John Hall - Power (1979年)~震災から6年~ 2011年に発生した東日本大震災から、間もなく6年になろうとしています。
多くの人の命を奪い、故郷を破壊し、人生を変えてしまった災害…
そして、6年が経とうとする今現在も全国で約12万3000人の方が避難生活を余儀なくされているそうです。
(
2017.2.13現在/復興庁 )
また最近の報道では、原発事故のあった福島県から全国各地に避難している生徒が“放射能が来た”とか“放射能がうつる”といったいじめを受けている実態が次々と報じられており、放射能から物理的に遠ざかることはできてもその悪夢を断ち切ることの難しさを物語っています。
放射能問題は果たして想定外の“天災”か…それとも、人間の心に巣食う“人災”?
~概要~ 「パワー」は、ジョン・ホール1979年の3rdソロ・アルバム
『Power』 のタイトル曲です。
ジョン・ホールは1973年にデビューしたアメリカのロック・バンド“オーリアンズ(Orleans)”のメンバーとして活躍し、1977年にソロへと転身しました。
バンド脱退の一因となったのが彼の反原発運動への参与であり、ニューヨーク州セメントン(Cementon)のハドソン川沿いに進められていた原子力発電所建設を止めることでした。
ジョンらの危惧は
1979年 3月28日にペンシルベニア州
スリーマイル島にある原子力発電所で発生した重大な原子力事故 (国際原子力事象評価尺度;レベル5)で現実のものとなり、彼をはじめ志を同じくするジャクソン・ブラウンやグラハム・ナッシュ、ボニー・レイットらが中心となってミュージシャンによる
反原発活動『MUSE(Musicians United for Safe Energy)』 を立ち上げます。
同年9月19~23日、MUSEはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで
『No Nukes concerts』 を開催、CSN(クロスビー、スティルス&ナッシュ)やブルース・スプリングスティーン、ジェームス・テイラー、カーリー・サイモン、チャカ・カーン、ドゥービー・ブラザーズほか多数のミュージシャン仲間が参加し、最終日は20万人もの観衆が押し寄せました(メイン動画はこの時の映像
)。
その歴史的イベントのテーマ・ソングとなっていたのがジョン・ホール作曲による「Power」だったというわけです。
そして、このイベントが影響を及ぼしたかは定かではありませんが、結果として以後アメリカでは現在まで1基の原発も新規で建設されてはいません。
2011年、日本での東日本大震災発生を受け、MUSEは32年ぶりに再集結しコンサートを開催
、日本の津波・原子力災害救済のための資金を募ってくれました…。
VIDEO VIDEO ~福島第一原子力発電所事故に学ぶべき教訓~ そもそも、この原発事故の問題点とは何だったのか、まとめてみました。
低人口地帯を設けなくても原発建設を許可 福島第一原子力発電所の建設が計画された当時(営業運転開始は1971年)日本はまだ原子力発電に対するノウハウを殆んど持っておらずアメリカの原子炉やルールを輸入していますが、その導入には致命的な問題がありました。
核兵器の原料でもある原子力は非常に危険なものであるため、
“アメリカの立地審査指針は原発の周囲に必ず低人口地帯を設けることを義務付けています” が、これを国土の狭い日本に適用させると条件を満たす建設地が無くなるため
“日本では事実上低人口地帯を設けなくても建設を許可” するように変更されています。
敷地地盤高を35m⇒10mに削って建設+非常用電源を地下に設置 福島第一原子力発電所の所在地は、元々海岸に面した標高35mの台地でしたが、他の電源との競争に勝つため
“コストを優先し標高10mまで掘削し施設が建設” されました。
また、原子炉の契約先であるアメリカGE社(ゼネラル・エレクトリック)のプラント規格では、“電源喪失時の
非常電源となるディーゼル発電機が海側の地下に設置 ”されていたにも拘らず、元東京電力副社長の証言によると
“誰も長年その事に気づかなかった” といいます(実際、震災時もそのまま地下に置かれていた)。
安全性に問題のある原子炉を、耐用期限を2度延長して使用し続けた 福島第一原発1号機から5号機までの原子炉は
アメリカGE社の【マークⅠ型】 ですが1975年に
重大な事故につながる欠陥 が見つかり、GEの技術者も会社に逆らい辞職してまでこの原子炉の使用停止を世界に訴え掛けましたが、
福島第一原発は使い続けました 。
それに加えて第一原発では原子炉の
耐用年数30年を超えて 独自で期限を40年に延長、震災の発生した2011年に更に10年の使用延長許可が下りた矢先の事故でした。
“想定外”の津波? 標高10mの海岸にある
福島第一原発は震災時、14~15mといわれる遡上高の津波に飲まれ、大事故 を起こしました。
