Lady あなたの愛さえあればいい 傍らにいてくれるだけで 何故なら… わかっていてほしいことがある あなたは、生涯の恋人 僕の大切な女性
~ 概要 ~
「レイディ」はケニー・ロジャース1980年のベスト盤『Greatest Hits』に収録された3つの新曲の一つで、1980年9月にリリースされ Billboard Hot 100 で6週No.1(1981年の年間3位/歴代60位)に輝いた生涯最大のヒット曲です。 同年最大のヒットは9週No.1の「ベティ・デイビスの瞳」キム・カーンズ(過去ログ)ですが、ケニーとキムは同年「荒野に消えた愛 (Don't Fall In Love With A Dreamer)」をデュエットし Hot 100 の4位を記録する成功も納めています。
“奇遇”とはあるもので、同年の年間2位「Endless Love」(過去ログ)の歌手/作者のライオネル・リッチーが楽曲提供/プロデューサーとして参加したのが、ケニーの「Lady」でした。 ファンク/R&Bバンドのコモドアーズ(The Commodores)の中心人物であるライオネルと、カントリー・ミュージック界の大御所ケニーの組み合わせは意外ですが、それぞれには「Three Times A Lady」と「She Believes In Me」(過去ログ)という“共通の領域”もあったのです。 そのことを、ケニーは次のように語っています。
“コモドアーズは自分たちのエリアを限定してしまわないグループだ。僕は彼らの「Three Times A Lady」が大好きなんだ。過去にリリースされた最高の作品に数えられる名作と思っている”
そんな二人が結びつくのに、人種やジャンルの違いは障壁にはなりませんでした。 ライオネルは元々「Lady」をコモドアーズで自分が歌うことを想定して創作を始めていますが、バンドでの発表は他のメンバーに断られています(奇しくも、他のメンバーによる81年の曲に同名の「Lady (You Bring Me Up)」がある)。 彼は自分がソロで歌ってもスマッシュ・ヒットになると思っていたものの、彼の弁護士に“ケニー歌わせると想像以上のヒットになる”と進言され、ケニーへ楽曲提供することを決意したようです。
当時ライオネルはコモドアーズのツアー中で楽曲提供のみの予定でしたが、ドラマーのウォルター・オレンジがバイク事故で足止めになってしまったため彼もケニーのセッションにプロデューサーとして参加できることになり、本曲と共にライオネルによる楽曲「Goin' Back to Alabama」のレコーディングを完成させました。 ちなみに、ライオネルはこれを契機に翌年のケニーのアルバム『Share Your Love』で単独プロデューサーを務めており、しかも「Goin' Back to Alabama」のバック・ヴォーカルにはマイケル・ジャクソンも参加しているので、“MJ”ファンの方も必聴です! 「Lady」は元々自分用に作ったもので、この手の歌を数多く歌ってきたライオネルが自ら歌唱するのはある意味必然といえ、1998年のアルバム『Time』で本曲をカバーしています。
~ Story ~
Lady, I'm your knight in shining armor 輝く鎧をまとった騎士 And I love you そして、あなたに愛を誓う男
「Islands In The Stream」(過去ログ)でケニーとデュエットし、公私共に親しい友人として知られるドリー・パートンは“朝起きて、コロナウイルスがどうなってるかTVをつけたらケニーが亡くなったニュースが流れ、信じられなかった。心が張り裂ける”とコメントしているそうです。
一方「Lady」を作曲したライオネル・リッチーは、ツイッターでケニーを【one of my closest friends】と表してケニーを追悼しました。 ライオネルは数十年来に亘った二人の友情について、次のように語っています。 “ケニーと仕事をしていろんな業界人と知り合うきっかけができたんだ。「家においでよ、紹介したい人がいるんだ」って電話くれてね。一生続くような信頼関係ができたよ”
ライオネルは1985年にアメリカのスーパースターが一堂に会した歴史的プロジェクト【USAフォー・アフリカ】の中心人物の一人ですが、最初はライオネルと親しいメンバーで始動しています。 そのテーマ曲「We Are The World」の参加者へ向けられたデモテープはケニー・ロジャースが所有するライオン・シェア・スタジオにライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズらが集まって録音、ケニーも本番でこの曲のソロ・パートを務めたことは皆さんもご存じでしょう。
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