~ Lyrics ~ Writer(s): Steve Cropper, Otis Redding /訳:Beat Wolf 朝陽の中で座っている きっと僕は、夕暮れ時も座っているだろう 押し寄せ入ってくる船を眺め やがて出てゆく船を眺めながら [Chorus] 入り江の波止場に腰を下ろし 潮が引くのを眺めている ただ入り江の波止場に座り 時を空費している ジョージアの家を出て フリスコ湾へと足を向けた 僕には生き甲斐なんてなかったし この先、道が開けることもないと思えたから [Chorus] [Bridge] この先も、何も変わるものはないだろう 何もかもが同じまま残り続ける 人に言われて自分に出来るものでもない 僕は、同じまま生き続ける ここに座って骨を休めていると 孤独も僕を独りぼっちにさせない 2000マイル彷徨った ただ、この波止場を安住とするために [Chorus] [Outro] *Whistling*~ 概要 ~ オーティス・レディング は26歳という若さでこの世を去りながら、アレサ・フランクリンやマーヴィン・ゲイらソウル/R&Bに限らずビートルズやローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、グレイトフル・デッド、ジャニス・ジョプリンほか…つまり後世を含むポピュラー・ミュージックに多大な影響を与えたアメリカのシンガーソングライターです。
“King of Soul” とも形容された彼の歌唱について、
米ローリング・ストーン誌は【100 Greatest Singers of All Time 第8位】、英Q誌も同・第4位 に位置づけています。
「ドック・オブ・ベイ」 はオーティスが亡くなった(1967年12月10日)直後の1968年1月8日にリリースされたシングルで、同年2月23日発売のコンピレーション・アルバム
『The Dock of the Bay』 に収録されています。
本曲は同年3月16日から
Billboard Hot 100 の4週No.1(年間4位/1958–2018;203位) に輝き、世界で400万枚以上売り上げたオーティス最大のヒット曲であり、
1969年のグラミーで
【Best Rhythm & Blues Song/Best R&B Vocal Performance, Male】 の2部門を受賞しました。
1999年にアメリカの演奏権管理団体BMIは本曲を
【20世紀にアメリカのテレビ/ラジオで放送された曲の第6位】と発表、
ローリング・ストーン誌も
【500 Greatest Songs of All Time 26位】 に位置づけるなど、時代を超えて愛された歴史的名曲です。
「(Sittin' On) The Dock Of The Bay」の
作者はオーティスと、本曲のプロデューサー/ギタリストであるスティーヴ・クロッパー (ローリング・ストーン誌 100 greatest guitarists of all time 第39位の名ギタリスト)による共作です。
1967年8月のバーケイズ(The Bar-Kays;アメリカのファンク、R&B、ソウル・バンド)とのツアー中にオーティスが着想し、スティーヴの助けを借りて創作されました。
同年11月22日にレコーディング/12月7日にオーバーダビングが行われ、オーティスは更にザ・ステイプル・シンガーズ(ゴスペル/ソウル・グループ)のバック・コーラスを追加録音する予定でしたが、その3日後の
彼自身の急死により創作は未完成 に終わりました。
印象的な
【波の音/カモメの声】 はオーティスが亡くなった後にスティーヴが追加したもので、彼はその理由を“オーティスはいつも面白い冗談を言う人で、スタジオで(鳥を真似て)カーカー鳴いたりしていたことから、カモメの鳴き声を入れるアイデアが浮かんだ”と語っています。
こうした経緯から、オーティスが「ドック・オブ・ベイ」をステージでパフォーマンスしたことはありませんが、1992年に彼の未発表音源を編集したアルバム
『Remember Me』 に、波の音/カモメの声が追加される前の本曲の音源
が収録されました。
本曲はステイプル・シンガーズやグレン・キャンベル、セルジオ・メンデス&ブラジル'66、シェール、サミー・ヘイガー、小野リサ
、スティング
ほか実に多様なジャンルにカバーされてきましたが、最も有名なのは
マイケル・ボルトン でしょう。
