I Wish~洋楽歌詞和訳&解説

80年代の洋楽ロック・ポップス&ビートルズを中心に、歌詞の和訳と解説+エッセイでお届けします

STOP!
地球温暖化/気象災害激甚化
Lil Dicky - Earth
Lil Dicky - Earth1
Beatles & Solo
Please Please Me


With The Beatles


A Hard Day's Night


Beatles For Sale


Help!


Rubber Soul


Revolver


Sgt Pepper's


The Beatles


Yellow Submarine


Abbey Road


Let It Be


Magical Mystery Tour


Beatles(the other songs)


John Lennon


Paul McCartney


Wings


George Harrison


Ringo Starr


「スモール・タウン」ジョン・クーガー・メレンキャンプ

2024.02.28

category : John Mellencamp

John Cougar Mellencamp - Small Town (1985年)

スターとなった後も【小さな町】から作品を発表し続けたジョンが、“故郷を離れない理由”とは?

《すべての記事を更新》いたしました。【続きはこちら>>】をクリックしてご閲覧ください。


~ Lyrics ~

Writer(s): John Mellencamp /訳:Beat Wolf

小さな町に生まれ
小さな町に生きている
きっと俺は、小さな町で生涯を終える
あぁ…あの小さなコミュニティで

小さな町に友達みんながいる
二親(ふたおや)もいる
小さな町には俺の仕事だってある
小さな条件ばかりだけれど

小さな町で教育を受け
小さな町でイエスへの畏れを教わった
昼日中から夢に描いたものも、小さな町
つまらない恋の物語を

小さな町でみんな経験し
小さな町で大いに楽しんだ
大都会の美女と結婚して小さな町へ連れ帰った
今じゃアイツも俺と同じ小さな町の住人

自分の生まれた故郷や
愛してくれた人たちを、忘れるなんてできない
この小さな町だから、自分らしくいられる
みんな、俺をやりたいようにさせてくれる

大きな町が悪いと言いたいんじゃない
田舎者が“大きな町の連中を見ろ…”なんて言うのは簡単だ
でも、俺の寝床は小さな町にある
俺には、それで十分

小さな町で生まれ
小さな町の空気を吸って生きている
いつか俺はこの小さな町で生涯を終え
きっとこの土に骨を埋める



~ 概要 ~

ジョン・クーガー・メレンキャンプ(※当時。1991年以降は本名のジョン・メレンキャンプを名乗る)はブルース・スプリングスティーンやボブ・シーガー、トム・ペティらと並び、1980年代にアメリカの民衆・労働者の心情を背景としたハートランド・ロック(Heartland rock)を代表するシンガー・ソングライターです。

「スモール・タウン」は1985年の8thアルバム『スケアクロウ(Scarecrow)』(Billboard 200 で週間2位/年間3位、ローリングストーン誌【100 Best Albums of the Eighties 95位】)からの2ndシングルで、Billboard Hot 100 の6位(1986年の年間72位)を記録しました。
ジョンは“あの曲は古い自宅の洗濯室で書いた”と語っており、単語のスペルを間違えるとビープ音が鳴る電子タイプライターを使って歌詞を書いていたため、ビープ音を2階で聞いていた来客が冗談かと大笑いしたという逸話も伝えられています(※それだけ頻繁にスペルを間違えたのだろう)。

プロデューサーの Don Gehman によると本アルバムでは“過去の趣向に学び、ジョンのアレンジで新しい方法に用いる”のアイデアにより、ジョンとバンドはレコーディング前に1か月間リハーサルに費やし、1960年代のロックンロールを100曲演奏したといわれます。
1951年生まれのジョンは1960年代の音楽に大きな影響を受け、それらの要素を彼の作品に取り入れることもあるそうですが、「Small Town」ではスプリームス(シュープリームス)1965年の全米No.1曲「涙のお願い(Back in My Arms Again)」のリフがヒントになっているかもしれません。

