I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

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「ライト・ヒア・ウェイティング」リチャード・マークス

2021.01.22

category : Richard Marx

Richard Marx - Right Here Waiting (1989年)

電話越しの声だけでは、もうこの痛みは止められない…遠く離れた大切な人へのラブ・ソング ♪

《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


~ Lyrics ~

Writer(s): Richard Marx /訳:Beat Wolf

幾つの洋(うみ)を隔て
日ごと、僕は正気を失ってゆく
電話越しの君の声だけでは
もうこの痛みは止められない

二度と君に会えないなら
二人は永遠なんて語れようか

[Chorus]
君が何処へ行こうと
何をしていようと
ここで君を待っている
どんなことであろうと
どんなに心が打ち砕かれようと
僕は、君を待っている

当たり前のことと思っていた
ずっと、どうにか続いてゆくものと
その笑い声を聞き
幾つの涙を味わいながら…
だけど今は、近づくことさえ叶わない


…わからない?
君が僕を狂わせてしまったんだ

[Chorus]

[Bridge]
どうすれば生き残ることができるだろう
このロマンスを
だけど、最後に君といられるなら
僕はチャンスを掴むだろう


[Chorus]




~ 概要 ~

「ライト・ヒア・ウェイティング」はアメリカのシンガーソングライター、リチャード・マークス1989年の2ndアルバム『リピート・オフェンダー (Repeat Offender)』からの2ndシングルで、Billboard Hot 100 で3週 No.1(年間11位)に輝いた楽曲です。
リチャードにとってデビュー以来のシングルが3位→3位→2位→1位(1週)→1位(1週)という類い稀なる実績を積み上げた上での3週 No.1であり、まさにキャリアの頂点を極めた作品といえます。
翌1990年のグラミーでは、受賞はならなかったものの本曲により『Best Pop Vocal Performance, Male』にノミネートされました(受賞者はマイケル・ボルトン)。

作詞・作曲はリチャードで、自身最速の20分で書き上げたといいます。
ただし、本曲は“非常に個人的なメッセージを込めた歌”次項参照)だったため、当初公開するつもりではなかったそうです。
彼の楽曲の殆どはギターにより作曲されますが、センチメンタルで美しいピアノが示唆するように「Right Here Waiting」はピアノによって創作されました。
当時リチャードは多忙のため、本曲PVは1989年の『Repeat Offender Tour』の道中で撮影されており、編集されたコンサート会場の一つには見覚えのある“八角形の建物”が含まれることにお気づきでしょう。
今回発見した“お宝映像”には「Secret live1989」とあり、しかもそれが日本で行われていたというのですがら、ファンの方はお見逃しなく!

「Right Here Waiting」は、2010年にリリースしたアコースティック・アルバム『Stories to Tell』でセルフ・カバーされました。
記事冒頭の音源がそれですが、1989年のオリジナルver.(PV)との違いが判別できました?
2019年には本作30周年を記念したビデオ『30th Anniversary of Repeat Offender』を公開していますが、楽曲には「Right Here Waiting」が使用されており、過去30年間のライブ&共演映像がフィーチャーされています。

カバーでは、R&B女性歌手モニカが1998年の『The Boy Is Mine』で男性4人組R&Bヴォーカル・グループ【112】をフィーチャーしたバージョンがR&Bチャートで32位を記録しました。
「Right Here Waiting」はサックス・プレイヤーにも人気で、私はKenny G ver.がお気に入りです。


 
 



~ Story ~

Oceans apart, day after day
幾つの洋(うみ)を隔て
And I slowly go insane
日ごと、僕は正気を失ってゆく

「Right Here Waiting」は、当時の恋人だったシンシア・ローズへ捧げられた歌です。
彼女は『ザナドゥ』や『フラッシュダンス』『ダーティ・ダンシング』など80年代のミュージカル映画に多く出演したアメリカの女優/ダンサーで、1988年からはシンセポップ・バンド、アニモーションのリードヴォーカルも務め「Room to Move」をヒットさせました。

本曲創作のきっかけはシンシアが映画の撮影で南アフリカへ数か月滞在したことで、ビザの申請が許可されず南アフリカへ渡航できなかったリチャードの、“彼女に会いたい”という気持ちを手紙のように書いたものでした。
こうした経緯から生まれた極めてプライベートな歌であり、ロックをメインとしたいリチャードは当初本曲を公開するつもりがなかったといいます。




Wherever you go, whatever you do
君が何処へ行こうと、何をしていようと
I will be right here waiting for you
ここで君を待っている

そんなある日、バーブラ・ストライサンドから楽曲提供の依頼があり、リチャードは自分で歌うつもりのなかった「Right Here Waiting」のデモを彼女に送りました。
これを受けたバーブラは“この曲好きよ、メロディが素敵だし。でも私が歌うには歌詞を書き換える必要があるわ。私なら、待っていたりしないもの”と求めたそうです。

結局リチャードは歌詞を書き換えず彼女のオファーを断りましたが、デモを聴いた多くの友人らの勧めにより自ら歌うこととなりました。



~ Epilogue ~

数か月恋人の帰りを待ち続けたリチャード…
しかし彼は、それ以前から彼女を待ち続けていました。

シンシアは1983年に『サタデー・ナイト・フィーバー』の続編映画『ステイン・アライブ』に出演、そのサウンドトラックにソロ歌手としてデビュー前のリチャードが関わったことが、二人の出逢いでした。
しかし、この時はシンシアが7歳年下のリチャードを恋の対象と見做しておらず、二人の交際が始まったのは2年後にパーティーで再会してからのことだそうです。