このカバーは1987年に Billboard Hot 100 の11位を記録していますが、オーティスの未亡人であるゼルマ・レディングはマイケル ver.を“夫の記憶をたくさん思い出させ、涙が出るほど感動した。夫のクラシックの中で一番好きなヴァージョン”と絶賛しており、それを伝えた手紙はマイケルのオフィスの壁の額縁に飾られたそうです。
VIDEO VIDEO VIDEO VIDEO ~ Story ~ I left my home in Georgia ジョージアの家を出て Headed for the 'Frisco bay フリスコ湾へと足を向けた 共作者スティーヴ・クロッパーは、1990年9月にラジオ番組『Fresh Air』で“僕がオーティスと一緒に書いた曲の殆どの歌詞は、オーティスの人生について書かれている。彼自身は普段、自分のことは書かないけれど、僕が書くんだ。「Dock Of The Bay」はまさにそれで、
オーティスがジョージアの家を出てフリスコ(サンフランシスコ)湾に向かった歌 だ”と語っています。
つまりアメリカ南東部ジョージア州ドーソン生まれで同州メイコン育ちのオーティスがツアーのためサンフランシスコ・フィルモアで公演を行った際サウサリートのボートハウスに宿泊し、そこから“船が入ってくるのを眺め、出てゆくのを眺める”というアイデアを着想したそうです。
'Cause I've had nothing to live for 僕には生き甲斐なんてなかったし And look like nothin's gonna come my way この先、道が開けることもないと思えたから 主人公が2000マイル彷徨った原因を想像させるフレーズです。
それが個人の生き甲斐の問題か、“生きるための生活環境全般”と捉えるかは受け手次第ですが、
1968年 といえば
公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング Jr.牧師や、人種差別・公民権問題解決に積極的だったロバート・ケネディ上院議員が暗殺 された時勢であり、当時少なからずの人がそうした社会背景と自身の身の上を重ねたことでしょう。
オーティス自身は、彼の才能を正当に評価し協力してくれたスタックス・レコード社長のジム・スチュワートや共同作曲者のスティーブ・クロッパー、自らマネージメントを買って出たフィル・ウォルデンほか白人の仲間に恵まれましたが、駆け出しのころ黒人であるという理由でホテルに宿泊することを断られ、車で寝泊りしたこともあったといいます。
[Outro] *Whistling* アウトロの口笛 は、決して幸福な人生を送っているわけではない主人公が、
薄幸の中でも自暴自棄にならず“海を眺めるという小さな救い”を見出し生きているさまを象徴 し、物語の余韻をより印象的にさせるでしょう。
実は
この部分には最後のヴァースを入れる予定 でしたが録音時点でそれは用意されておらず、スティーヴは自身のウェブサイトで次のように説明しています。
“オーティス・レディングのファンなら、彼が曲の終わりでアドリブを入れるのが世界一上手いことを知っているはずだ。だけどこの曲では
曲の終わりになってもアドリブのネタがなく、ただ口笛を吹き始めた んだ…”
この口笛については Sam “Bluzman” Taylor が吹いたものとする説もありますが、本曲のプロデューサーでもあるスティーヴは、
曲の雰囲気によく合っていることから口笛を残した として、この俗説を否定しています。
Ooh, I'm just sittin' on the dock of the bay ただ入り江の波止場に座り Wastin' time 時を空費している 本曲で“何もかもが同じまま残り続ける”と歌った
オーティスは、“変わり得ないはずのものを変えた” 自身の成果を見届けることなく、皮肉にも
本レコーディングの3日後に飛行機事故という“急変”によって人生の幕を降ろし ました。
しかし彼の遺した歌はその後も人々の心から消え去ることはなく、「港の桟橋に腰掛けて|世界を変えるために演奏する|世界を巡る歌」
として、
21世紀も人種や国境を越えて“苦難を堪えながら静かに生きている人々”をそっと励まし続けている のです。
これこそ、きっとオーティスが本曲に込めた本望…。
(
人柄を感じさせるロジャー・リドリーの歌唱がとにかく素敵、日本のアノ人も!)