本アルバムはリマスターに伴い2回再発売されていますが、それぞれに際しオリジナルとは別音源のトラックが追加されています。
『2005 remastered and expanded edition』の「Small Town"(acoustic version)」はより“やさしくほっこり”、『2022 remastered and remixed deluxe edition』の「Small Town (Writer's Demo)」はより“素朴な弾き語り”となっているので、テイストの違いをお楽しみください。


 
 

John Mellencamp - Small Town (Live at Farm Aid 1987)



~ Story ~

Well, I was born in a small town
小さな町に生まれ
And I live in a small town
小さな町に生きている

ジョンは、アメリカ中西部インディアナ州シーモアで生まれ(2020年の人口は約2万1500人)、この曲がリリースされた当時は同州ブルーミントン(同7万9000人)に在住でした。
レコード会社は大都市に集中しているためミュージシャンの殆どは大都市へ移住する必要があり、彼もレコード契約後ニューヨークに引っ越して活動を始めましたが都会に圧倒され喪失する創造力を自覚したといいます。

それに耐えて都会で頑張り続けるか、田舎へ帰って普通の仕事に就くか…

ジョンは、その何れも選択しませんでした。
何と彼は、1984年にブルーミントン近くのベルモント(非法人コミュニティ)に自分のスタジオ『Belmont Mall Studio』を創設してしまったのです!
それから最初の創作が、『Scarecrow』でした。


All my friends are so small town
小さな町に友達みんながいる
My parents live in the same small town
二親(ふたおや)もいる

ジョンの祖先はドイツの農民で、ハンブルクの大半が焼失した1842年の大火災をきっかけにアメリカへ渡り、ドイツ移民の入植地となったのがインディアナ州でした(1980年の国勢調査でもドイツ系が42%で最多)。
彼は若い頃、牧場を営む父子の葛藤を描いた1963年の映画『ハッド』で規律正し過ぎる父と衝突ばかりしているどら息子(主演;ポール・ニューマン)に自分の姿を重ねたと言うように、彼の父との関係はぎくしゃくしていました。
しかし音楽の世界に飛び込み、駆け落ちしたりと突発的な行動を起こした時いつもジョンの立場を父に説明してくれたのが祖父で、その祖父が1983年12月に亡くなり、彼が孤独に枯れていった様子はジョンと父にショックを与え大きく心を成長させたといいます。
祖父の死後ジョンが『ハッド』を見て、昔は反感しか抱かなかった頑固な父親に対し、息子との調和を図れない自分を悔やむ父の心情を汲み取れる程に…。


No, I cannot forget from where it is that I come from
自分の生まれた故郷や
I cannot forget the people who love me
愛してくれた人たちを、忘れるなんてできない

2013年、ジョンは“【充実した人生を送るため、或いは人生を楽しむために、ニューヨークやロサンゼルスに住む必要はない】という歌を書きたかった。俺はただ、家族を持つこと、友達と親しい関係を保つことを大切にしたかった”と、ローリングストーン誌に語っています。

インディアナ州に暮らす彼の親戚や友人の多くは農業に携わり自給自足的な価値基盤の下にコミュニティを形成しているのに対し、『新自由主義』を掲げる政府に支援された独占企業がそこへ進出し【small town】に根を張り生きている小規模・個人経営農家から“農業を奪い取る”…。
経営難に苦しむ農家を支援しようと、ジョンやウィリー・ネルソンらが1985年に立ち上げ2023年まで継続中のチャリティ・コンサート『ファーム・エイド』
田舎で子供を育てようとすれば経済的・社会的に隔離され、大都市に移住しても田舎とはあまりに異なる価値観に絶望を突き付けられる高校・大学時代の友人らの苦しみを身近に見ているジョンが代弁したのが『Scarecrow』であり、「Small Town」でした。

栄うる者は自(おの)ずから安々 辱(はずかし)めらるる者は定めて碌々(ろくろく)

天才軍師として名高い『三国志』蜀の丞相・諸葛亮(孔明)が在野に雌伏していた時代に詠んだとされ、後漢末の乱れた世を憂う彼の志に劉備が強く共感した詩の一節です(『三国志演義』の作者・羅貫中による創作の可能性も)。
古今東西、民の苦しみはここにこそあり、【充実した人生を送るため、或いは人生を楽しむために、ニューヨークやロサンゼルスに住む必要はない】の実現もまた、“民の宿願”でしょう。


