「ソー・マッチ・イン・ラヴ」は、元イーグルスのティモシー・シュミット(Timothy B. Schmit)が1982年に映画『初体験/リッジモント・ハイ(Fast Times At Ridgemont High)』へ提供した作品で、シングルとしてもBillboard Hot 100の59位まで上昇しています。 日本では1983年2月からPioneerのミニコンポ【Vibration】のCMにも使用され、話題を呼びました(別項参照)。 アルバムは1982年の『初体験/リッジモント・ハイ』サウンドトラック、84年の1stアルバム『Playin' It Cool』に収録されています。
「So Much in Love」は元々1963年にアメリカのソウル・ヴォーカル・グループであるザ・タイムス(The Tymes)のデビュー曲であり、Hot 100のNo.1(1週/年間11位)にも輝いた楽曲で、当時の邦題は「なぎさの誓い」とされていました。 ザ・タイムスは同年4月に地元フィラデルフィアのラジオ局『WDAS-FM』後援のオーディションを受けており、その頃はまだザ・ラティニアーズ (The Latineers) と名乗っていました。 見事オーディションに合格すると、彼らはCameo-Parkway Recordsと契約を結び、とんとん拍子でデビューの機会が与えられていますが、その決め手になったのが後に「So Much in Love」として世に知られることになる楽曲だったそうです(別項参照)。
「So Much in Love」は同年の1stアルバム『So Much In Love』《冒頭の写真・右》に収録され、1957年ジョニー・マティスのカバー曲「Wonderful! Wonderful!」もHot 100で7位に達するなど好調な滑り出しで、アルバムもBillboard 200の15位を記録する目覚ましい活躍を見せた一年となりました。
公式・非公式さまざまなカバーがなされている楽曲ですが、ほかに有名なのは1988年にサイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルがアルバム『Lefty』でカバーしたバージョンで、ACチャートで11位を記録しました。 また「So Much in Love」はヒューイ・ルイス&ザ・ニュースが好んでライブに取り入れていることでもお馴染みの歌で、テレビ朝日系列の音楽番組『ベストヒットUSA』では小林克也が“(収録中)勝手に歌い出した”として番組で紹介したことをご記憶の方もあるでしょう。 オリジナル以外で最大のヒットに至ったのは1993年のR&Bヴォーカル・グループAll-4-Oneで、Hot 100の5位(1994年の年間28位)を記録しています。
~Lyrics~
As we stroll along together 君と寄り添う散歩 Holding hands, walking all alone 手を繋いで、二人きり
本曲はザ・ラティニアーズ(ザ・タイムス)のジョージ・ウィリアムズ(George Williams)によって創作された作品で、オーディション当時「As We Strolled Along」と呼ばれていました。 それをプロデューサーのビル・ジャクソンが気に入って彼らの合格の決め手となったと言われますが、リリース前にビルがタイトルを「So Much in Love」とするなど手直しをして、ロイ・ストレイジスのアレンジによってデビュー・シングルの完成に至っています。
As we stroll by the sea together 君と一緒に海辺の散歩 Under stars twinkling high above ずっと高くで星たちがきらきら見守っている
当時、ちょうど初めて本格的なオーディオを買うことを決め、どういうのを選ぶかあれこれ探求していた時期でした。 そんな最中にテレビに流れてきたのがPioneerのミニコンポ【Vibration】のCMであり、ティモシーの「So Much in Love」だったのです。 私はそれまで【バラコン(別単品でオーディオを構成)】を基本路線として雑誌やカタログで情報収集していましたが、このCMの影響で一時ミニコンポに心が傾きかけた思い出があります。
「So Much in Love」は間違いなく一瞬にして私の心を捉えた曲ですが、CMの映像もまるでアメリカの青春映画のワンシーンのようで、心を惹きました。 未知なる洋楽の世界に足を踏み入れようとしている少年の期待を膨らませるに十分過ぎるくらい…。
ティモシーの「So Much in Love」に刺激を受けたのは私だけではなかったようで、日本の歌手・山下達郎もその一人です。 元々彼のドゥーワップ好きは有名で、作品の多くにそうしたコーラスが取り入れられているだけでなく、1980年には日本では珍しい“ひとり多重録音”アカペラ・アルバム『ON THE STREET CORNER』まで発表するほどでした。 その後ティモシーの「So Much in Love」が発売、その日本盤レコードのライナーが“山下達郎も真っ青な多重録音によるコーラス”と解説していたことに触発され、遂に彼も「So Much in Love」をレコーディングすることを思い立ったとする説もあります(「So Much in Love」は'86年『ON THE STREET CORNER 2』に収録)。
So in love 恋しているんだ In a world of our own 二人だけの世界の中
もうすぐ“七夕”…
ティモシーの「So Much in Love」はこの時節にぴったりと思い、選曲してみました。 でも今年は統計開始(昭和26年)以来初めて6月中に梅雨が明けたはずなのに(関東甲信地方まで)、今週はずっと雨模様で7/7(土)も全国的に雨の予報です。 一般に天気予報は外れたら困りますが、7/7の夜だけは神さまの“粋な計らい”で満天の星空を、と期待しているのは…私だけでしょうケド?