Playing for Change 「港の桟橋に腰掛けて|世界を変えるために演奏する|世界を巡る歌」 VIDEO -------------------------------------------------------------------------------------
~ 大規模地震・ミサイル攻撃は想定外な60年超の超老朽原発+放射能汚染水の大量海洋投棄…いま改めなければ、この国はきっとかけがえないものを失う ~ 「いじめられてるようだよね」処理水海洋放出迫り漁師危機感“理解なしに処分行わない”東電の約束は? VIDEO 大地震と津波による甚大な人的・経済的被害、INES最高レベル7(深刻な事故)の原発事故で大気中に拡散された広島原爆168発分もの放射能による広大な地域への健康・土壌汚染被害を及ぼした東日本大震災から、間もなく12年です。
2022年11月1日時点も約3.1万人の方が全国で避難生活(復興庁)を余儀なくされている中、
岸田政権 が決定した東京電力福島第一原発
「放射能汚染ALPS処理水を今年春から夏頃に海洋投棄」 の方針は、震災で壊滅的な被害を受けながら苦労を積み重ね震災前の水準まで回復させた地元漁師たちを失望させています。
言うまでもなく
「漁師にとって海が仕事場」 であり、海産物の安全性と商品価値を棄損する
“毒物(放射能)”を海に大量投棄されたらまさに死活問題 で、政府の決定に怒らない漁師はまずいないでしょう(事実、福島・宮城県漁連会長をはじめ全漁連会長が政府の方針に「断固反対」を表明)。
東京電力によると
「放射能汚染処理水のトリチウムの濃度を国の基準の40分の1未満まで海水で薄め沖合1キロに放出する」 としていますが、そのような『欺瞞』は子どもさえ騙されるものではなく、
「汚染水を、海から汲んだ水で薄めて海に戻しても、投棄する『放射能量は同じ』」 です。
(
そもそも東電は「放射能汚染処理水を“危険”と自覚しているからこそ約132万トンも敷地内のタンクに貯蔵してきたはず)
全国の漁師および日本国民は「放射能汚染していない日本の海と海産物の安全」を望んでいる のであって、
「被害が出た後の僅かな補償と賠償金」や、
「『放射能汚染処理水は安全』というプロパガンダ広告に税金を浪費」し、
放射能の恐ろしさを後世に伝える「『はだしのゲン』を教材から削除 する」こと
を求めているわけではありません。 原発の運転60年超を正式決定 原子力規制委 異例の多数決 そもそも
日本の原発政策 は東西冷戦の時代、『核の平和利用』の美名の下に(東側陣営に対抗するため)
西側諸国へ核兵器の原料となるウラン/プルトニウムとそのノウハウを拡大するアメリカの安全保障政策に基づき 、
“CIAのエージェント”とされる中曽根康弘・衆議院議員(後の首相)と正力松太郎・読売新聞/日本テレビ社長が政治権力/マスメディアを使って強引に推し進めたたものであり、その“結実”である
『福島第一原発』 は、
「アメリカでは決して承認されない立地に建設」し、
「わざわざ敷地地盤高を35m→10mに削って建設+非常用電源も地下に設置」、
「重大な事故につながる欠陥が判明した原子炉を使用し続け」、
「耐用年数30年を独自都合で40年に延長」 、
「それを更に10年延長」 させた
直後に発生したのが2011年のINESレベル7の原発事故 でした。
(
詳細は
過去ログ;「パワー」ジョン・ホール へ)
これほど
明確に『道理の尽くに背いた利己的な原発失政』 が、
「INESレベル7の原発事故という明確な結果で証明」され、
「12年経っても問題の根本を全く解決できず」、
「放射能が国民の安全と平穏を脅かし続けている」にも拘らず、
同じ失敗を繰り返さぬよう改善することさえできず、ただ目先の損得に走り既に危険が実証された「耐用年数を20年過ぎた“超老朽原発”の運用に回帰する」 など、
「この国は大日本帝国を滅亡させた“狂気”がいまだ権力を支配している」 と暗然とさせられます。
2014年に
大飯原発の運転差し止めを命じる判決 を下した
樋口英明裁判長が明かしたその理由 は、
「原発事故のもたらす被害は極めて甚大」⇒故に
「原発には高度の安全性が求められる」
「地震大国・日本に於いて原発の安全に高度の耐震性が不可欠」⇒にも拘らず
「わが国の原発の耐震性は極めて低い」 ⇒よって
「原発の運転は許されない」という