John Mellencamp - Small Town (Live at Farm Aid 2023)






---------------------------------------------------------------------------------------------

~ 原発事故により失われた故郷と未来…そして、かけがえない家族の生命 ~

「ここは娘に近づける場所」原発事故で帰れないふるさと 1年2組の教室には亡き娘の“あの日”がそのまま残っている

東日本大震災・福島第一原発の事故から13年…
あの日、福島県大熊町の自宅でこの男性は父・妻・次女が津波に襲われ直後の原発事故で全町避難、まだ生きているかもしれない安否不明家族の捜索を断念せざるを得ませんでした。
4月に父と妻の遺体が発見された一方、次女を見つけることはできず、彼は長女と長野県へ避難した後も毎月1~2回帰郷して捜し続け、2016年に自宅周辺に積み上げられた瓦礫の中から彼女の遺骨の一部を発見しました。
「海に流されたわけではなく、ここにいたんですよ。原発事故がなければ、全町避難にならなければ、もしかしたら娘を助けられたかもしれない。すでに命がなかったとしても、こんな形で置き去りにされることはなかったのではないか…」

「ここは家族とつながれる場所で、どこかに娘がまだ眠っている…」

次女が眠る自宅跡地一帯は中間貯蔵施設として既に各地から大量の放射性廃棄物が運び込まれており、もはや娘を家族の元へ連れ戻す願いは叶いません。
しかし彼は現在、郷里に近いいわき市に移り住み、“何故こんなことが起きたのか、将来誰かの命を助けるための教訓”を伝える語り部として月に10回ほど伝承活動を行っているそうです。
娘が眠る、大熊町の帰還困難区域で…。


「原発容認」が減少 能登地震で福島事故を想起か 熊本は「容認」が上回る (全国20の地方紙による2024年の合同アンケート)

一方、このニュースに私は驚きました。
国民の大多数が福島第一原発事故の緊迫感をリアルタイムで経験し、今年も震度7の能登半島地震が発生したばかりというのに、いまだ「国民の48・0%が原発容認」で、近年震度7の地震に2度見舞われた「熊本は原発容認が55・8%(脱原発は34・5%)だというのです。

戦後60余年後の2008年で原爆症認定数2万人の「広島原爆ウランは800g」に対し「100万kWの原発1基が1年間に使用するウランは1トン(1,000,000g;広島原爆の1250倍)」、「福島第一原発事故で熔け落ちた核燃料は250トン」で、これが大気中や大地・海洋に放出された際の放射能汚染を想像してみてください…

福島第一原発事故発生時、吉田昌郎所長(当時)は被害想定を【東日本壊滅】(東日本全体が放射能に覆われる)と表しました。
そうならなかったのは風向により放射能の殆どが太平洋に抜け、制御不能に陥った原発事故が人為と無関係に沈静化する幸運に救われたから。しかし救援活動に参加した米海軍の原子力空母ロナルド・レーガンは東北沖で被曝し、米兵数百人がガンなどを発症、20人が死亡した)

原発運用開始以来、日本政府と電力会社は『安全神話』を喧伝し54基まで原発を増産しましたが、福島第一原発事故で“安全神話の嘘”が証明されると「想定外」を連呼して責任逃れを図り、「世界でもっとも厳しい『新規制基準』」と“騙る”ようになります。

下図を見れば瞭然なように、「M7以上の地震(灰色の円)が頻発する立地に原発(黒点)を54基も建設しているのは世界で日本のみ」であり、しかも日本の原発は今世紀国内で17回発生した1000ガル以上の地震や、9.11のような航空機テロに耐えられる設計にはなっていません

『自動車運転過失致死傷罪』は「最高懲役5-7年」なのに、原発事故による東電旧経営陣は「無罪」
国民が【喉元過ぎれば熱さ忘れる】を改めない限り、“彼ら”の「想定外」は繰り返されるでしょう。

