1971年に1stアルバム『America』を完成させましたが、レーベルのワーナー・ブラザースは収録曲からの第一候補と想定されていた「I Need You」を最初のシングルとすることに消極的でバンドへ他の曲を求めたため、急遽レコーディングした4曲のうちの一つが「A Horse With No Name」でした。 デビュー・シングル「名前のない馬」は1971年11月12日にイギリスでリリースされるも、12月18日の49位をピークとして瞬く間に“圏外”へと消えてしまいます。 しかし同年12月24日に1stアルバム『America』がリリース(※)されると「名前のない馬」も翌1972年1月8日に再びチャート・イン、1月22日に全英3位まで上昇しました。 (※上記の経緯により『America』には当初「名前のない馬」は入っていなかったが、その後の再発盤から収録)
一方、米国では1972年1月12日に「名前のない馬」がリリースされると3月25日にデビュー・シングル&アルバムが同時にBillboardでNo.1に輝き、それぞれ3週間(年間;27位/All Time;549位)/5週間トップの座を維持するという快挙によってアメリカは見事“故郷に錦”を飾ることとなりました。 これらが米国でチャートを登り始めた2月、彼らはエヴァリー・ブラザーズの北米ツアーの前座としてロサンゼルスでツアーを行っていましたが、残念ながら快挙の達成を母国で見届けることなくイギリスへ帰国しています。 しかし2ndシングル「I Need You」も大ヒットを記録し、一連の活躍によりアメリカは73年のグラミーで【最優秀新人賞】を受賞しました。
アメリカは、アマチュア時代からアコースティック・ギターと3パートのヴォーカル&ハーモニーという【クロスビー、スティルス&ナッシュ(&ヤング)】路線のサウンドを志向しており、「名前のない馬」でデビューした時もキャッシュボックス誌が“CSN&Yのサウンドに似たもの”と表現したように、当時多くの評論家や音楽ファンも同様の印象を抱いたようです。 これについて本曲を作曲・歌唱したデューイ・バネル本人は、“この曲で自分がニール・ヤングに似ていることはよくわかっていたけど、彼の真似をしようとしていたわけではない。パクリの烙印を押されないよう違う声を使うようにしているけど、誰かに似ないように歌わなければならないというのも、うんざりする”と、1973年にローリングストーン誌で語っています。 また「名前のない馬」が全米No.1に輝いた時、No.1の座を奪われたのがニール・ヤングの「孤独の旅路」(Heart of Gold)だったというのも、因縁めいた興味深い事実です。
ところで、本作品ではアメリカのオリジナル以外にも興味深いバージョンがあるのでご紹介いたしましょう。 オリジナルもハーモニーの美しさが魅力ですが、オフコース ver.は“本家を超えた”と表して過言でない美しさで、これは超オススメです! 次は1986年に桑田佳祐が企画した『メリー・クリスマス・ショー』でのKUWATA BAND、THE ALFEE、チェッカーズらによるカバーで、もう二度とこのメンツは揃わないだろうという意味で貴重でしょう。 そして2005年の『SoundStage Season 3』はアメリカのパフォーマンスに加え、あのクリストファー・クロスがギター・シロを披露しています。
~ Story ~
On the first part of the journey その旅の始まりで I was looking at all the life 僕はあらゆる生命に目を向けていた
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