極めて明快な論理 でした。
樋口氏によると、
日本の既存の原発の基準地震動(耐震設計の基準)は概ね600~1000Gal であるのに対し、
日本では1000Gal以上の地震は今世紀だけで18回も起きている のが現実であり(最大で4022Gal)、一般住宅である三井ホーム(5115Gal)/住友林業(3406Gal)にも著しく劣る耐震設計です。
一方、
敵国からのミサイル攻撃に対抗し憲法違反に当たる『敵基地攻撃能力』の保有を強行した岸田政権 ですが、2022年に
原子力規制委員会の更田豊志委員長 (当時)は
「(日本国内の原発がミサイル攻撃を受けた場合)放射性物質がまき散らされることが懸念される。現在の設備で避けられるとは考えていない」 と国会で答弁しており、
最初のミサイル攻撃で全国各地の原発が破壊されたら日本は再興不能な程の放射能汚染を被る可能性 もあるでしょう(敵基地攻撃能力を保有するということは、その確率を高めることである)。
古賀茂明さん「フェイクはどっちだ」~原発逆噴射【山田厚史のここが聞きたい】20221201 VIDEO ~ 取り返しのつかない放射能のリスクを嘘で誤魔化す政治は、決して許してはならない ~ 私は2017年の過去ログで、
「原発に反対する最大の理由は“原発があまりに嘘で塗り固められた政策”だから」 と書きましたが、
事故から十年以上が経過した岸田政権 では、
原発を推進し大事故を導いた責任者(原子力“ムラ”) らが“禊(みそぎ)は済んだ”とばかり
「不都合な真実の隠蔽/原発利権拡大・安全神話の復活」の動きを加速 させています。
岸田首相は 、
中立公平な立場から
“原子力の安全規制する原子力規制委員会”の委員長に、「核燃料サイクル推進を主張し原子力事業者から研究資金の提供を受けていた山中伸介氏を任命」 し、その事務局である
「原子力規制庁が“原子力を推進する立ち場の経済産業省資源エネルギー庁”と事前に何度も非公開の面談・すり合わせを重ね」 、
本来の耐用年数を20年過ぎた
『60年超の超老朽原発の稼働』を認める“安全性を劣後にした決定” を行いました。
『原子力安全・保安院』が“天下り先の電力会社の安全規制を担当” し、
本来の耐用年数を20年以上過ぎた
“超老朽原発を稼働”させ発生したのが『福島第一原子力発電所事故』 だったにも拘わらずです。
東電旧経営陣3人に無罪判決 東京高裁 2023.01.18.
『福島第一原発事故を巡り東京電力の旧経営陣が業務上過失致死傷罪を問われた裁判』 で、
高裁は「巨大津波の襲来を予測することはできず、事故を回避するために原発の運転を停止するほどの義務があったとはいえない」 との理由で全員の無罪を判決しました(2013年に検察が不起訴とし、2019年に一審が無罪判決したのも同じ理由)。
しかし、
福島県を含む東北地方太平洋岸は歴史上何度も巨大地震・巨大津波が発生 しており、
2001年には「巨大津波が800年~1100年に1度発生している」という津波履歴が地質調査で確かめられ、「貞観地震津波から1100年以上が経過し
仙台湾沖で巨大津波発生の危険性が高まっていると地質学の専門家から警告 され」、
1992-2007年までに『IAEA』から複数回福島原発の地震・津波対策の強化を提言され東電は約束しながらそれを実行せず、提言したIAEA事務次長は事故後「福島原発事故は東電の尊大さが招いた東電型事故」と厳しく非難 しました。
それにも拘らず、地震や原子力の専門家でも、自ら地質調査を行ったわけでもない裁判官が歴史と専門家の所見を覆し“巨大津波の襲来を予測することはできず”を結論づけるのは、
不自然さ を禁じ得ません。
「片方の監督が審判に」 東海第二原発の控訴審、裁判長は過去の原発訴訟で国の代理人だった また、同月の
『東海第二原発の運転差し止めを11都府県の住民らが求めた訴訟』 では、「東京高裁の控訴審の
裁判長が過去の原発関連訴訟で国側代理人を務めていた ことが判明し、原告が裁判長に自発的な辞退を求める騒ぎが発生しました。
この裁判長は人事交流で法務省のポストを長く務め、四つの原発関連訴訟で国の代理人を務めたほか、
東海第二の運転差し止め訴訟でも原電とともに国側の立証活動に管理職として関わり 、昨年9月に東京高裁部総括判事に就任した人物です(このタイミングでの就任は偶然?)。
前項の