M7以上の地震が起きた場所と原発の位置
M7以上の地震が起きた場所と原発の位置(「小出裕章氏沖縄講演会」;下の動画より)


珠洲原発を止めた市民たち

この事実も、私を驚かせました…
石川県珠洲市といえば1月の能登半島地震の震央であり、「家屋の45.8%が全壊」(半壊22.7%/一部破損31.6%)という県内最大の被害を受けた自治体ですが、かつてこの地には市民らの反対運動により阻止された『一大原発基地計画』(市政・県政・政府・3つの電力会社が推進)があったというのです。
もし阻止されていなければ、一大原発基地はM7.6の地震の震央で被災していた…)

そして更に驚かされたのは、「政治・行政が原発実現のために“犯罪”に手を染めていた」ことです。
この『珠洲原発基地構想』は1975年に始まり、その間も1979年の【スリーマイル島原発事故】、1986年の【チェルノブイリ原発事故】、【1985年と1993年に2度の能登半島沖地震(M5.7/M6.6)】など原発推進にとって“強い逆風”の中で、行政・電力会社が地元住民の承諾も不十分なまま計画を強引に推し進めようとしたため、地元民・漁民・県教組らも市長選・県議選に反原発の独自候補を擁立するなど、長年に亘る政治抗争が繰り広げられてきました。
これだけで【反民主主義】の姿勢は明白ですが、1993年の珠洲市長選ではM6.6の能登半島沖地震直後という強い"逆風”の中で原発推進側が勝利したものの、開票後「投票総数が投票者数より16票多いことが判明」し不正が発覚、反原発側が「市選管に選挙無効の異議申し立てをするも却下」され、「県選管にも却下」されたため市民約2200人が選挙無効を求め訴訟を最高裁まで争い勝訴、やり直し選挙が実行されました。
ところがやり直し選挙でも再び推進側の助役が逮捕され公職選挙法違反(事前運動・公務員の地位利用)の有罪判決が確定するなど決定的に正当性を失い、2003年に3電力会社が計画の凍結を表明、『珠洲原発基地』は阻止されました。

また石川県に現存する『志賀原発』(耐震基準;1000ガル)では、所在する「志賀町の観測点で2828ガル(東日本大震災の最大加速度に匹敵)」と読売新聞が報じているのに対し、電力会社各社の事業者団体である電気事業連合会は「志賀1号原子炉建屋地下2階の最大値は399ガル」と発表しており、誤差では説明のつかない【数値の“大差”】について、同連合会が「通常の地盤に建設される一般建築物よりも原子力発電所が揺れにくい」と説明する一方、地震により原発敷地内で「3箇所段差の発生を確認」とある点が気になります。
しかし仮に今回の地震で問題が生じなかったとして、敷地内に段差が生じる加速度を受けたのは事実であり、周辺にM8.3~5.7の活断層が13か所(M8以上;3/M7級;3)も存在する立地環境で、1000ガルしか耐えられない志賀原発が今後M8の直下型地震に耐えられる保証など誰ができるでしょう。


【原発耕論 No22】能登半島地震の警告!珠洲原発を止めたのは住民 忘れるな3.11福島 20240125




~ 福島原発の放射能汚染水の投棄を許せば、より膨大な放射能を捨てる『再処理工場』が稼働する ~

最後は、昨年“投棄”が始まった福島原発の『放射能汚染水』についてです。
政府・メディアが『処理水』と欺瞞するその水をそう呼ぶのは事実【放射能】で【汚染された水】だからで、つまり【多核種除去設備(ALPS)】で処理された後も【トリチウムという放射性物質】は「水の同位体であるためトリチウム水(HTO)の化学的な分離は不可能」の道理に基づいています。

放射能汚染水投棄の安全性が『IAEA(国際原子力機関)』の“お墨付き”のように報じられていますが、「IAEAこそ原子力を推進するための中心組織(=“原子力ムラ”のボス)」であり、「原発の稼働に必須である大気や海への放射能の放出」を許容した上に成立している職業です。
(ただしIAEAのグロッシー事務局長は、『放射能汚染水』の「放出は日本政府による決定」でありIAEA の報告書は「同方針の推奨でも、支持でもないことを強調したい」と言っている)
またメディアについても、「真実を報じて敵を増やす」より、「政治権力・スポンサー企業と“仲良く”した方が“得”」である彼らの利害を頭に入れていれば、メディアが『処理水』の欺瞞に加担する理由も理解できるでしょう。

