I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

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「レイディ」ケニー・ロジャース

2020.03.28

category : Kenny Rogers

Kenny Rogers - Lady (1980年)

ライオネル・リッチーとケニーのコラボから生まれた、ソウルでもカントリーでもない名バラード ♪

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


~ Lyrics ~

Writer(s): Lionel Richie /訳:Beat Wolf

Lady
輝く鎧をまとった騎士
そして、あなたに愛を誓う男
あなたがあるべき自分へと導いてくれた
だから僕は、あなたのもの

My love
幾通りもの
あなたに伝えたい “I love you”
この腕で抱きしめさせていて
ずっと、いつまでも


あなたが行ってしまったら
僕は愚か者となり果て
その愛を求め彷徨う
あぁ…だから二人一つでいよう
この歌を信じてくれる?


Lady
長い歳月
あなたにめぐり逢えるなんて思わなかった
だけど人生にあなたが加わり
“すべて”が揃った

Forever
あなたに会うため目覚めさせて
一日たりと欠かすことなく
そっと囁いてほしい
僕の耳に


この目には、あなた以外何も見えない
二人の愛以外に何も
そうさ…
いつだって傍にいてほしい
ずっと長い間、あなたを待ち続けてきた


Lady
あなたの愛さえあればいい
傍らにいてくれるだけで
何故なら…
わかっていてほしいことがある
あなたは、生涯の恋人
僕の大切な女性




~ 概要 ~

「レイディ」はケニー・ロジャース1980年のベスト盤『Greatest Hits』に収録された3つの新曲の一つで、1980年9月にリリースされ Billboard Hot 100 で6週No.1(1981年の年間3位/歴代60位)に輝いた生涯最大のヒット曲です。
同年最大のヒットは9週No.1の「ベティ・デイビスの瞳」キム・カーンズ(過去ログ)ですが、ケニーとキムは同年「荒野に消えた愛 (Don't Fall In Love With A Dreamer)」をデュエットし Hot 100 の4位を記録する成功も納めています。


“奇遇”とはあるもので、同年の年間2位「Endless Love」(過去ログ)の歌手/作者のライオネル・リッチーが楽曲提供/プロデューサーとして参加したのが、ケニーの「Lady」でした。
ファンク/R&Bバンドのコモドアーズ(The Commodores)の中心人物であるライオネルと、カントリー・ミュージック界の大御所ケニーの組み合わせは意外ですが、それぞれには「Three Times A Lady」と「She Believes In Me」(過去ログ)という“共通の領域”もあったのです。
そのことを、ケニーは次のように語っています。

コモドアーズは自分たちのエリアを限定してしまわないグループだ。僕は彼らの「Three Times A Lady」が大好きなんだ。過去にリリースされた最高の作品に数えられる名作と思っている

そんな二人が結びつくのに、人種やジャンルの違いは障壁にはなりませんでした。
ライオネルは元々「Lady」をコモドアーズで自分が歌うことを想定して創作を始めていますが、バンドでの発表は他のメンバーに断られています(奇しくも、他のメンバーによる81年の曲に同名の「Lady (You Bring Me Up)」がある)。
彼は自分がソロで歌ってもスマッシュ・ヒットになると思っていたものの、彼の弁護士に“ケニー歌わせると想像以上のヒットになる”と進言され、ケニーへ楽曲提供することを決意したようです。

当時ライオネルはコモドアーズのツアー中で楽曲提供のみの予定でしたが、ドラマーのウォルター・オレンジがバイク事故で足止めになってしまったため彼もケニーのセッションにプロデューサーとして参加できることになり、本曲と共にライオネルによる楽曲「Goin' Back to Alabama」のレコーディングを完成させました。
ちなみに、ライオネルはこれを契機に翌年のケニーのアルバム『Share Your Love』で単独プロデューサーを務めており、しかも「Goin' Back to Alabama」のバック・ヴォーカルにはマイケル・ジャクソンも参加しているので、“MJ”ファンの方も必聴です!
「Lady」は元々自分用に作ったもので、この手の歌を数多く歌ってきたライオネルが自ら歌唱するのはある意味必然といえ、1998年のアルバム『Time』で本曲をカバーしています。


 
 



~ Story ~

Lady, I'm your knight in shining armor
輝く鎧をまとった騎士
And I love you
そして、あなたに愛を誓う男

“男は女を守る”もの…
「グローリー・オブ・ラヴ」ピーター・セテラ(過去ログ)でも同様の表現が用いられましたが、この価値観は万国共通でロマンティックなイメージを抱くでしょう。
それをヴィジュアルで“日本風”に再現してみると…

Kenny Rogers - Lady1  “I love you!” 映画『七人の侍』より(三船敏郎)

