「想い出のサンフランシスコ」は、そのキャリアが1951年にまで遡るアメリカを代表する歌手/エンターテイナーであるトニー・ベネット1962年2月のシングル曲で、Billboard チャートの最高位こそ 19 位 (年間Top100に入らず) だったものの 9 か月間チャートに留まり続けゴールド・ディスクとなり、翌年のグラミーでレイ・チャールズの名曲「愛さずにはいられない」を退けて【最優秀レコード賞】と、【最優秀男性ソロ・ヴォーカル賞】を受賞した作品です。 当初本曲は「Once Upon A Time」のB面としてリリースされながらプロモーションツアーで「Once Upon A Time」が期待していたような反応を得られず、ディスクジョッキー達もB面の「I Left My Heart in San Francisco」をかけることが多くなったためレコード会社の説得により途中から本曲がA面となりました。
「I Left My Heart in San Francisco」はアメリカに於いて“文化的・歴史的・または芸術的に重要”と位置づけれれている楽曲であり、2001年にアメリカレコード協会(RIAA)とアメリカ国家芸術基金(NEA)による『世紀の歌』(20世紀の上位365曲)の23位に選定され、2018年には本音源が米国議会図書館の『全米録音資料登録簿』(National Recording Registry)に登録され米国の録音資料として将来にわたって保存されることが決定しています。
トニー・ベネットの代表曲として有名な「I Left My Heart in San Francisco」ですが、実は本曲が“トニーのために作られた曲でなく”、“トニーがオリジナル歌手でもない”ことを知る人は少数でしょう。 本曲は作詞がダグラス・クロス/作曲がジョージ・C・コーリー・ジュニアという当時無名だった二人のソングライターが1954年にオペラ歌手クララメイ・ターナーのために書き、彼女も同年からコンサートのアンコールで頻繁に歌っていましたが録音するまでには至りませんでした。 本曲が最初にレコーディングされたのは1960年、マサチューセッツ州出身のあまり知られていない女性歌手、Ceil Clayton で、彼女によって“ジャズ・テイスト”が生み出されたと思われます。
一方、トニーが「I Left My Heart in San Francisco」を歌うきっかっけはこれらと全く別の経緯によるものでした。 トニー・ベネットの自伝『Just Getting Started』によると、作者の二人は友人でありトニーのピアニストであったラルフ・シャロンに早い時期からこの曲を売り込んでいたものの、シャロンは音楽原稿をシャツの引き出しにしまい込んだまま、1961年の公演前にそれを発見するまでその曲のことを忘れていたというのです! その公演とは1961年12月、サンフランシスコにあるフェアモント・ホテルでのショーのことで、シャロンがここで「I Left My Heart in San Francisco」をパフォーマンスしたら盛り上がるだろうと提案、トニーも賛同しこの時初めて本曲が披露されました。 このとき特にバーテンダーからの反響が大きく、トニーに“その曲をレコードにしてくれたら買ってあげる”と言われたのが後押ししたかは不明ですが、実際にそれから間もない1962年1月23日に本曲が録音されています。
~ Story ~
The glory that was Rome is of another day ローマの栄光は、今日とはまた別の日のこと I've been terribly alone and forgotten in Manhattan マンハッタンの僕は、人々からずっと忘れられ酷い孤独
「I Left My Heart in San Francisco」に発意を与えたオペラ歌手クララメイ・ターナーはカリフォルニア州 ディヌーバ (Dinuba) 生まれで芸歴の始点もサンフランシスコ、そしてニューヨークでも活動経験がありました。
一方トニーは生まれも仕事の拠点もニューヨークでサンフランシスコへの居住経験はなく、しかもイタリア人移民の子なので、この歌は彼の経歴を反映したものではありません。 ただフェアモント・ホテルで「I Left My Heart in San Francisco」を初披露した際、聴衆の中に当時のサンフランシスコ市長と後の市長がおり、後年本曲が市の正式な賛歌のうちの1つに採用され、NFL(フォーティナイナーズ)やMLB(ジャイアンツ)、ゴールデンゲートブリッジ記念式典ほかのイベントで多く演奏され、2016年にトニーの銅像がその“歴史”の原点となったフェアモント・ホテル前に建立されるなど、当地では長年に亘って非常に歓迎され続けています。
High on a hill, it calls to me 小高い丘が僕を呼んでいる To be where little cable cars climb halfway to the stars 小さなケーブルカーは、半ばから星空へと上る
San Francisco, California, United States of America 8K Ultra HD Video
Tony Bennett - I Left My Heart in San Francisco (from MTV Unplugged)
~ Epilogue ~
トニー・ベネットはキャリア70余年/グラミー賞20回受賞という際立った成功を収めた歌手ですが、私は1980年代に彼の名を聞いたことはなく、その名を耳にするようになったのは1990年代以降、特に1995年のアルバム『MTV Unplugged』が【グラミー最優秀アルバム賞】を受賞して以降であり、実際「想い出のサンフランシスコ」以外に彼が受賞した18個のグラミー賞はすべて90年代以降のものです。 皮肉なことに「想い出のサンフランシスコ」がヒットした1962年は“超新星”ビートルズの登場した年であり、その史上にも稀なアイコンによって音楽の流行が全く変わってしまい、以降も70年代のHRやディスコ、80年代の電子ポップやHMなど刺激の強い音楽が主流の時代が長く続き、ようやく時代がそれに飽きて“Unplugged”を求める流れとなったことがトニーの“古き良きアメリカ”への再評価となったのでしょう。 一度グラミーの栄誉を味わった歌手にとって30年もの低迷は想像に絶する苦難だったと推察しますが、彼はその“失われた30年”のうっ憤を晴らすかのようにその後目覚ましい活躍を遂げ、2011年に85歳で自身初/最年長首位記録となる Billboard 200(アルバム・チャート)での No.1 に輝き、更に2014年に“最年長首位記録を88歳と69日”に更新、2021年8月の『Love for Sale』で記録更新とはいかなかったものの(8位)、“95歳と60日での新作アルバム・リリースは史上最高齢としてギネス世界記録”に認定されています。
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