そもそも『放射能汚染水問題』について、「福島原発は高台にあるのになぜ原子炉建屋へ地下水が流れ込むのか」と疑問に思ったことはないでしょうか?
それこそ【設計から間違っていた】証拠であり、「わざわざ35mの高台を10mまで掘り下げて原発を建設した」から「津波に飲まれた」し、「原子炉建屋に地下水が流れ込む」という“本来あり得ない二次災害”を招いたのです。

『安全』を尊重するなら、「巨大地震が発生しない安定した地盤」や「事故が起きても安全な住民と原発の空白地帯」「万が一も制御不能に陥らない科学技術と危機管理体制」「放射性廃棄物の安全・無害な処理」が確保できない者に原子力を運用する資格などあろうはずもありませんが、その全てに不合格ながら安易に核を弄び、その報いとして史上最悪の原発事故、国土と海洋の放射能汚染を子々孫々まで負わせたのは何処の国でしょう…。


そして近年よく耳にするようになったのが、放射能汚染水投棄への懸念・批判により福島産の海産物が売れなくなるなどに多用される【風評被害】の言葉です。
しかし今は「投棄を始めたばかり」なので投棄されたトリチウムの絶対量がまだ少ないため海洋・海産物への影響も小さいと思われますが、福島の事故で熔け落ちた燃料は250トン/トリチウムは3400兆ベクレルあり、今後数十年かけて棄て続けたら海洋の放射能量は確実に増加し続けることになります。
仮にそれを無事終えることができたとして、“それで放射能の投棄はすべて終わりか…”というと、まずそうはならないでしょう。

そもそも日本が原発を誘致した本当の目的は【核兵器の保有】(※)であり、開発に不可欠なのが使用済み核燃料からプルトニウムを分離する【再処理】で、それを実現させるため1993年に着工した(未だ完成しない)『六ヶ所再処理工場』の稼働です。
(※『原子力基本法』2条2(基本方針)にも「我が国の安全保障に資することを目的」と明記)
そして再処理工場が稼働すれば【1年で800トンの使用済み核燃料を処理し】、【毎年18000兆ベクレルのトリチウムを(福島が数十年で棄てる5.3倍の放射能を1年で)環境に棄てる】前提であり、福島での投棄を止めれば再処理、つまり【核兵器の開発】という原子力政策の根本が崩壊するため、漁民が反対しようと、国民が反対しようと“彼ら”は「放射能汚染水の海洋投棄を決して止めない」でしょう。


道理に基づき冷静に考えれば、誰でもすぐ気づくはず…

「放射能汚染水の無期限海洋投棄は、海洋環境を今より確実に悪化」させ、それは「海産物の安全性と商品価値の低下に直結し、一つの海で繋がる日本の漁業の存続を脅かす」こと。
一度放射能で汚染された日本の海をすぐに元へ戻す能力など、放射能の根源である燃料デブリの取り出しさえ未だできない人間にありはしないこと。
4年で完成予定が審査をクリアできず26回延期で30年費やし未だ施設の完成に辿り着けない組織(日本原燃)に、再処理工場が抱える膨大な放射能の運用を任せる危うさ…。

国民にできる最善「主権を行使し、【放射能汚染水の海洋投棄に賛同する政党・代議士】を退場させ」、「大地や大気、海洋にこれ以上放射能を増やさない」ことです。


「小出裕章氏沖縄講演会」2024年1月27日(土) 沖縄県立博物館・美術館にて収録

最後までお読みいただき、ありがとうございました ♪
関連記事
スポンサーサイト



tags : 1985年 ハートランド・ロック 故郷 人生  東日本大震災  

コメント

おお来ましたね~!この方は3年前に小生も取り上げました。彼の曲を初めて聴いたのは1981年、自分はまだ23~24歳で会社就職の初任地(室蘭)で社会人2年目の迎えていた時期でした。ラジオから流れてきた「夜が泣いている」を聴いて「何てカッコイイ渋めの曲なんだ~!」と一挙に彼のファンになってしまいました。ただその後、ジョン・クーガーがジョン・メレンキャンプ(本名)に変更していき1980年代を代表するロックシンガーとなったことは後になって知ったことでした。1985年にヒットした「スモール・タウン」の歌い方・曲調・雰囲気は、アメリカンロックのボス「ブルース・スプリングスティーン」と非常に似ている印象がありましたね。