リチャードが「Right Here Waiting」をレコーディングしたのは1988年12月、そして遠く離れていても変わらない愛を確かめた二人は1989年1月8日、結婚へと至っています。
その後に撮影された本曲PVに映るリチャードの“左手薬指”には…。





ところで、『リチャード』『待っている』で思わず連想したのが、“コレ”でしたっ! 
この映像は、2009年に公開されたリチャード・ギア主演のアメリカ映画『HACHI 約束の犬(Hachi: A Dog's Tale)』です。
本作は1987年に公開された日本映画『ハチ公物語』(主演;仲代達矢)のリメイク作品であり、言うまでもなく、帰るはずのない主人を渋谷駅で命尽きるまで何年にも亘り待ち続けた秋田犬『忠犬ハチ公』の実話に基づいています。




今年1月24日には、『トルコの忠犬ハチ公』も報じられました。
14日に飼い主が脳塞栓により救急車で搬送された際この犬は病院まで追いかけ、以後6日間、毎日病院に通い、朝から晩まで待ち続けたそうです。
治療を終え20日に退院したご主人と再会した“彼女”の喜びようは、種の違いを超えた“家族愛”に他なりません。


Whatever it takes or how my heart breaks
どんなことであろうと、どんなに心が打ち砕かれようと
I will be right here waiting for you
僕は、君を待っている

真実の愛だからこそ、自らの欲望を抑え、待つことができるのかもしれません。



「ライト・ヒア・ウェイティング」

最後までお読みいただき、ありがとうございました ♪
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tags : 80's バラード 優しい愛 

コメント

1989年といえば毎晩深夜まで働かされて毎月140時間前後の残業が続いていた時期でした。多忙で疲れ切った日々を送り洋楽を聴く気力・興味も全く失せており、この頃は何がヒットしていたかも殆ど記憶がありませんが、心を癒してくれたのはリチャーっていきましたね。デビュー初シングルがいきなり全米チャート3位、4枚目シングル「ホールド・オン・トゥザ・ナイツ」が2週連続全米NO1を獲得。美しい声にイケメンマスク「一体どういう恵まれた運命の星のもとで生まれているんだろう!」と羨むような挫折なき人生という感じのスタートでしたね。

2021.01.23  ローリングウエスト  編集

ローリングウエストさん

24時間戦えますかの時代とはいえ、140時間はとっくに過労死ラインを超えてますね。
忙しい所は今も変わらないかもしれませんが…。
リチャードの曲、特にバラードはとても曲作りが上手ですね。
当時まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで将来どうなるかと思いましたが、結局この頃がピークでした…。(笑)

2021.01.23  Beat Wolf  編集

こんにちは。

1989年は昭和天皇が崩御され平成になり、セクハラやオバタリアンが流行った年だそうです。ちょうど僕は4月に職場が変わった年でした。いろいろとあって飲んだくれていた時代でした。
リチャード・マークスという名前もしりませんでした。マークスというのは、93年の高村薫の「マークスの山」くらいしか思い出せません!笑)
この曲は初めて聴くように思いますが、ピアノとベースから始まりアコースティックギターが中間に入り後半はストリングスで盛り上げるというバラード好きの人にはたまらないのでしょうね。僕も嫌いじゃありませんが。

2021.01.24  忠      編集

忠さん

オバタリアンの年でしたか!
1989年は歴史的に大きな出来事が重なり、世界が大きく動いた年でもありました。
リチャード・マークスはこの頃勢いのあった歌手ですが、マイケル・ジャクソンでもなければそうそう外国の歌手など知りませんよね。
彼はこの曲のように日本人好みのメロディー・メーカーで、当時とても期待されていました。
長くは続きませんでしたが。(笑)

2021.01.24  Beat Wolf  編集

こんばんは。
この曲と1stアルバムの「Endless Summer Nights」は良く聴きました。1stアルバムはシングルが全てtop5、2ndも全米1位が2曲と大ヒットでしたね。
元々ケニーロジャースのアルバムにも提供していて90年代にもバックストリートボーイズやヴィクセンにも良質な曲を提供しておりヒットメイカーだったと思います。
ケニーGのカヴァーは初めて聴きました。この二人の共演も聴いてみたいものです。
1989年というとLAメタル、ダンスものが多い中でシカゴの大ヒットは嬉しかったです。

2021.01.28  blackmore1207  編集

blackmore1207さん

そうですね。
当時の完成度は目を見張るものがありました。
とりわけ才能を感じたのが作曲能力でしたが
ソロデビュー前も後も、楽曲提供していましたね。
特に「Edge of a Broken Heart」はお気に入りでした。
私もシカゴが大好きなのですが、年間1位はまさかの結果でした。(笑)

2021.01.28  Beat Wolf  編集

こんにちは。リチャードマークス懐かしいです。1989年はベルリンの壁が壊れた年ですね。他にもミリ ヴァリニのI’m gonna miss youとかはやってましたよ。口パク疑惑でグラミー新人賞を剥脱されましたけど、曲はとても好きでした。他にもマドンナのチェリッシュとかドンヘンリーのthe end of innocenceとか良い歌があった年だったように思います。懐かしい曲と解説、ありがとうございました。

2021.01.30  みりびにり  編集

みりびにりさん

今思えばベルリンの壁が壊れた激動の時代、我ながらよく呑気に平和な曲を聴いていたものだと思います。(笑)
私もミリ・ヴァニリの音楽は好きでした。
当時私はHot100の年間100位全曲揃えるほど聴きまくっていましたが、いろんなタイプの曲が入り混じって面白い時代だったと思います。

2021.01.30  Beat Wolf  編集

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