グレンの死の翌日、イーグルスとともにアメリカを象徴するロック歌手であるブルース・スプリングスティーンは現在行われているツアーの中、急遽アコースティック・ギター1本で「Take It Easy」を演奏し同時代を生きた仲間に哀悼を捧げると、会場は大合唱と無数の光い包まれました…。
~概要~
「テイク・イット・イージー」は1972年5月1日にリリースされたイーグルスのデビュー曲で、彼らの1stアルバム『イーグルス・ファースト (Eagles)』に収録された作品です。 Billboard Hot 100では12位を記録、昨年ローリングストーン誌が行った“イーグルスのフェイバリット・ソング”読者投票で3位になるなどイーグルスの代表曲の一つであり、「Hotel California」と共にロックの殿堂『500 Songs That Shaped Rock and Roll』の楽曲でもあります。 日本では、テレビ東京系旅番組『田舎に泊まろう!』のテーマ曲としてもお馴染みですね♪
「Take It Easy」は元々1971年にジャクソン・ブラウンが1stアルバム『Jackson Browne』のために書いたものですが完成できず棚上げになっていた所、同じアパートに住み友人であったグレン・フライがこの曲を気に入りアドバイスして完成させた作品です(詳しくはLyricsの項を参照)。 発表はグレンがイーグルスで歌ったバージョンが最初ですが、ジャクソンも1973年に2ndアルバム『For Everyman』の中でセルフ・カバーしています。
ご存知のようにイーグルスはメンバーの不和などにより1982年に解散してしまいますが、1993年にはカントリー歌手トラヴィス・トリット(Travis Tritt)がイーグルスへのトリビュートとして「Take It Easy」をカバーし、Billboardのカントリー・チャートで21位とヒットさせました。 その際トラヴィスはイーグルスのメンバーにPVに出演してくれるようリクエストしており、ナンとこの要望は聞き届けられドン・ヘンリー、グレン・フライ、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・B・シュミットらが映像にフィーチャーされています!
この共演がきっかけで友情を取り戻したイーグルスは1994年に再結成し、新曲4曲とMTVでのライブを収録したアルバム『Hell Freezes Over』を発表、このアルバムをサポートする大規模な世界ツアーは3年に渡って興行され、現在に至るまでバンド活動は継続されてきました。 さらに感慨深いのは、1998年! この年イーグルスは『ロックの殿堂』入りを果たしていますが、その式典に於いて上記5名に加え創設メンバーであるバーニー・レドン&ランディ・マイズナーの2名が参加し、“歴代メンバーが勢揃いして「Take It Easy」と「Hotel California」を演奏した”ということです!!
…こう辿ってみると、イーグルスにとって「Take It Easy」が如何に重要な役割を果たしてきたかお解りでしょう?
~Lyrics~
Well, I'm running down the road …そうさ、俺はあの道を駆け下り tryin' to loosen my load 抱えた重荷の紐を解こうとしているのさ
この“譜割り(音符への歌詞の乗せ方)”のフィーリングはまさにジャクソン・ブラウンで、グレンが歌ってもジャクソンの顔が浮かびます。 【road】と【load】のような韻も効いていますが、「Take It Easy」が多くの人に愛されるのはこの譜割りが生み出す心地よさやカッコよさなのではないでしょうか…。
彼の抱えている“重荷”も、気になりますが?
Well, I'm a standing on a corner in Winslow Arizona …あぁそうさ、俺はアリゾナ・ウィンスローの街の一角に立っている It's such a fine sight to see 何ていい眺め…
1985年に国道66号線が廃線となり町は観光収入の危機に陥りますが、住民の努力と創意によって「Take it Easy」に歌われた一節が再現された“Standing On The Corner Park”が造設され、ウィンスローの新たな観光収入源として町を助けています。
It's a girl, my Lord, in a flatbed おぉ主よ、フラットベッド(トラック)に一人の女の子! Ford slowin' down to take a look at me そのフォードがこっちを見て、速度を落としてる
ジャクソンが上記【Well, I'm a standing on a corner in Winslow Arizona, It's such a fine sight to see】に続くラインに困っていた所、グレンが考案したのがこの部分です! 確かに真面目なジャクソンにはこんなフレーズは浮かばないカンジですが、このグレンのインスピレーションが入ることによって物語の情景に臨場感を与えたような気がします。 特に、続くフレーズ…
Come on, baby, don't say maybe Come on, baby! “maybe(かもね)”なんて、言わないで?
