I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

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「ヴァロッテ」ジュリアン・レノン

2015.06.12

category : Julian Lennon

Julian Lennon - Valotte1 Julian Lennon - Valotte2


Julian Lennon - Valotte (1984年)



~問題です♪~

 「ヴァロッテ」は“6月第3日曜日(今年は6月21日)”に関連(私の勝手な解釈)しての選曲ですが、該当する記念日は次の3つのうちのどれでしょう?

夏至
父の日
松本伊代の誕生日

…ところで、今年はジュリアン・レノンにとって、とても悲しい出来事がありました。
お母さんのシンシア・パウエル(レノン)が、4月1日に亡くなってしまったからです(享年75)。
これで彼は現在52歳にして、記念日を祝うべき両親を失ってしまったことになります。
“天国のお父さん”は、一人になってしまった息子に何と言葉を掛けたのだろう…。

 …で、回答ナシかい!?
(みなさんは、もうお分かりですね?  ちなみに、上の3つは何れも6/21に該当しています)



~概要~

ジュリアン・レノンは“John Charles Julian Lennon”の本名が示すとおりジョン・レノンの第一子であり、ジュリアンの母シンシア・パウエルはジョンがビートルズのデビュー前リヴァプール・カレッジ・オブ・アート時代からの恋人でした。
ビートルズが「プリーズ・プリーズ・ミー」(過去ログ)で初めて全英No.1を遂げた直後の1963年4月8日にジュリアンは誕生しますが、バンドの人気への影響を考慮し、当初母子の存在は公にはされませんでした。
ビートルズの代表曲「ヘイ・ジュード」は、両親の不和に胸を痛めていた幼いジュリアンを励ますためにポール・マッカートニーが書いた作品であり、他にも父親であるジョンによって彼にまつわる曲が複数生まれています。

その後ジョンとシンシアは1968年に離婚、ジュリアンは母とイギリスで暮らし、ビートルズ解散後ジョンはヨーコとアメリカへ旅立つことになります。
数奇な父子に再会が訪れるのはジョンとヨーコが別居した“失われた週末”の期間中のことで、この時11歳のジュリアンがアメリカに渡って1974年のアルバム『心の壁、愛の橋』に収録の「Ya Ya」でドラムを叩く“親子共演”を実現させるなど、離れ離れで暮らしているとはいえ、振り返ってみるとこの時父によって“運命”へと誘(いざな)われていたのかもしれません。
1980年にジョンが凶弾に倒れた後、ジュリアンは自身のバンドを結成しロンドンのクラブでギグを行うなど活動を本格化させ、デモ・テープによりレコード会社に実力が認められ、父より若い21歳でのデビューを飾りました。


「ヴァロッテ」は1984年の1stアルバム『Valotte』のタイトル曲で、アメリカでは1stシングルとしてBillboard Hot 100の9位(1985年の年間78位/イギリスでは2ndシングルとして週間55位)を記録し、これら一連の活躍が評価され1986年にグラミー新人賞にノミネートされています(受賞者はシャーデー)。
奇しくも同年1月にはジョンが死の直前までレコーディングし未完となっていた遺作『Milk And Honey』が発表されクローズアップされていた折、10月になって“父そっくりな風貌と歌声を持った息子”が登場したのですから、世間はアッと驚いたというワケです。
この人気は日本にも及び、「ヴァロッテ」が起用されたHONDAシティのCMにはジュリアン本人が出演し話題を呼びました。

【Valotte】とは歌詞やメッセージを示す言葉ではなく、ジュリアンらが作曲のため滞在したフランス中央部の静かな街ヌヴェール(Nevers)にある小さく美しい古城【Manor de Valotte】に由来しています。
一方、歌詞に度々登場する“川沿いの風景”はアルバムをレコーディングしたアメリカ・アラバマ州のスタジオ『Muscle Shoals』のそばを流れる“テネシー川”をイメージしているそうです。
作品は“哀愁漂うワケありのラブ・ソング”といった解釈が一般的ですが、端々にちりばめられた言葉を見るほどに、私には“アノ方へのメッセージ?”に思えてならない…(次項以下参照)。

 



~Lyrics~

Sitting on the doorstep of the house I can't afford
僕には買えない“その家”の玄関先に座っていると
I can feel you there
そこに、“あなた”を感じることができる

1969年3月20日にヨーコと結婚したジョンは同5月4日、新居としてロンドン近郊アスコットにある大豪邸“ティッテンハースト・パーク(Tittenhurst Park;『イマジン』が撮影された白い家)”を購入しました。
72エーカー(約8万8000坪・東京ドーム6個分!)の広さを誇るこの家に招かれたジュリアンはその時のことを、“父の家は宮殿みたいで湖もあってゴルフもできる、まるでおとぎの国だった”と語っています。

