I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

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「スピックス・アンド・スペックス」ビー・ジーズ

2021.05.10

category : Bee Gees

Bee Gees - Spicks and Specks (1966年)

バリーが20歳で書いた作品は、齢を重ねかけがえない人生の大切さを知る人にこそ響くでしょう

] 《解説記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


~ Lyrics ~

Writer(s): Barry Gibb /訳:Beat Wolf


僕の頭上に輝いていた太陽は
いま何処に? 
僕の人生の太陽は
死んでしまった
死んでしまった

僕の街路にきらめいていた灯火は
いま何処に?
そして、懐かしい友人たちはいま何処に?
縁あって出会い
よく交わった

**
遠く背後に残した女の子たちは
いま何処に?
心に残る
美しく小さな欠片たち


**

ずっと愛したあの娘は
いま何処に?
僕が愛したあの娘は
もういない
もういない

***
生涯ずっと
昨日のことを思い起こす
僕の人生で過ぎ去っていった
美しく小さな欠片たち

***
その誰もがみんな

美しく小さな欠片たち
美しく小さな欠片たち




~ 概要 ~

「スピックス・アンド・スペックス」は、ビー・ジーズ1966年11月発売の2ndアルバム『スピックス・アンド・スペックス(Spicks and Specks)』の先行シングルで、同年9月22日にオーストラリアでリリースされ、同国のポップ・ミュージック新聞『Go-Set』で1月初旬に自身初めてのメジャー・ヒットとなる4位を記録した作品です。
同曲は同チャートで16週間 National Top 40 に留まるロング・ヒットとなり『Go-Set』は翌1967年1月に本曲を“Best Single of the Year”に選出、その後ニュージーランドでNo.1、オランダで3位、そして日本で56位という思わぬ成功を収めたにも拘らず、この時すでに彼らはオーストラリアを出国していました…。

実はビー・ジーズはその前年、ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインが経営するマネージメント会社『NEMSエンタープライズ』にデモ・テープを送りアプローチを試みており、オーディションのため新年早々から故国イギリスへと渡っていたのです。
そこで彼らを担当したのが、自身が経営していた会社『RSO』(Robert Stigwood Organisation)を合併させて66年に『NEMS』へやってきたばかりだったロバート・スティグウッドでした。
このロバートこそ後にマネージャーとしてビー・ジーズを世界的な“フィーバー”へと導くことになる人物だったわけですから、まさに両者は“運命に引き寄せられた”かのような出会い方です。


1971年にはビー・ジーズの初期の楽曲群をヒントにストーリーが描かれ、サウンドトラックの大半にビー・ジーズの楽曲を使用した映画『小さな恋のメロディ』(Melody / S.W.A.L.K)が公開され、オーストラリア時代から唯一選ばれたのが「Spicks and Specks」でした。
ただし劇中で使用されたのはビー・ジーズが歌唱したオリジナルではなく、『Richard Hewson Orchestra With Children From Corona School』による演奏&少年少女によるスキャットです(映画ver.は本記事最下へ)。
ビー・ジーズのオリジナルがやや“淋しげ”なのに対し、映画ver.は歌詞に捉われる必要がないからか“明るく爽やか”で、私は2013年にマイケル・ブーブレの「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」(過去ログ)を聴いたとき本曲のことが頭に浮かびましたが、彼もビー・ジーズの「To Love Somebody」をカバーしているくらいなので、きっと「Spicks and Specks」も知っているでしょう。


 



~ Story ~

映画『小さな恋のメロディ』は日本でも人気が高く、サウンドトラックも秀逸で(ビー・ジーズの初期のベスト盤のような選曲)本ブログで何年も特集してきましたが、本項では“ビー・ジーズ以外の曲”にスポットを当ててみましょう。
ビー・ジーズとクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング以外の楽曲は【Richard Hewson Orchestra】が演奏を務めました。
リチャード・アンソニー・ヒューソンはイギリスの音楽プロデューサー/マルチプレイヤーで、ビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』では「The Long And Winding Road」(過去ログ)「I Me Mine」のアレンジなどを手掛けています。


楽曲紹介は、まず「Seaside Banjo」から。
タイトルが示すような特徴があり、ダニエル(マーク・レスター)とメロディ(トレイシー・ハイド)が海岸で水遊びするシーンに使われています。
二人は学校をサボっての海岸へデートに出掛け、結婚について大人顔負けの現実的な話し合いをした後、次のシーンで子供らしく無邪気に水遊びするのです!

 
Seaside Banjo / Romance Theme In F

次は、「Fのロマンス・テーマ(Romance Theme in F)」
メロディが母、祖母に“痴漢に遭った?”と問い詰められる(3人が見ていたテレビドラマのBGM)勿体ない使われ方をしていますが、楽曲は恋愛映画の主題曲にできそうなくらいの名曲です。
(個人的には、ダニエルがメロディと出逢い心を奪われる“バレエのシーン”が合うと思う…)
日本では、1989年頃までテレビ東京『木曜洋画劇場』エンディングテーマ曲に使用されていました。


最後は、「1日中踊ろう(Working on It Night and Day)」
リチャード・ヒューソン・オーケストラ名義で唯一のヴォーカル曲で、【With Barry Hewson】とあるので、リチャードの身内かもしれません。
パーティーか何かでダニエルがメロディをダンスに誘い、見事に成功するシーンに使われています。
一方オーンショー(ジャック・ワイルド)はミック・ジャガーを彷彿させるルックスで、劇中でも女の子たちがミックのポスターにキスして盛り上がるなどモテないはずはないのですが、実際に全くモテない理由がこの場面からわかるでしょう。