 う~ん…。


You have come into my life
人生にあなたが加わり
And made me whole
“すべて”が揃った

「Lady」で、私が最も好きなライン。
作者はライオネル・リッチーですが、制作時のエピソードをケニーが次のように明かしています。

ライオネルはプレッシャーがかからない限り書けないタイプなんだ。(スタジオ入りまでに)曲を全部仕上げないで、アイディアを用意してくるタイプ。僕がレコーディングしてて「ヴァースの2番目の歌詞はどうなってるの?」って訊くと、スタッフが「今トイレで書いてる」って言うんだ。つまり、トイレに逃げ込んで集中しようとしてたのさ

 ひぇ~ん…。



~ Epilogue ~

カントリー・ミュージック界のレジェンドでアメリカの国民的スター、ケニー・ロジャースが3月20日、81歳で亡くなりました
ケニーは2年前に体調を崩してコンサートツアーを取りやめ、その後ホスピスで療養生活を送っていました
自宅で家族に囲まれ、老衰により安らかに息を引き取ったと報じられています。

「Islands In The Stream」(過去ログ)でケニーとデュエットし、公私共に親しい友人として知られるドリー・パートンは“朝起きて、コロナウイルスがどうなってるかTVをつけたらケニーが亡くなったニュースが流れ、信じられなかった。心が張り裂ける”とコメントしているそうです。

一方「Lady」を作曲したライオネル・リッチーは、ツイッターでケニーを【one of my closest friends】と表してケニーを追悼しました。
ライオネルは数十年来に亘った二人の友情について、次のように語っています。
ケニーと仕事をしていろんな業界人と知り合うきっかけができたんだ。「家においでよ、紹介したい人がいるんだ」って電話くれてね。一生続くような信頼関係ができたよ

ライオネルは1985年にアメリカのスーパースターが一堂に会した歴史的プロジェクト【USAフォー・アフリカ】の中心人物の一人ですが、最初はライオネルと親しいメンバーで始動しています。
そのテーマ曲「We Are The World」の参加者へ向けられたデモテープはケニー・ロジャースが所有するライオン・シェア・スタジオにライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズらが集まって録音、ケニーも本番でこの曲のソロ・パートを務めたことは皆さんもご存じでしょう。


また、ケニーはライオネルとの友情の始まりとなった「Lady」について、次のように語っています。
R&B畑のライオネルと、カントリー出身の僕が、ポップスというフィールドで出逢おうというアイデアだったんだ

 

二人の様子を見て思い出したのは、ポール・マッカートニーの「パイプス・オブ・ピース」(過去ログ)です。
ポールは“一個と一個が合わさって、みんなの願いとなる…それが平和のバグパイプを奏でる意味なんだ”というメッセージを込めました。
二人の交わりは、改めてそれを教えてくれているような気がします。

私たちは、それぞれ異なる音を持って生まれた一個と一個。
音楽とは、異なる一個を生かし自然な調和を奏でる“知恵”であり、互いを結ぶ共有の“願い”であることを…。



「レイディ」

最後までお読みいただき、ありがとうございました ♪
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tags : 80's カントリー バラード 優しい愛 哀愁 

コメント

こういうい労働条件や契約がい加減な採用方法の会社は確かに見送ったほうが正解だったと思います。まだまだじっくり腰を据えて選んでいきたいですね。しかしあと3ケ月後にはコロナ大不況で就職需給は逆転する可能性がありますので早く就職を決める最後のチャンス時期かも・・。朗報をお待ちしております。
(PS)ケニーロジャースの訃報を知り感慨深いものがありました。ポップ・カントリーシンガーとして揺ぎない地位を確立したオジサンでしたね~。大学入学で上京(1976年)、四畳半下宿での楽しみはFENラジオから絶えず流れてくる最新の米国ヒットチャート曲の数々でしたが、カントリー番組もありほのぼのとした米国カントリー音楽にも親しんでいました。当時よく耳にしたのは、しわがれた声でポツポツと歌う髭面のオッサン「ケニー・ロジャース」の「ルシール」がお気に入りでした。70年代の名盤「ギャンブラー」で徐々にブレイクしていった感じですね。その後はバラード路線に力を入れ始め「シー・ビリーヴス・インミー」「愛のメッセージ」で耳心地のいいヒット曲を多く放ちAOR歌手になってのブレイク。80年代にはライオネルリッチー等と交流を深め「レイディ」が世界的なプラチナヒットを達成しPOPS面でも大御所的な存在となたなあと感心しました。女好きのエロ爺さんでしたね。ご冥福を祈念します。

2020.03.31  ローリングウエスト  編集

ローリングウエストさん

音楽業界は大不況どころか商売辞めろと言われている様なものです。
政府が収束までどのような見通しを持っているか示さなければ
ほかの業界を含め、国民は対処のしようがありません。

ケニーも当初男心を代弁する歌が多かったですが
途中から女性ファンの獲得を狙ったと思います。
ただ、女好きは男の宿命でしょう。
彼に限らず、スターには黙っていても寄ってきますから。(笑)

2020.04.01  Beat Wolf  編集

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