余人にはただの豪邸であっても、滅多にジョンに会うことのできない幼い息子にとっては、“懐かしい父のにおいを感じさせる家”だったのかもしれません…。


We've always got our troubles
いつだって揉め事ばかり
So we'll solve them at the bar
みんな法廷で解決してきたんだもの

ここに用いられている【bar】は飲食店のバーではなく、“法廷”のことだろうと思われます。
(barは、法廷内で傍聴席を仕切るための手摺)
ジョンとジュリアンが直接法廷で争ったわけではありませんが、離婚に際しての夫婦には“イロイロ”あるでしょ?
実際、シンシアと一刻も早く別れるためにジョンは“かなり無茶なコト”したし、特に“ジュリアンの親権”は大きな争点でした。
(ほとんど一方的にジョンに非があったので彼が負けたのは言うまでもありませんが、そうした一つひとつが幼いジュリアンの心を傷つけていたのは想像に難くありません。)


Wonderin' if we're really ever gonna get that far
いつか、二人はもっと良い関係を築けているのかな…
Do you know there's something wrong
あなたも、何かを間違えていたと気づいているでしょう?

私の知る限りジョンはジュリアンに対して良い父親ではなかったようだし、それはジョン自身も認めていました。
シンシアによると、家族全員でわいわい楽しくミッキー・マウスのパンケーキを作っていた時、ケラケラ笑うジュリアンの笑い方が気に入らないと突然ジョンが腹を立て延々と罵ったため、それ以来ジュリアンは滅多に声をあげて笑わなくなってしまったそうです。

そうした親子関係を裏付けるかのように今年2月、当時の家政婦による1968年の証言記録が発見され、子どものしつけに対する夫婦の意見の相違による口論や、ジョンが“結果的によくジュリアンをたたくこともあった”とも報じられています。
(※この証言記録は、ジョン側の離婚弁護士の依頼で書かれたもの)



~Epilogue~

ご存知の方も多いと思いますが、ジョンは幼少から両親とは別々に暮らし、ほとんど親の愛を知らぬまま成人しジュリアンを授かりました。
そのためか、ジョンは自分の子どものことなのに他人のポールに“どうしたらジュリアンが喜ぶか教えてくれ、やり方が分からないんだ”と問わねばならぬほど困惑していたようです。
彼の不幸な生い立ちを考慮すると同情したくもありますがそれはあくまで大人の事情であって、子どもにとっては“子どもをちゃんと愛してくれない親”に過ぎません。
少なくとも、“親と離れて暮らす子どもの淋しさ”を誰より分かってあげられるはずなのに、皮肉にも彼が息子に与えたものは“自分と同じ苦しみ”でした。


一方、2000年の『ジョンの20周忌』の際、ジュリアンはこんな声明文を伝えています(抜粋要約)。

僕は、実の父のことをあまり知りません。
John Lennonの子として生まれ共に数年間暮らしましたが、
その後亡くなるまでに顔を合わせたのは数えるほどで、本当に‘その人物’のことを知らないのです。
僕は、父がいる時もいない時も数々の愛憎関係を経てきたし、
10代・20代の頃の僕の人生は怒りに満ちていました。
なぜなら、何が起こっているのか、なぜこのような状況になっているのか理解できなかったからです。
父のだらしなさと愛と平和への態度にものすごく腹をたてていたし、
父の言う愛と平和は、僕の家庭には全くなかったのです…。



Thinking of a reason, well, it's really not very hard
理由なんて…そんな難しいことじゃないさ
to love you even though you nearly lost my heart
たとえあなたが僕を忘れようと、僕はあなたを愛さずにはいられないだけ

親子関係とは不思議なもので、“憎しみは愛情の裏返し”でもあったりします。
愛情が深いからこそ強い怒りも覚えるし、切っても切れない絆がそれを忘れさせてはくれず苦しめる…。
愛情があっても憎しみが邪魔をして表に出せなかったり、特に“男同士”は素直じゃないので、終生ギクシャクした関係が続くことも少なくありません。
でも、彼は“直接父に伝えられなかった感情”を、注ぐべき家族を見つけたようです…

“とにかく言いたいことは、彼が誰であろうと僕はそれを直視し、
同じ過ちを繰り返してはならないということです。
僕には弟がいて、ショーン(ヨーコの子)のことをとても愛しているし、
彼にも自分の運命にうまく対処していくことを望んでいます。
一つ確かなことは、何が起ころうと最後まで愛し守ってくれる兄が、ショーンにはいるということです。”


Julian Lennon




「ヴァロッテ」


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tags : 1984年 バラード/ピアノ 親子愛  CM曲 ジョン・レノン 

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