づく新任務「駆け付け警護」の是非が国会で焦点となっていたため、事実を隠すことが政権の利益だった…のでしょう。


…何れにも共通するもう一つは、“間接証拠はたくさんあるのに直接証拠が出てこない”ことです。
ただ、安倍首相の系譜を辿ると“同じ匂い”のする言葉が残されています。

“政治資金は濾過機を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過機が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから関わり合いにならない。政治資金で汚職問題を起こすのは濾過が不十分だからです”

安倍晋三首相の敬愛する祖父、岸信介元首相の有名な言葉です。
簡単に言うと“汚れた金は濾過機できれいにしてから使いなさい”という教訓ですが、岸氏自身満州のアへン密売で巨万の富を築きその後何度も汚職疑惑が浮上したものの、何れも結局シッポは掴ませませんでした。
私には、岸氏の孫である安倍首相の周辺で現在起こっていることとあまりに共通点があるように思えてならないのです。

“汚い仕事は部下に忖度で実行させれば、自分は汚れることはない。
汚れた濾過機は交換すればいい”
 (※安倍首相の周辺で起こっていることに対する個人的なイメージ表現です)


政治家や官僚は、【国民から預かった権力】を行使することが特別に許されています。
【公】とは“私有でないこと”であり、優秀な官僚に政治家の不徳の尻拭いのため“トラック何千台も使ってごみを撤去したと説明していいか”という情けない無理筋なつじつま合わせを考えさせたり、公文書という歴史の改ざんの片棒を担がせるのは止めてください。

「このままでは自分1人の責任にされてしまう」「冷たい」というメモ
を残して死んでいった近畿財務局職員…

「公務員」も「公文書」も国民全体の大切な財産であり、政権のための使い捨ての濾過機ではありません。
これらの問題を野放しにする事はこれから更に無理筋な嘘や改ざんを膨らませねばならない路であり、恐らくその終着は“破裂(国家破たん級の事態)”です。
その悪路を断ち切ることができるのは、当事責任者である与党と省庁が党益・省益を捨てて一致団結して自浄意思と能力を示す以外にありません。
国民の未来のために…。

Courage is grace under pressure
勇気とは、窮地に陥ったときにみせる、気品のことである  Ernest Miller Hemingway



「アンダー・プレッシャー」


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tags : 1981年 デュオ ニューウェイヴ 抑圧・統制  

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