2024.02.29  ローリングウエスト  編集

ローリングウエストさん

私もその記事を見た記憶はありますが3年も前でしたか、月日の過ぎるのは早いものです。でもそれほど彼をお好きだったのですね。私が彼を知ったのは「アメリカン・フール」の後なので、すっかり時の人でした。スプリングスティーンと共通するのは、当初は青春路線で、その後政治的になっていったことでしょう。思想も似ているので、二人はとても仲が良いです。

2024.02.29  Beat Wolf  編集

こんにちは。

初めて知るアーティストですが、アメリカでも芸名というのはあるんですね。確かにメレンキャンプというのは少し長くて田舎臭いのかもしれません。松田聖子の本名は蒲池法子(かまち のりこ)と言うそうですがやはりどこか田舎臭い。
この人はそれをあえて本名に戻したわけですからすでに成功していたとはいえ何か思うところがあったのでしょうね。
それにしても連れ帰った「大都会の美女」の気持ちも聞きたい!笑)

2024.03.02  忠      編集

忠さん

彼はドイツ系でMellencampはアメリカでは馴染みがないため、マネージャーが Cougarに変えたそうです。しかも事前に当人の承諾も得ず、アルバムのジャケットに名前が載るまで、彼は全く知りませんでした。彼は不服を唱えましたが無名の新人では覆せず、スターとなって発言権を得て段階的に本名へと戻しました。でも蒲池も全国的に馴染みがありませんね。「連れ帰った大都会の美女」は彼の実話ですが、もしかして忠さんも「それ」だったりして?(笑)

2024.03.02  Beat Wolf  編集

Beat Wokfさんのところに来ると懐かしい曲が聴けるので来るのが楽しみです。ほとんどの曲は相棒が聴いていた曲でメロディーはわかるのですが、曲のタイトルがわからないものが多いです。ここに来ると曲名がわかりますね。^^

2024.03.03  bluskyus  編集

bluskyuさん

昔の情報源の多くはラジオでタイトルすら紹介せず曲を流すだけの番組も少なくありませんでしたが、ネットが主流の現代は必ず文字でタイトルが付いてますね。半面、タイトルがわからないと辿り着くのは容易でありませんが…。(笑)

2024.03.03  Beat Wolf  編集

好きな音楽を自由に聴き、お互いに情報交換ができる平穏な日々がいかに素晴らしいのかを再認識されますね。今日は3月11日、東日本大震災から13年。今年1月1日の能登大地震から70日、黙祷を捧げ安息の日々を願いましょう。「平凡で健康無事な日々こそが 最上幸福 天災見て知る」

2024.03.11  ローリングウエスト  編集

ローリングウエストさん

そうです。何事も平穏あっての日常です。平穏であることが当たり前のようで、ある日突然こんなことが起こるのです。記事の男性のように、小学校に入ったばかりの最愛の我が子が僅か6年の人生で先立ち、その亡骸さえ弔ってやれず、しかも彼女が眠っている大地が核のごみ置き場になるなど、親として耐えがたいでしょう。

2024.03.11  Beat Wolf  編集

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 
PrevEntry |  to Blog Top  | NextEntry
プロフィール

Beat Wolf

Author:Beat Wolf
ジャンルを問わず音楽が大好き♪


参加ランキング
最新記事

全タイトルを表示
Artists
リンク
このブログをリンクに追加する
☆『相互』をご希望の方は、お気軽に♪
最新コメント
QRコード
QR

Copyright ©I Wish~洋楽歌詞和訳&解説. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.