~ Epilogue ~

「Spicks and Specks」は、作品のタイトルでありながら謎めいた言葉です。
【speck】は“小片”で通るとして、【spick】は名詞だと“スペイン系アメリカ人(侮蔑用語)”で全く意味が符合せず、形容詞の“完全にきちんとしていて清潔である”なら何とか概念をイメージ可能で、【The spicks and the specks】を“美しく小さな欠片たち”としました。

劇中ではビー・ジーズのオリジナルは使用されておらず、歌詞の無いリチャード・ヒューソンver.が“休み時間に子どもたちが遊んでいるシーン”に重ねられています。
子どもの歌声と鼓笛隊風のアレンジが長閑な学園風景にとても合っており、このシーンを「Spicks and Specks」と題したことからも、“美しく小さな欠片たち=子どもたち”のメッセージが伝わってくるでしょう。

The spicks and the specks
僕の人生で過ぎ去っていった
Of my life 've gone away
美しく小さな欠片たち

一方ビー・ジーズのオリジナルでは、主人公が美しく小さな欠片たちを“過去”として振り返っており、少し“複雑な感情”が加わります。
本曲はビー・ジーズのイギリス進出により、オーストラリアでの最後のシングルになることを想定して創作されたともいわれ、第2の故郷オーストラリアの人々=“美しく小さな欠片たち”として、彼らへのメッセージを込めたのかもしれません。



ハイ・ファイ・セット 『卒業写真』 1975年

私が「Spicks and Specks」に似た概念を抱くのが、「卒業写真」です。
作者はもちろん荒井由実で、1975年にハイ・ファイ・セットがデビュー・シングルとして発表し、ユーミンもセルフカバーしました。

悲しいことがあると卒業アルバムを開き、写真の“あの人”のやさしい目に救いを求める主人公…
その切ない心情が、「Spicks and Specks」と重なります。

この物語は卒業にまつわる“せつないラブ・ソング”と解されていますが、ユーミンが高校時代に通った美術学校の女の先生との関わりがヒントになっているともいわれます。
彼女は先生の熱心な指導の下、東京芸術大学への進学を志していたものの受験に失敗、二人で再挑戦を誓いましたが実際はそのとき合格した多摩美術大学に進学し、その春から学生生活と二足のわらじで本格的に音楽活動(加橋かつみ「愛は突然に」1971年5月)を始めました。
そんな中で彼女は街で先生を見掛け、声を掛けることができず思わず隠れてしまった…というのです。
しかしその先生は、彼女にこんな指導を授けてくれていたといいます…

リンゴの裏側まで想像して描きなさい。表面だけじゃなく、空気まで!

その後、ご存じのようにユーミンは音楽の世界で大成功を収めました。
美術とは別の道を歩んだとはいえ、彼女が創作した数々の楽曲を振り返るとその“教え”を感じずにはいられないのは、私だけではないでしょう。

ここにも、“美しく小さな欠片たち”…。



「スピックス・アンド・スペックス」

最後までお読みいただき、ありがとうございました ♪
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tags : 1966年 ロック/ポップ 郷愁 映画70's 小さな恋のメロディ 

コメント

初期のビージーズ、大好きです。洋楽を聴き始めた頃は「小さな恋のメロディ」が大人気でまずはコチラから入りましたが、初期代表曲「マサチューセッツ」(1967)に遡って聴き込みました。「小さな恋のメロディ」BGMに採用されていた「ラヴ・サムバディ」は、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」で英米レコード界にデビュー後の次の曲だったのかと後から知りました。「マイワールド」や「誰も見えない」なども素晴らしいですが、何といっても日本でも大ヒッしたト美曲「ホリデイ」が最高です。若き3兄弟が美しくドラマティックに歌いあげていましたね。今はロビン、モーリス、アンディの兄弟は全て故人となり、長兄バリーは寂しい思いをしていることでしょう。

2021.05.17  ローリングウエスト  編集

ローリングウエストさん

ビージーズはイギリスにわたって大成功を収めますが、これはその直前の曲です。
一般にビージーズのヴィジュアルはディスコ時代のイメージが強いですが、ここではまだモノクロ映像でメンバーが若く、見た目も60年代なのがとても貴重だと思います。
これほど栄華を誇った兄弟なのに寿命には恵まれず残ったのがバリーだけとは…兄弟の分まで長生きしてほしいものです。

2021.05.18  Beat Wolf  編集

こんにちは。

この曲はあまり意識しませんでしたが、ビージーズ、小さな恋のメロディ、荒井由実、ハイファイセットとくれば僕らの世代で知らない人はいないのではないでしょうか。
以前、職場の研修で心臓マッサージの仕方を習ったことがありました。その時の講師が、「マッサージのスピードはビージーズのStayin' Aliveを歌いながらするといい」と言っていて、笑えました。もうそう言っても通じないかもしれません!笑)

2021.05.22  忠      編集

忠さん

「荒井」由実というのも、70年代風ですね。
そのあまりの活躍ぶりに松山千春は、彼女のダンナさんを「ユーミンパパ」呼ばわりしてました。
心臓マッサージはアバの「ダンシング・クイーン」やプリプリの「Diamonds」などがよく挙げられますが、最近は流行歌がわからないので若い人には説明しづらいですね。

2021.05.22  Beat Wolf  編集

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