…は私の一番のお気に入りで、【baby】と【maybe】の組み合わせは、このチャンスに懸ける主人公の心情を非常に生き生きとさせています。 “Standing On The Corner Park”で再現されているのはこの場面であり《写真》、多くの人にとってもこのシーンが最も印象的なのでしょう…。
~Epilogue~
“気楽にやる・のんきに構える”といった意味合いの【take it easy】は日常よく使われるフレーズで、私たち日本人にとっても耳馴染みのある英語です。 どちらかというと、相手を励ましたりリラックスさせようとする際に用いる良いイメージがありますよね? しかしこの物語はヒッチハイカー(?)の青年が下心満載で道端に立ち、トラックを運転する女性を“Come on, baby!”と、彼女が車に乗せてくれるのを期待する不埒(ふらち)な構図のようにも映ります。 そんな場面で、彼に“take it easy❤”なんて言われたら、あなたならどうします?
We may lose and we may win though 上手くいくかもしれないし、いかないかもしれない…だけど we will never be here again この場を違えると、二人はもう二度と会えはしない
グレン・フライはドン・ヘンリー同様、イーグルスが解散した1982年にソロとして1stアルバム『No Fun Aloud』を発表しています。 彼がドンに代わる“相棒”として選んだのがイーグルスの「Peaceful Easy Feeling」や「Already Gone」などに楽曲を提供していたジャック・テンプチン(Jack Tempchin)という人でしたが、この時点では決定的といえる成功は得られていません。 '84年に映画『ビバリーヒルズ・コップ』の主題歌「The Heat Is On」で初めての大ヒットを放つものの、これは全く他人の手によって書かれた作品でした。
同年グレンは2ndアルバム『The Allnighter』を発表、この中から「Smuggler's Blues」がこの年スタートした“MTV Cops”『Miami Vice』に起用(そのために作った?)されただけでなく、何と“(麻薬の)運び屋”として重要な役所でグレン本人も出演しています(シーズン1・#15「Smuggler's Blues」)! これがBillboard Hot 100の12位を記録するヒットとなり、その年(1985)の『MTV Video Music Awards』ではグレンの役者ぶりが評価され(?)PVが“Best Concept Video”を受賞しました。 (ちなみに、この年「The Boys of Summer」(過去ログ)が“Video of the Year”、「What's Love Got to Do with It」(過去ログ)が“Best Female Video”を受賞)
『Miami Vice』でのグレン・フライの活躍は続き、シーズン2のためにグレン&ジャックが書き下ろしたのが「You Belong To The City」でした。 この曲はHot 100で2位(1985年の年間30位)を記録、グレンの「Smuggler's Blues」と「You Belong To The City」を含む『Miami Vice』はアルバム・チャートBillboard 200で11週No.1に輝くTVドラマのサウンドトラックとしては史上最大のヒットを記録しています。 「ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ」というと印象的なのが、イントロをはじめとする哀愁あるサックスの響きです。 これはBill Bergmanという奏者によるものですが、これを聴くと日本の「1986年のマリリン」を連想する人も多いのでは?
「ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ」のPVは2種類あって何れも『Miami Vice』と関連付けられおり、1つはグレン・フライを主人公にしたもの、もう一つはマイアミ・バイスの主人公ソニー・クロケット(ドン・ジョンソン)がフィーチャーされたものです。 今回は、ドン・ジョンソンの“匂い立つ色香”に目が眩みソニーver.をメインに選択しましたが、この項ではグレン・フルver.をご紹介しておきます。 また、「You Belong To The City」はペプシのCMにも起用されており、ここでもグレンとドン・ジョンソンは息の合った掛け合いを見せていますが実はこの二人、“イーグルス時代からの友人(悪友?)”なのだそうです♪
~Lyrics~
And down on the street 街路へと下り Moving through the crowds through the midnight heat 人の群れを縫い、冷めることのない真夜中の熱を彷徨う
「You Belong To The City」は『Miami Vice』のために書き下ろされた作品であることから、この歌はドラマの主人公ソニー・クロケットに向けてメッセージされていると仮定して、私はストーリーを構築しました。 ソニーは中南米との玄関都市マイアミで麻薬を取り締まる警察官ですがその手法の大半は“おとり潜入捜査(売人に偽装しての捜査)”で、普段の彼はヨットに住まいしヴェルサーチを纏(まと)いフェラーリを乗り回すなど警官というより見た目売人と同じような暮らしをしています。 彼には妻子があるものの、それが仕事とはいえ彼のそうした異常な世界に理解が得られず別居、後に離婚に至ってしまうのです。