大飯原発の運転差し止めを命じる判決を下した樋口英明元裁判長 は、
「裁判所は国寄り、行政寄りの判断を下すクセがあり、特に最高裁はその傾向が顕著」 と証言しており、
「最高裁判所長官は内閣が指名」し
「最高裁判事も内閣が任命」、
「下級裁判所裁判官も最高裁の指名により内閣が任命」する関係を鑑みると、
裁判官は正当な判決で政治家を怒らせるより、“恩を売って”与党のパトロン企業へ天下りした方が“役得”になる であろことは想像に難くないでしょう。
『不都合な真実の隠蔽/原発利権拡大・安全神話の復活』は、
原子力“ムラ”の下僕であるマスメディアも同じ です。
(政府の御用商人と広告企業をスポンサーとする)マスメディアは彼らの“令(いいつけ)”どおり
『残留放射能に対する懸念』を『風評被害』 、
『放射能汚染ALPS処理水』を『処理水』 とすり替えた言葉を喧伝し、それぞれ
「『根拠のない噂』で被害を与える」 、
「『放射能』も『汚染』も消えて無くなった水」 を国民に印象づけるよう働きかけてきました。
しかし
原子力工学者・小出裕章氏 は、原発事故により
「『放射線管理区域』に該当する放射能汚染地域が現在も日本各地に点在」 し、
「『処理水』と呼ばれる水の7割以上はトリチウムを除いても放射能汚染水である」 と、真っ向からそれを否定しています。
福島第一原発に存在したセシウム137の量は広島原爆7900発分 、うち
2%(広島原爆168発分)が大気中に放出 され、
残り98%は溶け落ちた炉心の中に今も存在し続けて おり、大地を汚染している主成分セシウム137の半減期は30年であるため、小出氏は
今後100年以上『原子力緊急事態宣言』下であり続ける と指摘、
「政府は緊急事態を理由に特措法を乱発し事故から12年経とうとする今も『放射線管理区域』(※)に被害者を何の補償もなく棄て続けている 」と、政府を厳しく非難しています。
(※一般人は立ち入りを禁じられ、放射線業務従事者だけが厳しい規制と補償の下、被曝量を限って許可が与えられる高放射線区域)
また
汚染水について も
「放射能を消す力は人間にも自然にもない」 、
「被曝は必ず害を伴う」ため「放射能を含んだ水を海に流してはいけない」 と、、「大型タンクやモルタル固化など方策はたくさんある」などとの見解を示しています。
一方、彼は
「漁民がどんなに反対しようが、世界の国がどんなに抗議しようが、この国は放射能汚染水を海に流す」 と言及しています。
理由は、
「
福島のトリチウムを海に流していけないとなると、福島の総量の6倍のトリチウムを毎年環境に放出する六ヶ所再処理工場の運転もできなくなり、日本の原子力は崩壊する。 再処理とは使用済み燃料からプルトニウムを分離する作業であり、原発を推進する
日本の原発マフィアは長崎型原爆の材料となるプルトニウムを取り出す再処理を諦めていない」 からだそうです。
あなたは想像したことがおありですか?
ある日突然ミサイル攻撃や大地震・テロによる放射能汚染で祖国が半永久的に居住不能になり、或いは放射性廃棄物の断続的な海洋投棄によって海産物が壊滅し、海岸に近づくことさえできなくなる可能性 のことを…。
「放射性物質が全部出てしまうわけですからわれわれのイメージは東日本壊滅ですよ」 福島第一原発・吉田昌郎所長
私にとって、事故発生時の吉田所長の言葉こそ
「最大の教訓」 です。
つまり
「一個の原発だけで東日本を壊滅させるリスクを秘めている」 を知ったこと…。
なのに、先日
NHKが配信した『南海トラフ地震』の被害を想定した記事 は、「日本の衰退」まで言及しているにも拘らず
「原発事故の想定を一切言及しません」 でした(NHKは“いつも”そう…)。
加えて、2月21日
午前10時30分ごろ、茨城県東海村の
東海第二原発で「非常用電源喪失のトラブル」が発生 し『FRIDAYデジタル』が速報しましたが
大メディアは追随せず 、NHKは同日
20時20分にFRIDAYの数分の一の文量の記事を配信しただけでした。
“報道機関”を掲げた大メディアが揃ってこんな体たらくで、危急時の情報提供は大丈夫??
「汚染水はなぜ流してはならないか」小出裕章講演会 ←多くの人に知っていただきたい…。
VIDEO 最後までお読みいただき、ありがとうございました ♪
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