この大きな津波について当時東京電力は“想定外”を強調しましたが、実際は2002年に地震調査委員会の“三陸沖から房総沖にかけての日本海溝付近ではどこでもマグニチュード8クラスの地震が起きる可能性がある”との評価結果を踏まえ、
2008年に 福島県沖で明治三陸地震と同規模(M8.2-8.5)の地震が発生した場合の
津波を自社内で試算、“遡上高15.7m”という結果を得ていました 。
しかし
この試算結果が設備改修などに反映されることはなく 、更に2011年3月7日に保安院に報告されるまで公表されず、皮肉にもその4日後に震災が起きました…。
参照 NHKスペシャル シリーズ原発危機『安全神話~当事者が語る事故の深層』 NHK ETV特集 『原発事故への道程』(前後編)文字起こし ~Epilogue~ ここまであれこれと原因を追及してきましたが、私が原発に反対する最大の理由は
“原発があまりに嘘で塗り固められた政策” だからです。
原発導入を強引に推し進めた自民党、直接の利益を得る企業や研究者、有力な天下り先を得る官僚などいわゆる
“原子力ムラ” の人たち…。
彼らの利益実現のためにはより多くの原子力発電所の建設が必要不可欠であり、それには
“極めてリスクの高い原発を絶対安全”と偽 らねば立地を引き受ける者などあろうはずもありません。
絶対安全を謳った政府と省庁は
“安全対策に力を入れると原発が安全でないと自ら認めることになる” として本来最優先すべきシビアアクシデント(過酷事故)への対策を十分に考慮せず、監督者である国のその姿勢は原発運用の安全対策に余計なコストを求められない電力会社にとっても好都合…
“神話”は、こうした利害のために創り上げられました。
国際原子力事象評価尺度 (INES) において、
最悪のレベル7 (深刻な事故)と判定された
福島第一原子力発電所の事故 …
それさえも、現場の当事者からすると
“偶然と幸運の連続によって救われた結果” だったといいます。
その当事者とは、事故時第一原発の所長として現場を指揮しその2年後に食道癌で亡くなった吉田昌郎氏。
事故の現実について何も知らず、今も震災前と変わらぬ日常を当たり前のように過ごしている私たちですが、
当時の現場は事故原因さえ分からずほとんど彼らが制御できない深刻な状況に陥っていた ものの、“東京電力の対応とはほとんど無関係に、いつしか沈静化していった”のだそうです。
吉田氏によると、もしも
この幸運がなかったら東日本全体が放射能に覆われる“東日本壊滅”を想定 したそうで、事実、当時の菅直人首相に提出された近藤駿介原子力委員長からの『最悪シナリオ』には、東京や首都圏住民の避難についての言及がなされており、菅氏本人も
“最悪5000万人の避難が必要となる可能性があった” と証言しています。
There's so much to gain and so much to lose 得るものは大きいけれど、失うものもまた大きい Everyone of us has to choose だからこそ、みんなで選ぶべきことなんだ 一瞬で都市を灰燼(かいじん)と化し得る[Power]…
その“平和利用”に於いて、私たち現役世代は[gain(利益)]を受けることもできますが、それは“もの言わぬ未来世代への[lose(損失)]のつけ回し”の上に成り立っています。
そして、あなたは
“その恩恵が日本壊滅のリスクとの引き換え” であることを、ご自覚でしょうか?
“世界で最も厳しい安全基準”を強調し
原発再稼働 を急ぎ、新たな高速炉
“第2のもんじゅ” の始動を推し進める安倍政権…
危うく東日本を壊滅させかけた福島第一原発や、1兆円もの血税をムダにしたもんじゅの失敗に、彼らは何を学んだのだろう?
地震大国の上、国土が狭く人口密度も高いこの日本で、彼らの言葉は“新たな神話創造”としか響きません。
福島第一原子力発電所事故に私が学んだこと、それは…
この国に“嘘で塗り固められた政治”も、“トイレのないマンション”も要らない。 VIDEO Writer(s): John and Johanna Hall /訳:Beat Wolf ~Lyricsはこちら~ * 暖かい太陽の力を与えてください 途絶えることない、滝の流れをください そして、生きとし生けるものが土へと還る魂をください ** 止むことない風の力を与えてください 心を灯す、焚火(たきび)の光をください でも、原子力の毒の力は取り掃っていただけませんか? 暗闇と寒さから身を守る盾として 誰もが、何かしらのパワーを必要とするいう 売買のうち、誰かが制御する術を捜し当てるかもしれないと… だけど、これは命の問題でもある あなたと私…そして、子や孫にまで及ぶこと 得るものは大きいけれど、失うものもまた大きい だからこそ、みんなで選ぶべきことなんだ * **最後までお読みいただき、ありがとうございました♪
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