作者及びリード・ヴォーカルはジョン・レノンで、まだ歌詞が無かった頃のワーキング・タイトルは「That's a Nice Hat(Cap)」で、同年プロデューサーのジョージ・マーティンとそのオーケストラによる演奏アルバム『Help!』(UAL 3448)に収録された「It's Only Love」のインストゥルメンタルにも「That's a Nice Hat(Cap)」のタイトルが使用されました。 音楽評論家イアン・マクドナルドは著書『Revolution In The Head』の中で、ジョンのメロディーを単一の反復音を中心とした“水平的”、ポールのメロディーを音階が登ったり降りたりする“垂直的”と表現していますが、「It's Only Love」は当時のジョンの曲の多くより“垂直的”と形容しています。 またギターは、12弦を含むアコースティック2本に、トレモロ(震えるような音)を効かせたジョージ・ハリスンの12弦リッケンバッカーを含むエレキ3本が多重録音されています。
「It's Only Love」はビートルズやその後のメンバーによるライブ演奏は行われておらず、1996年の『ザ・ビートルズ・アンソロジー2』で公開された未発表音源が貴重です(記事最下の動画)。 本曲のレコーディングは1965年6月15日に全6テイク録音され、正式ver.は最終第6テイクにジョージのリード・ギターがオーバーダブされたのに対し、アンソロジーver.は第2テイクを主体として、冒頭に第3テイクのイントロでミスしている部分が編集されています。
It's only love and that is all 唯の恋…それだけのことなのに Why should I feel the way I do? 何故、こんなにも思い悩まなければならない
もし「It's Only Love」の言葉どおり“たかが”の歌なら、誰も聴きたいと思わないでしょう。 そこには“されど”が内包されていることを、誰もが知っているからこそ成立し得るタイトルです。 こうした“へそ曲がり”な概念は男性の“背中で泣く美学”と重なる部分が多く、ロックの数々は彼らの“強がり”を代弁してきました。
ところで、「It's Only Love」というタイトルで日本人に最も知られている曲といえば、1994年に福山雅治が発表しミリオンセラーとなったシングルでしょう。 その直前のシングルが「All My Loving」というタイトルで私は“おやっ?”と思い、続いて「It's Only Love」だったので“妙な確信”を抱いたものですが、実際にもビートルズから“拝借”したものであるようです。
I get high when I see you go by My, oh, my あなたが通り過ぎると心が躍る When you sigh, my, my inside just flies, Butterflies あなたが吐息を立てると、心が宙を舞う
「It's Only Love」を語る上で必ずと言ってよいほど参照されるのが、“ひどい歌詞”で“ジョンが最も嫌っている自曲”というネタでしょう。 そのネタ元がジョン本人の発言であるだけに影響力は絶大で、本曲に対する評論家の評価は低く、ローリング・ストーン誌に至っては『100 Greatest Beatles Songs』にすら入れていません。 確かにレベルの高いビートルズの楽曲群の中に於いて上位に於くべき楽曲でも、革新的なサウンドが含まれるわけでもありませんが、イアン・マクドナルドの“レノンのキャリアの中で最も中身のない歌詞を特徴とするいやに感傷的なお飾り”はあまりに不当評価です。
ビートルズのメンバーは1962年に19~22歳でデビュー、64年までに8曲のシングルと4枚のアルバム(何れもイギリス)を発表し、「抱きしめたい」でポピュラー音楽界の頂点に立ったとき弱冠21~24歳でした。 ここまでの活躍だけで時代を彩ったアイドルとして語り継がれるに十二分な活躍ですが、本曲を発表した65年は更に「イエスタデイ」や「ミッシェル」ような不朽の名曲、「涙の乗車券」『ラバー・ソウル』のような革新的サウンドが創造された年です。 1963-64年はボブ・ディランがメッセージ性の強い「風に吹かれて」「時代は変る」でブレイクした時期であり、これに大きな影響を受けたジョンは前作『Beatles for Sale』と本作でそれを色濃く反映させています。
この時点で既に世界のバンドの頂点に立っていたジョンにとって“No.1になる!”は達成済みであり、そこからは自分との闘い、すなわち“より高い次元の作品を創作する”が新たな目標だったでしょう。 つまり世界のNo.1バンドとなりディランに触発される前と後ではジョンの自作に対する要求水準が革命的に変化しており、故にそれを満たさなかった「It's Only Love」の歌詞に対し自ら厳しい評価を下したのだと、私は考えます。 その前年に全米を制覇し絶賛を浴びた「抱きしめたい」がどんな歌詞だったか振り返ると、ジョンが僅かな期間に遂げた目覚ましい成長を確認できるはずです。
そしてジョンがこの曲を嫌っている理由は、「It's Only Love」の“主人公(I)がジョンではない”からと私は想像します。 ビートルズ前期までに彼が創作した作品の多く(特にシングル)は“聴き手が望む歌詞・作風”だったのに対し、ディランに触発されて以降は“自分の物語/メッセージ”がテーマとなっていたため、本曲のみならず主人公にジョン自身が投影されていないビートルズ前期の作品は彼個人にとっては無意味と捉えるようになったのではないでしょうか… (私的な歌ばかり書いていたため、ポールの作曲能力の飛躍に伴い後期のジョンのシングル曲は激減) ラブ・ソングに至っては、オノ・ヨーコと出逢って以降ほぼ“ジョンとヨーコの物語”を根底にしたものです。
「It's Only Love」については、当時の彼の妻シンシア・パウエルとの関係とする解釈もあります。 確かに2番の歌詞【you and I should fight every night】を素直に読むと妻であるシンシアと解釈すれば自然であり、実際の二人の夫婦仲も良好ではありませんでした(ジョンは1976年にシンシアへ宛てた手紙で“薬物使用やヨーコが登場するずっと前に結婚は終わっていた”と言及)。 しかしこれらを1番の歌詞と参照すると概念の乖離が著しく、ジョンとシンシアのドキュメントと重ねるのはあまりに無理があるでしょう。
「It's Only Love」は、ジョン個人と切り離し“憧れの女性に心を焦がすある男の物語”として、あなたの純粋な心に聴かせてみると作品の本当の魅力に触れることができるかもしれません。
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