「ボーン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー」は1988年の4thアルバム『New Jersey』からの2ndシングルで、Billboard Hot 100の3位(1989年の年間39位)を記録しました。 作者はジョン・ボン・ジョヴィ/リッチー・サンボラ/デズモンド・チャイルドで、「禁じられた愛」「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」など、当時のヒットの多くはこのチームによるものです。
そうした不満が燻っていたであろうことを窺わせたのが、2003年のコンピレーション・アルバム『This Left Feels Right』。 このアルバムは“再録ベスト盤”といえる性質のものですが、タイトルがその趣旨“This Left(革新) Feels Right(正しい)”を物語っており、本曲も“acoustic”バージョンが収録されています。
また、「Born To Be My Baby」のPVは日本人にとってサプライズでもありました。 ボン・ジョヴィが史上屈指の親日バンドといえる関係を築いてきたことはよく知られていますが、映像の中でキーボーディストのデヴィッド・ブライアンが被っていたのが“阪神タイガースの帽子”。 この白地に縦縞のデザインは1985年にタイガースが日本一となった時代のものであり、阪神ファンの方はそうした思い出も重なるでしょう。
~ Story ~
Rainy night and we worked all day 雨の夜、終日だって働いた We both got jobs because there's bills to pay 支払い請求書が山積みの二人
しかし、ジョンだって聖人君子ではありません。 デビュー後ロック・スターらしい“ご乱行”に溺れた時期もあったし、別の女性と交際したり、でも結局“歴史の授業で出逢った愛”に帰ってきたのです。 …たからこそ、「Born To Be My Baby」だったのでしょう。
続く「I'll Be There For You」(過去ログ)は、結婚直前の1989年4月4日にリリースされました。 記事を編集した当時は私も二人の関係を知らず、この作品を“フィクション”として書いていましたが、ジョンとハーレイさんの結婚に至るまでの“でこぼこ道”を少し知った上で改めて作品に触れてみると、まさに当時のジョンの心情が赤裸々に語られているようで、彼としては“無条件降伏”してでもハーレイさんと結婚したかったのだと思わされます。
You were born to be my baby お前は俺の女となるため生まれ And baby, I was made to be your man 俺は、お前の男となるため創造された
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